第四話
「シィィィィいい、ああ、疲れた。ねえ、聞こえているのでしょう?」……
それは、脳が掴まれたようでした。頭が痺れるように熱を持ちました。さきほどよりもずっと酷い。彼女の声が耳元で聞こえたのです。きっとそこにいるのです。私の部屋に、こんなに近くに、どうして!
「私を無視するなんてひどいじゃない。どうせもうあなたには何もできないんだし、諦めたら?」
震える私に、彼女はそうささやきました。
「何をしても無駄よ。意味なんてない。だったら私にすべてまかせればいいのに。大丈夫。あの子よりきっとうまくいくわ」
「無駄ではありませんよ」
私は目の前が真っ暗になりました。だから固く固く瞼をつむったのです。その熱が、滲んだ涙を焦がしてしまうくらいに。
「うるさい……うるさい……あなただれなんですか。どうして私にかまうんですか」
「そう思うなら、聞かなければいいのに、ほんとあなたって愚かなのね」
「お願いだから、もう許してください……」
「それは無理よ。あなたが死なない限り、私はあなたを見捨てたりしないわ。あの子だってそう。ねえだってこうみえて、私たちは結構好きなのよ」
どうして彼女の声が聞こえてしまうのでしょう。
「嘘、嘘、嘘つきです。あなたたちは」
「本当に強情ね。そんなに嫌なら、あなた、早く死んでしまえばいいのに。そう願っているのでしょう。もう、疲れたのでしょう?」
「私はそんなこと、思ってなんか」
「だから私たちを生んだんじゃない」
私が、生んだ……?
「ええ、そうよ。そうです。私たちが生まれた理由は、あなたの話し相手になるためですから!」
それなら、何のために、でしょう。
「なら、あの言葉は……」
「そうよ、あなた、祈りは好き?」
祈り。そうだ。祈り。
「祈りは好きですか?」
祈りとは、私の望み。取りこぼしてしまったささやかなもの。
「あなたは何に祈りましたか」
「私は何にも祈っていません。祈りなんて、馬鹿々々しい」
「願いはあるでしょう?」
「願いももうありません」
「なら、あなたは何を望みますか」……
ああ、私の望み。私の望みはなんでしょう。
幼いころ、今よりももっと昔に感じていた、絶対的な美しいもの、 言葉には決して表せない陰謀めいたあの煌めき。
あれがもう一度見たい。
信号待ちの車のライト、急行列車はトンネルを抜けて、そうすれば目の前にはアパートの光が煌々としていて、それでも、あの輝きには届かない……。
そうすると、何もかもが嫌になってしまうのです。……
「私の望みは、私が叶えられると、そう言っていましたね」
「ええ」
「なら、この幻聴、この幻視には意味があるのでしょうか」
「ええ、でも、それだけじゃありません。ほら、こうしてあなたに触れることだってできます。そうすれば、寂しくないでしょう」
ふいに、後ろから抱きすくめられました。この柔らかい感触も、私を労わったその強さも、彼女たちは、本当に私の単なる幻覚なのでしょうか。必要なものなのでしょうか。わかりません、でも、こんなにも美しい声をしていて、こんなにも暖かいのに。
「理由はありますよ。私たちはとうに知っています、けど、あなただって知っているじゃありませんか」
「あなたが強情だから知らないふりをしているのよ」
「それは、救いですか」
「そうよ、私たちはあなたを救うために生まれてきたの」
「もういいでしょう」
「そしたら、私は死んでしまうのですね」
「ええ」
「なんだか、寂しいです」
「これが最後でしょうか」
「なにかいいますか?」
「私は、薬が飲みたかった。祈ることにはもう疲れてしまいました。それなのに、私がやめても周りは祈りつづけるのです」
「望みはもはや願いではなくなっていました」
「では、それがわたしの望みですか?」
「ええ、そして願いでもあります。そうでしょう」
「それは、救いですか」
「ええ、そうです、そうです」……