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第六話~ハーケンベルグの墓守~

 


 ――フランツ・ヨーゼフ・カール・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲン。



 フランツ・ヨーゼフ1世。

 オーストリア帝国、そしてオーストリア=ハンガリー帝国の皇帝。

 69年に及ぶ長い在位年数とオーストリアという複合民族国家を長きにわたり纏め上げた政治的手腕が高く評価されているオーストリアの国父とも呼べる人物。

 しかし一方で1866年にプロイセンとの間に起った『普墺戦争』では、

 工業化と組織の近代化に成功したプロイセン軍に惨敗し、たった7週間で敗戦を迎えている。

 ウィーン三月革命、諸国民の春。独立運動が激化する中で政務に励むが、

 後継者だった息子は自殺。妻は晩年に暗殺され、最後に後継とした甥はサラエヴォ事件で暗殺され、第一次世界大戦中の1916年。敗戦を間近にしてこの世を去る。

 彼の死の後、2年の後オーストリア帝国は崩壊。彼はハプスブルク家の実質的な最後の皇帝だった。

 王権神授説を信じ、最後まで皇帝だった彼を見て人々は何を思うだろうか。

 偉大なる国父だと尊敬するだろうか。古臭い哀れな老人だと罵倒するだろうか。

 それは人々によって様々だろう。

 しかし後世においても、今この瞬間にも。



 ――『不死鳥』の名は色褪せることは無い。





 ◇◆◇◆





「――順を追って説明しよう」



 異様な静けさに包まれた執務室。

 先程までの一触即発の空気などどうでもいいのか、

 アレックスは何も感じさせない淡々とした口調で言葉を繋げる。



「この本はつい最近、此処に辿り着いた物でね?

