Epilogue~閉館~
遅れましたが更新させていただきます
「……」
先程まで全く蚊帳の外だったマーガレットは、
執務室から選んだ数冊の本を持って、外へと繋がるドアの前にいた。
「ん?どうした?」
「いえ、ちょっと先程の光景を思い出したというか……」
そんなことか、と独り言ちるアレックス。
「先程この部屋についての説明をしただろう?」
「秘密の部屋だとか……ワープする移動図書館だとか」
「あの説明には抜けてる部分が幾らかある」
そう言いながらドアノブに手をかけた。
特に気にした様子もなく、ドアを開くと、その先には
「……はい?」
先程まで薄暗いアーカイヴの石段を映していた景色は何処へやら。
目の前にはこの施設に入ってくる時に見たコンクリート製の階段と等間隔に植えられた街路樹。
見間違えようがない。ウンター・デン・リンデン。ブランデンブルク門から続く菩提樹の名を刻まれた大通り。
「ベルリン国立図書館の一号館。そのボイラー室の扉に繋げた」
「図書館の至る所に接続できる、そう言いたいんです?」
「いや、それだけでは説明不十分だ」
もう一度ドアを閉めて、また開く。
その単調な動作とは裏腹に、マーガレットの目の前に広がる景色は異常そのものだった。
「……え?」
前の景色は何処へやら、目の前に広がるのは大量の人が歩き回るロビーの風景。
キャリーケースを引いて歩く人、本を見ながら歩くバックパッカー、楽しそうに土産物を見ている家族連れ。
多彩な映像が流れ続ける巨大スクリーンに複数言語で繰り返されるアナウンス。
先程までの少し歴史を感じる大通りとは打って変わり、近代的で先進的な印象だ。
それもそうだろう。何故ならここはドイツが誇る三大空港の1つ。
「フランクフルト国際空港ターミナル1。ロビー近くの非常口だ」
「嘘でしょう?噓ですよね?」
しかし、否応が無しに目前に広がる日常の騒がしさは疑うことを許さない。
目の前に広がるのは確かに近代的な空港のロビー。
持ち物検査も入国手続きも使わずに入れる場所ではない。
「今見た通りこの扉、正確にはこの部屋は非常に特異な性質を持っている」
扉を閉めて再び開ける。今度は足元に雲が見える。
ドイツ南西部ホーエンツォレルン山山頂。
古めかしい城壁が見えるホーエンツォレルン城の通用門の1つ。
「条件は2つ。1つは転移したい箇所に門、または扉が設置されていること」
扉を閉めて空ける。目の前に広がるのは一面のブドウ畑。
しかし微妙に距離が遠い。それどころか何か船の上に載っているように風景が右から左に流れていく。
ここは中部ライン地域の街カウプ……を通るライン川クルーズの遊覧船機関室入口。
「2つ目は国。転移できる範囲はドイツ連邦共和国の領土内に限られる」
扉を閉めて空ける。目の前に広がるのは宮殿のような内装の執務室。
黒革のソファに何か勲章やトロフィーの置かれたガラス棚。書類がいくつかの山になるまで積まれた重そうな書斎机。
今までの光景とは一転して静かな雰囲気が漂っている。
ただ今までとは異なる点が一点。それは部屋の中にいる一人の人物。
「―-ん?誰かノックもせずに……は?」
スーツを着た老年の男性。
机に向かい書類に目を通していた彼は開いた扉に気づきこちらに目線を向ける。
胡乱な眼差しを向けるとそれは一転して驚愕と困惑の色を帯びた。
「あれ、あの方何処かで……」
「済まない。開ける扉を間違えた」
「おい!今の声ひょっとしてハーケn」
バンッ!!と勢いよく扉が閉められる。
マーガレットはあの男性の顔を今更ながら思い出した。
「あの……今の方、ひょっとして大統領閣下では」
「まあ大丈夫だろう。ちょっとした手違いでベルビュー宮殿……大統領官邸の大統領執務室に繋がっただけだ」
「ええ……?」
というか苗字言われかけてたし、バレてるのでは……?
