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平和への瀬戸際   作者: 自称第二次世界大戦研究班
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なぜラインラント進駐に注目したか・ラインラント進駐とは何か

なぜラインラント進駐に注目したか・ラインラント進駐とは何か

まず、私たちがラインラント進駐を第二次世界大戦勃発の原因だとした理由について説明する。

繰り返しになるが、私たちが第二次世界大戦の原因であると考えたのはドイツの拡張政策が英仏の許容できる範疇を超えたことにある。よって英仏が拡大政策を抑え込むには包囲網を用いたけん制、それもドイツ首脳部に確実に衝撃を与えかつ畏怖させるが、外交交渉が不可能になるほどの対立にはしない程度のけん制が望ましい。

なぜなら少なくとも中世から欧州は勢力的均衡を保とうとする傾向があり、欧州で覇権国家となるには同盟などによる妥協をするか、均衡を保とうとたびたび結成される包囲網を打破しなければならない。かつてのドイツ帝国もビスマルク時代にはその包囲網を使い妥協により世界2位の経済大国になったが、ヴィルヘルム2世時代には均衡を無視し拡大政策に出たことで第一次世界大戦につながった。ドイツは地理的に大国に挟まれているので、大国に飲み込まれないようにと強大な軍事力や経済力を所有しているが、かえって大国はドイツを警戒して包囲網を組む。このサイクルが続いたことでドイツは二回も世界大戦を主役として戦い、かつ多方面に戦線を抱え込むこととなったと考える。このことから欧州の諸国家の平和を維持するシステムは、包囲網と考えられる。しかし実際に世界大戦が起きてしまったように、対象を追い詰めすぎて外交による解決が不可能になった包囲網は逆に戦火を広げる起爆剤となりかねない。そこでドイツの拡大政策を包囲網で抑え込むとすれば、ドイツが拡張政策を始める前でありドイツが武力行使を考えないタイミングでけん制を仕掛けるほかない。

よって英、仏がドイツを安全にけん制し、ドイツの対外拡張政策を抑制できたと考えられる重要な機会だといわれるラインラント進駐に私たちは注目し、調べていくことにする。


では、ラインラント進駐とは何でしょうか 

ラインラント進駐とは、ヴェルサイユ条約においてフランスの強い要望によって成立したラインラント非武装地帯にドイツ国防軍が軍を駐留させたことであり、これによってフランスとドイツの国境部に軍が存在していることになり、ドイツは奪われていた主権を取り戻し、ヴェルサイユ・ロカルノ条約は死文化したのだが、私たちが重視したのはここではない。

私たちが重視したのは、第一次世界大戦後の世界秩序を形づくってきたヴェルサイユ・ロカルノ条約に定められたラインラント非武装・相互不可侵に対してドイツは明確な条約違反をしたことにより、ヴェルサイユ条約で定められていた条約署名国に対する敵対行為として署名国(特に英仏)は武力介入など有効性のある行動をせず、黙認したことである。

実はラインラント進駐はヒトラーでさえ成功に確信が持てず、少数の軽装備部隊のみを用いることやフランス軍に出兵の兆しがあればすぐに撤退することといった慎重さを見せていた。このことから、ラインラント進駐は英仏の出方をうかがうことで、ヴェルサイユ体制から続く世界秩序を本気で守る覚悟があるのか。これを確かめる意図があったことが推測できる。

しかしこの黙認によってドイツは拡大政策をとったとしても、英仏がこれから介入してくることはないと考え、アンシュルスやズデーテン・メーメル要求などの対外拡張政策に乗り出していった。       




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