第二話~空っぽの本棚へようこそ~
そして第二話です。
今回はコロンシリーズの簡単な説明と、サブタイトルの回収です。
ベルリン国立図書館。その歴史はとても古く、
一六六一年。時のプロイセン公フリードリヒ・ヴィルヘルムによって設立され、
その後一七〇一年にベルリン王立図書館、一九一八年にプロイセン州立図書館と名を変えながら、
現在のベルリン国立図書館になったと伝えられている。
ベルリン国立図書館は、ウンター・デン・リンデンに面して建てられた一号館と、
その後冷戦の影響で東西が分裂した為、西ベルリンのポツダム通りに建てられた二号館の二館に分けられている。
「――この辺りは、初めて来ます」
Unter den Linden。
『菩提樹の下』の意味を示す名のままに、菩提樹の並木道が美しいこの大通りは、
ブランデンブルク門から始まり、ベルリン国立歌劇場、フンボルト大学、ベルリン大聖堂など、
多数の歴史的建造物や、落ち着いた雰囲気のカフェが散見される観光地にもなっている。
マーガレットが目指す目的地――ベルリン国立図書館、その一号館もここに存在していた。
アレックスから渡された名刺を頼りに目的地まで辿り着いたマーガレットは、今更ながら彼を訝しんでいた。
「考えてみれば、のこのこと来てしまいましたけれど、
彼が本物である証拠、まだハッキリしてないんですよねぇ……」
コロンシリーズのことを当然のように知っていたあの口ぶりから見ても、関係者である可能性は高い。
しかし、ドイツにそのようなものを保管している裏話など聞いたことがない。
かくいうマーガレット自身もつい最近亡くなった執事の遺品である手帳に書かれていた僅かな可能性にすがったにすぎない。
(ドイツには、コロンシリーズを大量に保管できる巨大な保管庫があるといわれている。
手帳に書かれていたのはそれと管理者である一族の名……ハーケンベルグ家の名前だけ)
ほぼほぼ眉唾に等しい情報しかない。
そんなことは百も承知だ。しかし、マーガレットにはそれが法螺の類だとは思えなかった。
いや、思いたくなかった。
父も母も死に、残された自分を支えてくれた執事の顔を思い出す。
生意気ですぐ呆けた真似をする困った従者だったが、元ブックハンターとしての長い経歴と経験は何より信頼できるものだった。
今日この日、ここに自分がいるのはあの老執事がいたからだ。
生前は随分と騒がしかった彼が土の下で眠ることになった時、以前から密かに思っていた「書物の開放」を夢見るようになった。
馬鹿げた夢だ。叶っても人が死ぬ。それも大量に。
本当に希望が入っているか分からないパンドラの箱を開けようとする愚か者だ。正気の沙汰じゃありえない。
「……っ!」
知っている。知っているのだそんなことは。
でも止まれない。そんなラインはとっくに超えてしまっている。
こうして立ち往生している時も、組織の諜報員や他のブックハンターに出し抜かれるか分からない。
もう図書館の前まで来ている。あとは司書に連絡してアレックスの元を訪ねればいいだけ。
理屈ではわかっているのに、どうしても、一歩が踏み出せない。
(……どうにも、弱くなってしまったようですね。私は)
あの老執事はどう言うだろうか。
このような小娘のような未熟な様を見て、私の従者はどんな言葉をかけるだろうか。
慰めるだろうか、叱るだろうか、それとも励ましてくれるだろうか。
「……違う」
そうだ。あの老執事、最も信頼を置いていた従者なら、おくびにも出さずこう言うだろう。
『はっはっは、どうしましたかなお嬢様。粗相の心配ですかな?
