ラインラント進駐を阻止せよ
第二次世界大戦阻止の定義と大まかな方針
第二次世界大戦を防ぐといっても、一体なにをもって阻止できたといえるのかをまず考えなければならない。まず第二次世界大戦を欧州大戦と東亜・太平洋戦争とに分ける。これは地理上・戦争目標の乖離・戦略的な共同が独伊・日間であまり確認されなかったことが要因だ。よってこれより本研究では第二次世界大戦は独伊・英仏の欧州大戦のことを指すこととする。1939年9月1日にポーランドにドイツが侵攻したことが第二次世界大戦の始まりと言われている。それが起きた背景には、拡張政策の一環として旧領奪還を行い、投票により民主的という建前で武力脅迫を中小国にかけ続け国際緊張をもたらしたドイツがあり、それに対し当初世界大戦再来への恐れから融和的な態度をとったがミュンヘン会談などを経てドイツの拡大を防ごうと方針を転換したイギリス・フランスがドイツの旧領であるダンツィヒをドイツが要求したこと。領有国であるポーランドはこれを拒否し、ミュンヘン会談の取り決めを無視しチェコスロヴァキアを解体されこれ以上の拡大を容認できない英仏はポーランドに対し相互援助条約による独立保障(この場合英仏がポーランドの領土や主権などを守ると宣言すること)をかけて、ドイツを抑え込もうとした。しかしダンツィヒ奪還による東西ドイツの接続を重要な政策目標としていたドイツは引き下がらず、英仏に先んじてソ連と独ソ不可侵条約とそれに付随する東西ポーランドの分割などを定めたモロトフ・リッペントロップ秘密協定を結ぶなど不退転の意志(ナチス特にヒトラーにとってソ連は宿敵であり戦争目標)で第二次世界大戦へ向かっていったのだ。これを踏まえ、世界大戦の阻止は①英仏・独伊の利害が戦争になるほどまで対立しない②英仏・独伊のパワーバランスが圧倒的に偏っているまたは何らかの要因により戦争を仕掛けることに重大な支障がある③独伊がそもそも拡張政策を転換し、武力行使を放棄する。
以上の三つのうち少なくとも一つを実現する必要がある。
しかし①と③はほぼ同義であり①を③なしで実現することは危うい勢力均衡状態を作り出すことであり、ファシズムの政体である国は性格上それを容認できない。なぜならファシズムは全体主義であり、国家を一人と考え国家間の闘争つまり戦争に最適化された『戦争のための国家』であるからだ。③は前述したようにファシズムからの政体転換つまり政変・革命・投票によるもののいずれかが必要である。しかし、ヴェルサイユ条約からの戦間期にそれを実現するにはさかのぼったとしてもヴェルサイユ条約しかないが、条約をいくら改善したところでファシズム台頭の大きな要因である国民感情を大きく左右できたとは考えられず実現に至るプロセスが見いだせなかった。
以上より②を実現することを本研究の大まかな方針とする。
次に第二次世界大戦とは何をもって阻止できたといえるのかという課題については、舞台が欧州大戦でありイタリアはアフリカのエチオピアに侵攻したが開戦までは拡大を英仏に気を使いながら行っていたこと。日本は欧州大戦に直接的な関与がなかったこと。
これらから、ドイツが拡大政策をできないような体制を作り出し、宥和による消極的平和でなく大国による積極的介入から成り立つ世界秩序の維持からなる積極的平和を実現できたとき、第二次世界大戦は阻止されたといえるのではないかと考えた。よってこれを実現することを目的として研究を行っていくとする。