双子姉妹の婚約破棄事情
まるで宮殿の広間のように豪華絢爛な講堂に、学園の生徒が一堂に会していた。今日は国王夫妻の結婚記念日で、この学舎でもそれを祝うための会が開かれているのだ。学校行事であるから皆、制服着用。しかしてその実態はただの舞踏会だった。
オーケストラピットでは学園専属の楽団が軽快なワルツを奏で、生徒たちはダンスや会話を上品に楽しんでいる。
そんな中、突如として
「ティアラ・ローリン、お前との婚約を破棄する」
という不穏な言葉が講堂に響き渡った。
声を発したのは王太子ターシェル。
婚約者であるローリン公爵令嬢ティアラをびしりと指差している。
「まあ」とだけ声を漏らし、あとは絶句しているティアラ。
衝撃が大きかったようで元から大きな目を更に見開いている。だが視線は婚約者にではなく、その手に腕をとられている女性に向けられていた。その女性はティアラと瓜二つ。双子の妹マリアだ。
「お前のように高慢でプライドが高く可愛げのない女にはもううんざりだ」
とターシェルは声を張り上げる。
「何が王妃に相応しい人格だ。いくら賢く聡明で国母たる器があろうとも、お前みたいな女では私の気が休まらん。国王の激務のあとに共に過ごす相手が、人の血が通っているとは思えない冷淡で愛想のない女だなんて辛すぎる。その点」
ターシェルはマリアの腰に手を回すとぐっと抱き寄せた。
「マリアはいい!朗らかな笑顔、優しい口調、心からの気遣い。ティアラと同じ顔であるのにまるで違うこの性格。彼女こそが王の妻たるものに相応しい性質を備えている。そう、それは癒し!」
マリアがターシェルを見上げる。王太子はどうやら自分に酔い始めているようだ。顔にはうっすらと恍惚の表情が浮かんでいる。
「前々から思っていたのだ、私に必要なのはティアラではない。マリアだと!よってお前との婚約は破棄して新にマリアと婚約をする!」
ターシェルは再び、びしりと指をティアラに突きつけた。
広間はいつの間にか静かになっていた。楽団は演奏を辞め、誰もが口を閉ざしている。
そんな静寂の中に、コホンとひとつの咳払いが響いた。ターシェルの従兄ワイクリフ・ジョンプラーズ大公令息だった。
「ターシェル。マリアの意志は確認したのか」
「いや。今決めたばかりだ。だが勿論了承するよな」と自信満々の顔で王太子はマリアを見た。「君は私のことが好きだ。今まで姉に遠慮をしていて、辛かっただろう。これからは思う存分、私を愛するがいい」
だが当のマリアは困惑した顔で姉を見た。ため息をつくティアラ。するとマリアはもぞもぞとして、王太子の腕の中から抜け出した。ぐるりと周囲を見回し、
「皆さん、お騒がせしてごめんなさい。茶番は終わりにしますから、どうぞ会を楽しんで下さいな」
と言った。それから思わぬ反応にひょっとこみたいな顔になっている王太子に一礼し、場を歩み去る。そんな背に、
「逃げないの!」
とティアラの鋭い声が飛んだ。びくりとするマリア。ワイクリフが素早くマリアに近づくと、その腕をそっと取った。
「いい加減にしてちょうだい、アホ王子」とティアラ。
「アホ王子!?」血相を変えるターシェル。
「それからお姉様も」
ティアラはそう言うと人差し指を自分に向け、「マリアは私。そっちにいるのが」指はワイクリフに捕まっているマリアに向けられる。「ティアラ。私たちの見分けがつかないのはあなたぐらいよ、ターシェル」
「ええっ!!」
叫んだターシェルはマリア、ティアラと双子の顔を見る。何往復も。
今度はワイクリフがため息をついた。
「ティアラは右耳の後ろにほくろ。マリアは左耳の後ろ。何回教えても『そんなものを覚えなくとも見分けがつく』なんて豪語し続けた挙げ句に、この醜態か。呆れを通り越して笑うしかないな」
「本当」と賛同するティアラ改めマリア。「お姉様にも、いずれシャレにならなくなるから私のフリをするのはやめてと何回も伝えたのに」
ターシェルは「え、え、え」と声を上げながら双子の顔を見比べる。一方でマリア改めティアラは紅潮した顔をうつむかせていた。
「確かにお姉様のプライドは高いわ」とマリアが言うとワイクリフや周囲の生徒らがうなずく。「だけどね、自分が婚約者に好かれていないことが悲しくて、あなたに比較的良い印象を持たれている私のフリをしてしまうぐらいに、お姉様は可愛い乙女なのよ」
「え、『悲しい』?」
とターシェルはティアラを見、ティアラはますますうつむく。
「私はあなたに好意なんて微塵もないわ」とマリア。「勉強はできても愚昧で浅慮、婚約者への配慮はゼロ。大好きな姉につれない態度を取るばかりか、その妹に鼻の下を伸ばすようなひとを私が好きになるはずがないでしょう」