ああ、トイレなら中に入って右側ですぞ?』
…………本当に言いそうだなあのクソ爺。
想像した幻聴に懐かしさとか悲しさとか水に流す勢いでかき消されたマーガレットは思わず歯噛みする。
長年の従者だった癖にやたら子ども扱いして煽ってくる奴だったなと思い出しながら、
先程までの葛藤が馬鹿馬鹿しいとばかりに一歩、足を踏み出す。
「くだらないことで悩んでましたね。本当に」
破顔した顔を隠すことなく、更に一歩。
「……行ってきます」
威風堂々と、彼女は真実へと歩みを進めていく。
◆◇◆◇
「――では、此方で少々お待ちください」
「ええ、ありがとう」
マーガレットが司書に案内されたのはどこにでもあるオーソドックスな応接室。
何事もなく普通に案内されて若干困惑しているマーガレットだったが、
そんなことを思いながら部屋で5分ほど待っていれば、思いのほか早く念願の待ち人が現れた。
「――すまないな、女侯爵殿。遅くなって申し訳ない」
「いえ、こちらも先程到着したところですから」
「そう言っていただけるとありがたい。
……まあ社交も手短に、早速案内しよう」
「え、いいのですか」
「そんなあっさりと。とでも言いたげな顔だな」
あっさりと案内しようとするアレックスの様子に困惑する。
当たり前だ。パンドラの箱を開けたいと宣言した輩に対して警戒心もまるでなく、
大したことでもなさそうにしている様を見ていると不安がこみ上げてくる。
しかしアレックスは彼女の反応を見て、特に気にした様子もなく。
「一号館へ案内した時点で、貴女にアレを見せることは確定している。
その気がなければ素直に『二号館の隠し扉をお教えします』などと言って姿を晦ますに決まっているだろう」
そう何食わぬ顔で宣ったアレックスは、先に行くぞ。と言って応接室を後にする。
どうにも気に食わないマーガレットはその様子を見て、慌てて応接室を飛び出した。
「ここを抜けて地下の階段を……ああ、ここだ女侯爵殿」
マイペースに手招きを行うアレックス。
「そんな気軽に……」
「構わん。どうせもうとっくに喪われたものだ。あの連中も長く見ていられるほど暇じゃない」
「あの連中……?というか、喪われた?」
「そうだな。まずは……コロンシリーズのことを話そうか」
悠然と地下への階段を下りながら、
アレックスは一言一言、段を下りながら語り始める。
「始まりは神の子が没してから70年経った頃だ。
エルサレムの陥落……俗に言うユダヤ戦争によりユダヤの民は世界へと離散していくことを余儀なくされた」
エジプトで奴隷のように扱われ、命を落とす者もいた。
貴き者に取り入り、力を得たものもいた。
いつか、いつか必ず故郷へ帰るのだと叫び続ける者もいた。
「そのユダヤ人が書き始めたモノが、コロンシリーズ」
「正確には『重要性の高い現象や思想、事実を後世に残すための手段』だとか言っていたな」
「先代が、ですか?」
「そうだ。私は先代である父からこの存在を教えられた。当時は子供だったから、大して興味も無かったがな」
いまやその父もいない。
戦火に呑まれた両親を想いながら、ため息をつく。
感傷は終わったはずなのに、人の死には如何せん慣れることはないと自嘲するアレックス。
「……話を戻そう。コロンシリーズを創り出したユダヤ人は『コロニスト』と呼ばれるようになった。
そして今も、彼らは存在している」
「それが……あの連中、ですか?」
「ああ、かくいう私もその家系ではある」
地下一階から更に奥。
閉架書架として扱われている内の一室へ足を踏み入れる。
「ここは……?」
「この奥だ」
部屋の奥へ歩を進めるアレックス。
そこにはみすぼらしい木製の扉に、雑に『倉庫』とペンキで殴り書きされていた。
「本当にここで合ってるんですか?」
「気持ちはわかる」
特に鍵もかけられていない、その扉の錆びたドアノブを引くと、
更に地下へと続く階段が現れた。
かなり年数の経っていそうな古い石造りの階段。
定期的に人が足を踏み入れているのか、苔むした様子はないが、
それでも古い。段の各所にひび割れが容易に見つかってしまうほどには。
「此処から足場が悪い。気を付けて」
「はい」
――下る。下る。
急というほどではない。
緩やかな螺旋状の階段を、二人はひたすらに下っていく。
ヒールの付いた靴を履いてこなくて良かった。
こんな階段を延々とヒールで下っていれば、脚が無事では済まなかっただろう。
明かりもないはずなのに、何故か薄ぼんやりと光る石壁を見ながら、
マーガレットは話の続きを促す。
「……それで、その」
「うん?」
「……喪われた。とはどういう意味ですか?」
先程彼は言った。
喪われたと。あの連中も長く見ていられるほど暇じゃないと。