と思ったがもうどうでもいいや。と諦観の念を浮かべるマーガレット。
「まあこういうことでこの執務室は国内の何処へでも転移が可能だ。
先程言った条件はあるが、その範囲なら転移できる。大統領官邸だろうがな」
もう驚愕しすぎて慣れてきてしまった。
超常的現象にはブックハンター時代に度々噂を聞きはしたが見るのは初めてだ。
故人である老執事は知っていたのだろうか。いや、知っていてもおかしくは無い。
ブックハンター時代何度か黒い本の回収を依頼されたことがある。
実働部隊は老執事が取り仕切っていたため現場に出たことは一度も無いが、
報告書で確認した限り、不可思議な現象を操る者達と遭遇、対立したことは何度もあった。
恐らく、彼の言う"歴史書管理機構"はこんな超常的な現象を当たり前のように扱える集団なのだろう。
「どうした?」
「いえ、ただ……歴史書管理機構も、こんなことができるのかと」
「そういうことか。それに関しては私もはっきりとは言えんが……」
そう言うとアレックスは下の方、具体的には扉の下。
堕ちていった何かを見ながら心底つまらなそうに。
「先程の元ブックマイスター?殿のようなレベルならごろごろいるだろうな。
異端書の類は昔このアーカイヴにも幾つかあった。此処以外のアーカイヴは全て機構の連中が管理している故に、調達は容易だろう」
だがしかし、と人差し指を天に向けながら話し続ける。
「超常的だが万能ではない。所詮は血の通った人間だ。
潰し方も壊し方も山ほどある。身内同士で内乱が発生する程度の組織のようだし」
ブックハンターに対して欠片も興味がないのか相変わらず覚える気配も無い。
しかし内乱。それを聞いてマーガレットは思い出す。
「というかアレックス様。ハプスブルク家で内乱を起こした者と関わりがあるように先程仰っていましたが……?」
「ん?ああ、ルドルフ殿のことなら直接の面識はないぞ。
数冊の本と手紙が図書館の事務所に送り付けられただけだからな」
だがまあ、いろいろ教えておきながら対抗手段の芽を摘むのは良くないか。
アレックスはそう思い懐から手紙を取り出しマーガレットの目の前に差し出した。
「これは……?」
「ルドルフ殿が送ってきた手紙だ、中に彼の連絡先が記されていた。
機構の連中と対立するなら必要だろう。持っていくといい」
「いいんですか?」
「詫びの代わりだ。遠慮せずに持っていきなさい」
そう言うと彼は再び扉を開ける。
そこはアマ―リアが堕ちる前に見た最後の景色。
ベルリン国立図書館1号館の裏庭。僅かに荒れた芝生に錆びたベンチ。
「ではお帰りは此方。大丈夫、今度は本当に裏庭だ」
「色々と驚きと聞きたいことでいっぱいですが……もういいです。諦めました」
マーガレットはおっかなびっくり扉を潜る。
潜り抜ける間も完全に部屋を出た後も特に何か起こる気配は無かった。
ほっとして背後の室内へ体を向ける。
「では、私はこれで。また進展があればご連絡させていただきますね?」
「君たちの同胞になるつもりは無いが、此処は図書館だ。また本を借りに来ると良い」
その言葉に固まるマーガレット。
「……え?この本はお譲りいただけるのでは?」
「いいや?それらはこのベルリン国立図書館の蔵書として扱われている。
借りることはできても買い取ることはできんよ」
「ええ……」
「まあ一通り役目を終えたらまた返しに来ると良い。
その時はまた本を借りにきたまえ。ロスト・アーカイヴは何時でも空いているよ」
ではこれにて。そう言って扉は閉じていく。
閉じ切った扉はゆるゆるとその輪郭を朧げにしていき、
ついにその姿を完全に消してしまっていた。
「……帰りましょうか」
何かもう、疲れきったような顔をしたまま、
マーガレットは裏庭を抜け、菩提樹通りへの道筋を進み人の波に紛れ姿を消したのだった。
後に残るのは時代に取り残されたような寂れた裏庭だけだった。
読了ありがとうございます。
これにてMargaret:2032は完結となります。
コロンシリーズは現在連載中作品も多くありますので、よければそちらもご覧いただけると幸いです(私の別作品もあるのでそちらも是非どうぞ)。