第1話 「君を初めて見た日」
彼女を初めて見たのは、高校二年の夏の日────
夏休みの最終日は、例年通り宿題が間に合わず、朝から家に籠りきりだった。
気分転換の散歩ついでに、スーパーでアイスでも買おうかと家を出たものの、余りの暑さに直ぐに後悔。蝉の鳴く声が煩くて、暑苦しさを更に増していた。
海が見える通りまで出ると、道の反対側にバス停が見えて来る。店はその先だ。
道に陽炎が揺らめく茹だるような暑さの中、海岸沿いのバス停に彼女は立っていた。
向日葵の飾りが付いた麦わら帽子に、そこから伸びる茶色のロングヘアー。少し丈の長い白いワンピースが海風に揺れていた。
キラキラと日差しを映す海を見つめながら佇む彼女。その姿は現実とは思えない美しさだった。
道を背にしていたので、うしろ姿しか分からなかったけれど、何故か目線を外せない。
彼女の顔をどうしても見たくて、バス停の横にある自販機に飲み物を買いに行く事に。
道を渡り彼女の傍まで辿り着いた途端、何か気になったのか急に振り向いた。
こちらを向いた彼女を視界に捉え、今までに感じた事がなかった気持ちが一気に沸き起こる。
──綺麗だ。
涼やかな目元に滑らかな稜線の様な鼻梁が続き、口角が少し上がり微笑んだ口元。
彼女を視界に捉えたまま、世界が止まった気がした。
一瞬彼女と目が合うと、透き通ったヘーゼルブラウンの瞳に引き寄せられる。
瞳に吸い込まれるような感覚を覚えた途端、目の前の段差に躓いてしまった。
「あっ!」
躓いた勢いで彼女の方に倒れ込んでしまう。
当然、避けられると思ったら、彼女は迷わず手を差し伸べてくれたのだ。
でも、彼女も凄く汗をかいていたみたいで、お互い汗で手が滑ってしまう。
勢い、彼女にしっかりと抱き付き、肩口に顔を埋めてしまう状態に……。
その途端、彼女の髪の香りだろうか、女性らしい良い香りがした。
でも、それだけではなくて、汗をかいている彼女の香りが鼻腔に広がった。
全く嫌な香りじゃ無くて、とても好きだと感じる香り。何故かは分からないけれど、彼女の香りが好きで好きで堪らないと感じていた……。
「ご、ご、ごめんなさい」
慌てて彼女から離れて頭を下げた。
この状況は……いきなり抱き付いて来た変質者と思われても仕方がない。
「いえ、大丈夫ですか?」
彼女は怒るどころか、心配までしてくれる。
信じがたくて、思わず彼女を見上げてしまう。
──やっぱり綺麗な人だなぁ……それに滅茶苦茶優しい……。
思わず見惚れてしまったけれど、そのまま立ち止まる訳にもいかず、もう一度しっかりと謝って、彼女の前を通り過ぎた。
でも、どうしても離れがたくて、自販機で飲み物を買い彼女が見える場所に留まってしまう。
どこの誰だか知りたい、せめて名前だけでも知りたい。
近くに住んでいるのかな? いやこの辺に住んでいるのなら、見た事があるはずだ。じゃあ旅行者か? 夏休みに親戚の家に遊びに来ているとか?
彼女の事を知りたい。何でも良いから知りたい。出来る事なら話してみたい……。
そんな思いが駆け巡るけれど、俺は女性に話しかける事なんて出来ないし、そもそも女性と上手く話すことができない。
それに、もし話せたとして、家着のTシャツにひざ丈の短パン姿で何を話そうというのか……彼女を近くで見つめるだけで精一杯だ。
スポーツ飲料を飲みながら、気が付かれない様に彼女を見ていた。
気のせいかも知れないけれど、彼女は何となく寂し気だった。まあ、女性の事など全然分からない俺の勘違いだろう……。
彼女を見つめるという至福の時間は束の間、直ぐにバスが到着してしまったのだ。
乗り込む直前に目が合った気がしたけれど、彼女はそのままバスの中へと消えて行った。
遠ざかるバスを見送りながら、風になびくワンピースの裾と、紐が足首に巻きつくデザインの赤いサンダルを思い出していた。とても綺麗な人だったな……。
家に帰った後も彼女の事をずっと考えていた。
自分には出来ないと分かってはいるけれど、勇気を出して声をかけなかった事を悔やんだ。
彼女の顔や格好、そして、何故かあの汗ばんだ香りを思い出して、悶える様に悔やんでは落ち込むという事の繰り返しだった。
結局、宿題は手につかないまま、夜になってもやる気も起きず、いつの間にか寝落ちしてしまった。
翌朝、久し振りの早起きに寝ぼけ眼で登校。教室の席でもずっと彼女の事を思い出していた。
──また会えないかなぁ……これから毎日あのバス停に張り込めば、もしかしたら……。
そんな事を考えていると、始業のチャイムが鳴っていた。
そして、担任と共に教室に入って来た転校生は……バス停に佇んでいた彼女だった。
第一歩を踏んで頂きありがとうございます!
これから、ひとりの男の子の青春が始まります。
少し長旅になりますが、最後まで読んで頂けると幸いです。
宜しくお願いします。
磨糠 羽丹王