 とある男性が匿名で送ってきたものだった。最初は焦ったよ」



 嘘だ。そう断言できるほど落ち着いた口調。



「用心に用心を重ねて、開いてみればこれさ。正直手が震えたね。

 そして君が来た。物騒な物を懐に忍ばせながら」

「……噓ですわ」

「嘘じゃないさ。これもまた運命の――」

「――嘘です!そんなものが本物なわけが無い!」



 ガンッ!!!と拳を机に叩きつける。

 円卓にぶつけても、苛立ちは収まる様子は無い。

 それよりも、湧き出る感情を抑えることができない。

 焦燥、恐怖、憤怒、混乱。

 アマ―リアの脳内はぐしゃぐしゃにかき回されていた。

 それほどなのだ。【不死鳥】というのは。



「……信じがたいですね」

「おや?マーガレット嬢までそんなことを言うか」

「当たり前です。百歩譲って偶然だとしても出来過ぎです」



 マーガレットは強い口調で否定するが、

 それとは裏腹に目に宿るのは紛れもない『恐怖』だ。

 未知のモノを見てしまった。深淵を覗いてしまった感覚。

 鳥肌が立ってしまうほどの寒気。

 それを知ってか知らずか、部屋の主は語りを続ける。



「……手紙には律儀にも差出人の名が記されていたよ」



 ――ルドルフ。ルドルフ・フォン・ハプスブルク。



 それは紛れもなく、ハプスブルクの裏切り者の名。

 今アマ―リアの人生を縛る原因となった男の名だった。



「なッ……!?」

「ハプスブルク家の者が、フランツ・ヨーゼフ1世の遺産を?」

「さあ?聞き覚えの無い名だ」



 言えるはずもない。

 あの妾の子にハプスブルク家は負けたなどと言えるはずがない。

 しかしこれで、あの書物を回収しないわけにはいかなくなった。

 その思いがアレックスに悟られたのか、

 彼は何の気なしに件の書物を持ち上げ、アマ―リアの視線の先へ掲げる。



「で、だ」

「……何ですの」

「君はこの本が欲しい。そうだね?」

「……」

「……そうなんですか?」

「ああ、間違えた。欲しがっているのは君ではなく本家の方だな」

「だったら……なんだと言いますか?」



 既に立場は逆転している。

 袋のネズミだったアレックスは一転。

 袋小路の罠に閉じ込めたウサギを眺めることとなった。



「――では本題に移ろうか」

「ッ……!?」

「私はこれを君に差し上げよう」



 掲げた本をアマ―リアへと向ける。



「そして君はこれを抱えて静かに去る。

 この部屋のことも、我々のことも口外することはない」

「そんなことが、できるとでも?」

「できるさ。少なくともJOKERは此処にある」



 ひらひらと本を揺らす。

 自然と本に視線を吸い寄せられるアマ―リア。



「君が私達に対し危害を加えない。そう誓えばいい」

「それで……」

「そう。それだけでこれが手に入る」



 どうだい?と憎たらしいほどの笑顔で挑発するアレックス。

 欲しい。何としても欲しい。

 勢いに呑まれつつあることを自覚しつつ、それを抑えることができない。



「……それが本物である。その証拠は?」

「アレックス・フォン・ハーケンベルグ」

「……それが?」

「私の名だ。ハーケンベルグ家最後の末裔。

 この小さな、誰からも忘れ去られたロスト・アーカイヴの主の名だ」



 本を置き、両手を広げ、この小さな執務室を示す。

 ここが最後の砦だ。そう言わんばかりに。



「此処はね、終着点なのだよ」

「……」

「郊外に広がる墓地のようなものだ。

 此処に残るモノは、皆一様に終わっている(・・・・・・)