「ええぇっ」ターシェルは間抜けな顔でのけぞった。
「だからあなたを好きそうな様子を見せていたのは、私のフリをしているティアラよ」
「そう」とワイクリフが力強くうなずいた。「マリアは私と婚約予定だ。勿論、相思相愛だ」
相好を崩すワイクリフ。
「気づいていないのは、自分勝手な恋に酔っているあなただけ」
周囲の学生たちから失笑が起きる。
「まったく、お姉様はこんなヒドイ王子のどこがいいのかしら」
マリアの言葉に、ティアラがぼそりと
「おバカなところ」と答える。
「お姉様って本当、趣味が悪いわ」
「同感だ」そう言ったワイクリフはティアラの腕を離し従弟に歩み寄るとその肩を叩い。
「ターシェル。学園内で騒動を起こすことは校則で禁じられているぞ。生徒会長としては見過ごせない。即刻退出するように」
「そんな、ワイクリフ!騒動というほどのことか?それにパーティーはまだ始まったばかりだ。あんまりではないか」
「騒ぎを聞き付けた教師が来る前に穏便に収めてやろうという従兄心だぞ」
「先生方が来たら、確実に陛下の耳に入って叱られるわよ」マリアも言い添える。
ターシェルは父王の叱責を思い浮かべたのか、顔色を変えた。
「副会長」とワイクリフが振り返る。「彼を生徒会室に連れて行き、反省文を書かせてくれ。ターシェルが逃げないよう、しっかり監視するのだぞ」
そう声を掛けられた副会長─ティアラは真っ赤な顔を勢いよく上げて、
「私、用事が!」
とあからさまな嘘をつく。
「はいはい」とマリアが言って姉に近寄ると、その背を押した。講堂の出口に向かって。「お姉様はそのアホ王子を、即位までにもう少し賢くするという大事な役目があるのよ」
「そうだぞティアラ」とワイクリフ。こちらは従弟の腕を引っ張り出口に向かう。「このままでは国王補佐になる私が苦労とストレスで早死にすること間違いなしだ」
そうだそうだ、と学生たちが声を上げる。
そして講堂からポイっと外に放り出されるターシェルとティアラ。ふたりの後ろでは扉がきっちりと閉められる。すぐに漏れ聞こえてくる軽快なワルツ。
ターシェルは、グギギギとの音が出そうなぎこちない動きで顔を婚約者に向けた。が、彼女はあらぬ方を見ている。
「……ティアラ。悲しかったのか?」
尋ねる声に返事はない。
「……そうか」とターシェル。「とりあえず私は反省文を書きに行く。周りに迷惑を掛けたようだからな。それでその、」ターシェルも婚約者から顔を背けた。わずかにだが赤らんでいる。「……もう愛想も尽きただろうが、すまぬが監視を頼めるか」
ティアラはよそを見たまま目をみはった。聞こえた言葉に耳を疑いつつ、
「ふ、副会長の仕事だから」と答える。
「う、うむ。すまん」とターシェル。
ティアラは王子を一瞥もせずに歩きだした。後を追うターシェル。
「……今の『すまん』には多くの意味があるのだ」彼はごくりと唾を飲み込んだ。「どうやら私はアホ王子らしいから、一からやり直すチャンスをもらえないだろうか」
と、ティアラは足を止めた。
「……そういうとこ」と、彼女は小さな声で言う。
「え、何だい?」
「何でもないわ」
再び彼女は歩きだす。まるで競歩の選手かのような勢いだ。
「ちょ、待ってくれ!ちゃんと覚えるから!左耳の後ろにほくろがティアラだ!」
「右よ!」
「そうだった、右だ!だからチャンスを!」
◇◇
その頃の講堂では、誰もが相思相愛と認める恋人同士のワイクリフとマリアが学友と共に話していた。
「あれが次期国王だなんて不安しかない」と男子生徒。
「そう言うな。あれでも帝王学は身につけている。そちらを頑張りすぎた反動で、異性に対して夢見がちになってしまっただけなのだ」
ワイクリフの言葉に、そうかなあと首を捻る友人たち。
「しかしターシェルはどうして急にあんなことをしでかしたのだろう」
ワイクリフがそう言うとマリアがえへっと悪い笑みを浮かべた。
「パーティーが始まる直前に私が、『あなたの正式なパートナーとして一緒に踊りたかった』と言って走り去ったのよ」
「見事な嘘泣きだったわ」と彼女の友人が褒める。
「君が彼を煽ったのか」
「そうよ。だってお姉様がいつまでも私のフリをしているんだもの。私たちの婚約までにはやめてもらいたかったから、ひと芝居打ったの」
「策士だなあ」
と嬉しそうに言ったワイクリフは手をマリアに差し出した。
「一緒に踊っていただけるかな、マリア」
「ええ。よろしくてよ」
マリアは笑顔でワイクリフの手を取った。
◇登場人物◇
ティアラ・ローリン(17)・・・公爵令嬢
マリア・ローリン(17)・・・ティアラの双子の妹
ターシェル(17)・・・王太子
ワイクリフ・ジョンプラーズ(18)・・・大公令息でターシェルの従兄