「――正確には『見捨てられた』が正しいか」
「え?」
「コロニストの始まりの話は先程したな?」
「は、はい。散り散りになったユダヤ人達が始まりだと」
「そう、ユダヤ人達は書いた。遺るようにと、願いを込めて」
階段を下る。下る。
「ならば当然。遺す場所を造るはずだ。そうだろう?」
「それが此処ですか?」
「此処だけじゃない。コロニスト達は世界各地にコロンシリーズの保管場所……『アーカイヴ』を造った」
「『アーカイヴ』……」
「堅牢な構造。巨大な空間。コロニスト以外に知られることの無い高い秘匿性」
下る。下る。
しばらくすると階段の先、僅かな光が漏れ出していた。
あれがアーカイヴ?そう思いながら彼女は足を進める。
「――しかし」
「――ッ!?」
辿り着いた光の先。
開けた空間に目を細めたマーガレットは思わず驚愕を露わにする。
見えるのは巨大な空間。
上下を円筒状にぶち抜いた構造の広い、広すぎる空間。
その壁には先程の殺風景な石壁とは異なり、
数え切れないほどの本棚と古ぼけたタペストリーや絵画が所狭しと並んでいた。
外壁には本棚がびっしりと。
それに這わせるように螺旋構造の石階段。先程までよりかは更に緩やかな螺旋だが、
下へ、下へ。奈落への入り口のごとく、階段は続いていた。
しかし、しかしこれはどう見ても……
「――どんなに堅牢でも、管理するのは結局人だ」
「……まるで廃墟、ですね」
「二度目の大戦の折、コロニスト達は此処を手放さざるをえなかった」
「ナチス政権によるユダヤ人迫害……」
「祖先にはアーカイヴに引きこもる選択肢もあったらしい。
一次大戦の際は、確かにそうしていたらしいしな」
「では何故……?」
「祖先は同胞を見捨てられなかったらしい」
「……じゃあ」
「此処はあくまでも『本棚』だ。大人数が生活できる場所じゃあない。
結局祖先はアーカイヴに鍵をかけ。スイスへ逃げた。同胞とともにな」
緩やかな階段を再び下る。
よく見れば壁は至る所がひび割れている。
本棚も、本が入っている本棚を探す方が困難なほどに空虚を極めていた。
階段の手すりは錆び付き、赤錆の浸食が髄にまで染みていることが分かる。
「止めに三次大戦だ。それを機にあの連中……正確にはコロニストの上位機関のようなものだが、
そいつらは此処の放棄を正式に決めた」
「……先代がお亡くなりになったから、ですか」
「当時残っていたハーケンベルグは子供の俺一人。
欧州のアーカイヴも此処だけじゃない。必ずしも此処があるべき必要は無かった」
しばらく下りると、何かの階層に突き当たる。
今まで吹き抜けだった空間に、突如として部屋らしきものが現れた。
奇怪な現象に目を奪われるマーガレット。
「これは……まあ手品のようなものだと思ってくれ」
「理解できません……」
「理解する必要は無い。そういうものだと考えてくれ」
部屋の中に、すり抜けるようにアレックスが入っていく。
恐る恐る彼の後をついていくと、そこは会議室のような雰囲気を醸し出す一室だった。
此処だけ、おそらく此処だけなのだろう。アーカイヴの全盛をそのまま残しているのは。
高そうな調度品や磨かれた円卓を見て、そう直感した。
「放棄が決まると同時に、上位機関の連中は此処に保管されていたコロンシリーズの移管を進めていった」
「その書物たちは何処へ……?」
「さあ?そこまでは知らん。その時にはもうハーケンベルグの名は上位機関の名簿からは消えていたからな」
話を続けよう。
彼は円卓を眺めながら呟いた。
「ものの見事に空となった空間。
それを見てどことなく虚ろな気分になって階段を下りていた私を迎えたのがこの部屋だ」
「この部屋は一体何なんでしょう」
「僅かに残された先祖の資料を漁って出て来たのは、当主のみ入れる不思議な部屋というだけだ。
ただこの部屋は当主とそれに随伴する者しか入れない。そういう仕組みになっている」
彼は徐に、部屋の中心に向かって手を掲げる。
「此処のことはあの連中でも知らない。文字通りの秘中の秘だ」
――そして、彼は指を鳴らした。
「え……?」
「――移管されたコロンシリーズは全てではない」
音が鳴ると同時に、部屋の壁紙が消える。
その奥にあったのは、本棚。壁を覆う本棚。
その本棚にはびっしりと――
「先祖が遺した物、先代が遺した物。そして未だに此処へ集まる書物達」
「これが、全て」
――黒い、ただただ黒い背表紙がずらりと並んでいた。
「改めてようこそ、マーガレット・フィッツアラン=ハワード女侯爵殿。
既に終わった場所。喪われた空間に」
――直感に過ぎない。ただ分かる。
――本棚に並んだ書物は、全てコロンシリーズだ。
「――Lost Archiveは、貴女を歓迎しよう」
読了ありがとうございました。