2.招かれざる貴人
「その子が。噂の、君の薔薇姫かい」
「ディー…」
腰に佩いた剣に伸ばしかけた手は宙に浮き、相手の名前とともに小さな息を吐く。
きゅっと、空をきつく握りこんだ指をゆっくりと下ろした。
「どうして…あなたが」
相手を非難する色を隠せない金色の双眸は一度伏せられ、
ぎりっと奥歯を噛みしめる音が響く。
周りを見渡した。
花々に隠れ、姿の見えない侍女。
見下ろすと、妹が一切の表情を消して見上げている。
優しく笑みを浮かべ、頭をなでてやると幾分和らいだ表情はついと闖入者へ向けられた。
“これは…、確実に自分の失態だな”
小さくため息をつくと、
実はよく知っ闖入者に なるべく不快の色を消し去るよう努めて、相対する。
「ディー。この閉じられた花苑が…当家にとって、どのような位置づけかご存知のはず。
あなただから、誰もお止めしなかったのでしょうが…」
呼ばれた彼は、どこか無機質なその声音を気にする様子もなく、
あたりを尊大に見回すと、軽く頭を振り嘆息した。
「『枯れない花』『永遠の春』『侯爵家の永遠の繁栄』……か。」
諳んじて、僅かに高い視線がルーの上に落ちる。
「そうだな。ここが、お前の大事な家を賛美する庭だと認識しているが。それがなんだ」
侯爵家に対する暴言に、ルーが片眉をあげる。
「なぁ、ルー。俺は理解できないな。
お前が『守りたい』と思う価値を、この庭のどこに見出せばいい?
花なんて、空腹の足しにもならなければ。武器にもならないこんなもののために。
………お前が時間を割いていることを残念に思うよ。」
何気なく話す間にもブーツの踵は可憐な草花を踏みにじり、
目の前で芳香を放つ花を払いのけると。くしゃり、手近の花を摘み取り、掌で散らせた。
零れる花びらを無感情な青い目が行方を見定めるように見遣った。
踏みつぶした花の上で見下すその姿、それがかつての記憶を呼び起した。
『花が侯爵家の繁栄の印なら。潰してしまえばいい。』
何のためらいもなく、高慢に言い放った言葉。彼だから許される言葉。
かつての彼が、変わらずに今と重なった。
「ルー」
いつの間にかあげられた、青い視線が逃れることを許さないように捉える。
『ルー』
今も昔も変わらず、まっすぐに響く声。
「お前が継ぐ必要なんてないだろう。」
『ルー。…お前が、継ぐ必要なんてないだろう』
幾度その言葉が繰り返されただろう。
あの時も、ディーだけがそう言って、重圧から解放してくれようとした。
それを、振り切ったのもまた自分だ。息を整えるように静かに瞼を閉じる。
あのときも、軟弱な自分は眩暈につぶされそうだった。
優しくルーを追い詰めるも、望む反応を得られないことに嘆息して、
視線を落とした先に仰ぎ見る少女を見つける。細い眉が僅かに動き、瞳が歪められた。
「君も、そう思わないか花神侯爵の隠し姫」
青い瞳が、厭われる意味も知らない少女を責める。
戸惑ったように一瞬感情の色が走った兄と同じ金色の瞳は
こらえるように落ちつきを取り戻し瞬きすることなく、沈黙を返す。
口元には微笑も困惑も何も映さない。
ただ、人形のように金の髪と飾られた花々が僅かな柔らかな風に揺れるだけ。
2.招かれざる貴人
侯爵家歴代当主が守り続ける花苑は四季を問わず、花であふれかえる。
それが常春の館と羨まれる由縁で、当主にのみ口伝されるという技術は
王ですら知ることはない。
”花神の侯爵”
華やかな一族の頂点に立つ当主は歴代その異名を継承する。
次期当主として、闖入者を排除し閉ざされた空間を取り戻すべく
ルーは、溜息をつき動き出した。
「ディー。」
排除するべき彼は、最愛の妹と視線を合わせ、
牽制し合うかのように一歩も譲らない深い沈黙。
「妹を巻き込まないでくれ。」
間に割って入り、背中に少女を隠す。
「……そもそも、なぜあなたがここにおられる。」
閉じられた庭園ということ以上に。
前の人物が予告なしに屋敷を訪ねてくることなど、ありえない。
「お前が、城にこないからだろう。」
さも、あたりまえのように答えが返る。わずかにルーの眉が跳ねた。
「私が剣を捧げたのは、殿下の妹君であるブランカ王女殿下であって。
あなたに、ディーに仕えているつもりはないが」
身分の差はあれど、億するような間柄ではない。
「言うじゃないか。」
皮肉気に哂い、さらりと髪をかきあげる。
思案するように首を傾け、ルーを眺め。許してやるとでも言うように、仕方なさそうに笑う
「まぁ、いい。」
何を思ったか、綺麗に表情を洗い消し。
王族のお手本のような微笑を浮かべて、つかつかとルーに歩み寄り、背後の薔薇姫をのぞき込む。
「姫君、失礼致しました」
優しい微笑と一部の隙もない所作。
王子の悪癖を思い出し、ルーが渋面をつくる。
それが内心たまらなく楽しいのを、隠して。
また、一変する。ほんの一時の間にさらけ出したすべての表情が嘘のように、
快活な笑顔で振り返る。
「お前がかまけてる、薔薇姫の顔をみようと思ってね。
夜会に出したらしいじゃないか。連れてくるというのら、私もその夜会に行ったのに」
だからこそ日も人も選んだのに、誰に聞いたんだか。
と、小さなつぶやきを拾ってしまう。
さらに楽しげに笑い、すっと視線を落とし眺める。
「自慢の薔薇姫は、長毛種の子猫かい?まるで、血統種だな。」
観察するつもりが、臆することなく見上げる少女から逆に視線を逸らせなくなると
困ったように微笑み強引に振り切る。
その様を見て、ルーは溜息をつく。
「すまない。また今度、お茶をしよう。」
「お兄様…」
少し、考えるように小首を傾げると淡く笑んだ。
ひたりと、金色の目はディーを捕え
「殿下」
柔らかな声が、射抜く。
「……突然…のこととはいえ、拝謁の機会を賜り大変光栄に存じます。」
薔薇色の唇が、優しく無邪気に言葉を紡ぐ。
続く台詞も、愛らしい好奇心が仄かに見え隠れしつつ。
ふと、何かが癇に障ったようにディーは無邪気なその顔を見下ろした。
見極めるように向き直る。
慇懃無礼という言葉をぴったりとあてはめられるほど
殊更丁寧に完璧に仕上げられた、礼作法。
そのさまが、愛らしくて仕方がないと緩むルーとは。
別の回路が働く。これは……。確信する。
孕んだ棘。王族たる自分が日常茶飯事のそれに気付かないはずがない。
売られた喧嘩は買ってやる。傲然と笑う。
第一位王位継承者でありながら
私事においては、感情の起伏を抑えようとしない迷惑な男。
彼にとって、親友の妹であることも。
薔薇姫と呼ばれ大切に傅かれて育てられた少女であることも、どうでもいいことで。
この出会いが、薔薇姫と呼ばれる少女を変えていく。
ルーが望む彼女のあり方と真逆に。
真綿でくるまれ、愛され甘やかされることを捨て
踏まれ詰られ、傷つきそれでも強く生きていくこととなる。
そう、出会いは最悪だった。お互いに。
…。視点が定まらずすみません。四苦八苦しています。
まず、第一に、名前が決められず。 いつまでたっても、薔薇姫って。。。
ルーとかディーとか。
そのうち、考えたら修正しようかと、