 目の前の本を、一発逆転の切り札のはずの本を見て自嘲する。



「そしてそれはハーケンベルグにとっても同じだ」

「……は?」

「ここで終わりなのさ。此処は私の墓場でもある」



 この先は無い。

 進歩する余地も、改善する隙間も、立ち戻る為の足場も無い。



「詰んでいるのさ。何もかもが」

「ならいっそ命乞いをしてでも生き延びたい。そういうことですの?」

「誰も彼も、殺されて死にたい奴なんて極少数さ。そうだろう?」



 それに。と彼は苦笑しながらマーガレットを見る。



「彼女は、マーガレット嬢は未来ある若者さ。

 それをこんな所で死なせるわけにもいかない」

「なっ……!?」

「成程……少し理解できました」



 こんな形で巻き込まれることを想定していなかったマーガレットではあるが、

 一方的に助けられようとしている光景に動揺が隠せない。



「それが偽物だと分かったのなら、またここへ来ると良い。

 その時は、此処が私の墓場になる時だ」

「元より、黙って献上する他に選択肢は無し。

 ならいっそ、一時でも命を繋いでおきたい。そういうことですね?」

「その通りだ」



 一応納得した様子のアマ―リア。

 考えてみれば戦力差は圧倒的。献上品は上物も上物。

 目の前の男は生簀の中の魚と同じ。いつでも殺すことができるだろう。

 それよりも『不死鳥の遺物』を真っ先に鑑定し献上する。

 それが最も自分にとって有益な方法だろうと認識できる。間違いはない。



「……いいでしょう」

「交渉成立だ」



 円卓の端と端。

 その交渉は確かに繋がった。



「いいんですか……?」

「構わない。命に代えられるものでもないしな」



 これを渡すだけで無事になるなら十分だ。

 そう言いたげに本を触る。

 納得していない雰囲気のマーガレット。

 しかし介入することもできない。

 あくまで彼女は部外者でしかないのだ。



「では、それを此方に」

「まあそう急くことはない。出口まで案内しよう」



 本を持ったままアマ―リアの方へ近づくアレックス。

 最低限の警戒を解くこともなく紙片を握りしめるアマ―リア。

 それを気にした様子もなく、部屋の入口に向かい歩く。



「――ああ、そうそう。一つ言い忘れていた」



 ドアノブを握りしめて思い出したように呟く。



「この執務室。地下にあっただろう?」

「……それが何か?」

「既にマーガレット嬢は見ているが、この入り口は特別製でね」



 それを聞いてマーガレットは少年の顔を思い出す。

 祖父の代わりに本を届けに来た気弱そうな少年。

 思えば、彼は何処から来たのだろうか。



「大昔の先祖が、良く分からない方法で作ったらしい。

 父は嬉々として話してくれたよ。

 この執務室を、この一号館のあらゆる場所へと繋げる魔法のドアだと」



 その言葉のままドアを開ける。

 その外に広がる風景は……



「……はい?」

「嘘ォ……?」



 そこに広がるのは外の風景。

 庭だろうか、こじんまりとした草原に、小さな錆び付いたベンチ。

 燦燦と輝く太陽が開いた空間を通して部屋の中を照らしている。



「一号館の裏庭だ。人目に付くこともなく帰れるだろう」

「なんと、まあ」



 だからか。あの少年が此処に辿り着くことができたのは。

 少年はあの荒廃した螺旋階段を下って部屋に着いたのではなかった。

 このベルリン州立図書館の何処かのドアに入り口を繋げていたのだ。

 恐らく、彼が自分を部屋に案内した直後に。



「さあ、どうぞお帰りを」

「……色々と聞きたいことができましたが、いいでしょう」



 アマ―リアは紙片を片手に立ち上がり、

 彼がドアを開く中、恐る恐る部屋の外、草原に踏み出す。

 一歩踏み出した瞬間にその感触が本物であることを確信した彼女は、

 この摩訶不思議な現象に驚きつづけていた。



(これは想定外でしたが……廃墟同然でもアーカイヴを名乗るだけはある、ということですか)



「アマ―リア嬢。本を忘れているよ」

「ご丁寧にどうも」



 踏み出した足はそのままに、半ば衝動的に振り返る。

 行儀は悪いがしょうがない。踏み出した右足を反転させ、

 位置はそのままに、左足をかかとから草原に着地させる。

 約180°のターン。全くブレない体幹は問題なく機能する。

 そのまま差し出される本を受け取ろうと手を伸ばす。



「では、ごきげんよう」

「次はこのような目に合わないことを希望するよ」

「それはコレ次第です。精々震えて待ちなさいな」



 手を伸ばし、本に触れる。

 無意識に本の方へ視線が移る。

 だから気付かない。気付けない。







「――ッ!?」



 急に重心が不安定になった。

 何故。何故?混乱で思考がまともに働かない。

 見てしまう。その原因を、否応が無しに、本能的に。

 その先。振り返ったその先には――



 ――宙に浮く、自分の左足。



 その瞬間。

 ガンッ!!!という音が響く。

 発生源は特定するまでもない。それは一番近い場所。


 自分の下腹部。洋服に覆われたそれに、男物の革靴がめり込んでいた。



「ぎッ……アァ……!?」


 攻撃されている。

 そう感じ取った矢先に、半ば反射的に左手に握っていた紙片に命令を与える。

 流石プロといったところか、それは機械的に最速で行われた。

 グリム童話の1節を抽出して形作られた3発の銃弾。

 それを目の前の男に放つ。



「なッ!?」

「……」



 ……だが、それも無意味に終わった。

 紙片はその効果を微塵も発揮せず、彼は無傷のまま。

 困惑と疑問が頭の中を塗りつぶしていく。

 そして、時間は再び動きだす。



「ひッ……!?」



 男の膂力によってアマ―リアの身体は部屋の外へと投げ出される。

 視界に広がるのは先程までのどかだった草原とは違う風景。

 荒廃した螺旋階段が上空に見え、下にはひたすらに暗闇が広がっている。

 それを辛うじて確認した時点で彼女の身体は自由を失う。

 何が起こるかはわかるだろう。



「……此処は墓標だ。アマ―リア嬢」



 重力による自然落下。

 なすすべもなく落ちる自分の身体。

 段々と遠ざかる、先程までいた部屋の入口。



「墓には墓守がいるのさ。墓を荒らされないようにね」



 何故、こんなことに。

 そうして自問自答を繰り返す余裕もなく、ただただ深淵へと落ちていく。



「さようなら。アマ―リア・フォン・エスターライヒ=トスカーナ」



 何故、こんな目にあわなければ……



「――墓荒らしにはご退場願おう」



 そのまま下へ下へと、アーカイヴの最下層まで落ちていく。





 ◇◆◇◆





「……先程行った説明だがね。大体が嘘だ」



 落ちるアマ―リアを眺めながら、無感情に呟く。



「この執務室はアーカイヴの一部として作られた。

 遥か昔、遡ることもできないほど昔に」



 そして手に持っていた本を眺め、

 何の気なしにそれを虚空に放り投げる。

 部屋の外、先程アマ―リアが落ちていった箇所に向けて、無造作に。



「ちょっ……!?」

「交渉の結果を果たしただけさ……話を続けよう」



 此処はアーカイヴの一部。

 わずかながらにもアーカイヴの機能を有する最後の空間。



「アーカイヴには独自の防衛技術があってね。

 世界各国それぞれ微妙に内容は異なるが、本筋は大体一緒だ」



 入り口の床に散らばった紙片。その一節を眺めながら。



「異能の無力化。異端書の効果を無力化する空間の構築」



 そう言って紙片を拾う。読まれることなく役目を終えた哀れな文章を。

 それを聞いてマーガレットは思い出す。

 異端書の存在を説明された際、彼は至って平然としていた。

 初めから知っていたのだろう。この空間でその武器は意味を成さないことを。



「だから、あんなに余裕があったのですね」

「正直実銃を出される方が危険だったことは否定しない」



 そして、と入り口の先。



「もう一つの機能は、この執務室自体の限定的な空間転移だ」



 移動しているのは入り口ではない。

 この部屋自身、この執務室が丸ごと転移していた。



「何時転移するか。何処へ転移するかは部屋の管理者が決める。

 ハーケンベルグの当主がね」



 落ちていった彼女の姿を思い出し、震えが止まらなくなる。

 嵌めたのだ。この男は。自身を無力だと偽り、罠にかけた。



「……最初からそうするつもりで?」

「何度も言うが、此処は墓標だ。

 コロンシリーズが、コロニストの意思が最後に行き着く終着点」



 先などない。人目に付かず穏やかに眠っていく。

 平凡な一生を書き記した日記のような本も。

 未来において同質量の金塊にも勝る価値を見出す事柄が記されている本でも。

 確定された過去を塗り替える可能性のある、金言の記された本でも。

 全て平等に死蔵されるはずだった。



「しかし彼女は此処に押し入ったわけだ。この墓地にあるものを寄越せと」



 なら当然。どうするかなど初めから決まっている。

 このアーカイヴという墓標を守る墓守の一族として、

 ハーケンベルグ家最後の当主としてやることは1つ。



「私は墓守だ。墓地を維持し、墓荒らしから守るのが義務なのさ」



 怪しく、しかし何処か寂しそうに彼は笑う。





 ◇◆◇◆





 落ちる。落ちていく。

 何も掴める物のない空間を必死にまさぐる。

 意味が無いとしても本能的に行ってしまう。



「……ッ!」



 紙片は使えない。

 恐らく何か仕込んでいたのだろう。

 飄々とこちらを誤魔化しながら騙していたのだろう。

 この一瞬の為に、自分が一番油断するその瞬間の為に。



「――舐めるなァッ!!」



 激昂と共に自らの戦闘装束の胴体から長い布が広がる。

 それは寸分の狂いもなくパラシュートとしての役割を果たす。

 展開が少し遅れたか、それとも元々このような高度で使用するものではないのか。

 落下速度は目に分かるほど遅くなるが、それでも安全圏とは言えない。



「しかしこれなら……!」



 ブックハンターとしての経験則が答えを弾き出す。

 大丈夫だ。この落下速度ならギリギリ受け身が取れる。

 かつて『狼殺し』と言われた一流のブックハンターだ。

 身体能力もそれなり以上に高い。



「一旦このアーカイヴを脱出し、本家の増援を待つ。

 それでいい。どうせあの男は此処から離れられない!」



 口元を歪め、平静を取り戻す。

 大丈夫だ。こんな修羅場は何度も潜り抜けている。

 そう安堵の感情を抱いた。抱いてしまった。



「あ……」



 遠く見える黒い点。

 それは瞬く間に大きさを変え、直方体のシルエットを明確にする。

 思い出した。あの男、最後に何を――





 ――直後、アマ―リアの頭部に一冊の本が叩きつけられた。



 意識が暗転する。

 ぶつかった本はそのまま暗闇へと落下していく。

 痛みと困惑が脳内を支配する中、彼女の意識は途絶えた。





お久しぶりです。これで一応本編は終わりです。

あとはエピローグを纏めて終幕ですかね。

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