56.ハールーン
目が覚めると藁の布団の上に寝かされていた。
胸に重みを感じ、頭だけをあげて様子を伺うと千鳥の頭が俺の胸に乗っかっている。
「千鳥?」
「……むにゃ……! ストーム殿! よかったでござる!」
「一体これは? どうなったんだ?」
俺は謎の気配に気絶させられて……それがどうして?
体を起こすと、自分がどこにいるのかすぐに分かる。ここは、深層の拠点だ。
誰かが俺をここまで運んでくれたのか? まさか千鳥が?
千鳥と目が合うと、しばらく黙っていた彼がポツポツと呟き始めた。
「深夜に気配を感じ飛び起きて外に出たのです。そうしたら、ストーム殿が倒れていまして……」
「それでここに寝かせてくれたのか?」
「ストーム殿、お体は大事ありませんか?」
「うん、大丈夫だ。ありがとう、千鳥」
「はいです!」
千鳥へ礼を述べ、俺は言葉を続ける。
「誰かそこで見なかったか?」
「いえ、姿はまるで確認できず。残念ながら拙者の実力では、気配を感じ取ることができなかったです」
姿を見せなかった。となると、ファールードの可能性は無いな。
あいつはあの場で街への帰路についたはず。ひょっとしたら俺の後をつけてきていて……とか思ったけど、要らぬ疑いだったか。
やはり、俺を運んだのは隠遁で俺を気絶させた者以外有り得ない。
出会いがしらに襲い掛かってきて、俺を安全な場所まで運ぶとは不可解だ。
「大丈夫でござるか? 眉間に皺が」
「あ、うん。考え事をしていただけだよ。一旦、街に戻ろうか」
「はいです!」
謎だらけだけど、今は最深部で気絶して命を拾った幸運に感謝しよう。
◆◆◆
冒険者ギルドに立ち寄って、ルドンへ世界樹の果実の色がおかしかったことと俺を気絶させた謎の人物がいたことを伝えた。
しかし、彼も俺と同じで何ら手掛かりになる情報も持っていないようで、関係各所に当たってみると述べるに留まる。
俺は俺で、にゃんこ先生に聞いてみるとルドンに伝えて一旦屋敷に戻った。
屋敷でも村雲に聞いてみるが、彼も俺やルドンと同様に「とんと想像がつきませぬ」と首を捻る。
でもきっと、にゃんこ先生なら、にゃんこ先生ならなんとかしてくれると期待を込めてその日は就寝した。
――翌朝。
いつものごとくアポを取らずに突然にゃんこ先生を訪ねたが、彼は快く俺を迎えてくれる。
「ミャア教授。実は今、魔の森で不可解な事件が起きているのです」
「ふむ」
にゃんこ先生は知的な瞳を興味深く輝かせ、髭を揺らす。
俺はさっそく彼にこれまでの経緯を説明した。
「……というわけなんです」
「世界樹の果実がそんなことに。聞いたこともない」
「そうですか……」
にゃんこ先生でもダメかあ。
ため息をつきそうになった時、彼は愛らしい肉球をこちらに向けピンと指を立てる。
「『コーデックス』という言葉を聞いたことがあるかね?」
「いえ……どのような物なのですか?」
「知識の書と言われているものなのだが、これは書ではなく壁画なのだよ」
「何やら凄そうな名前ですね」
「うむ。街を出て南東にある『古代遺跡』のことは知っているかね?」
もちろん知っている。冒険者の間では結構有名で、この街くらいの広さがあるそうだ。
中央には高い塔が建っていて、昔はお宝が眠っていて儲けになったみたいだけど……今は目ぼしい物は取りつくされて何もないってアレックスが言ってたな。
「はい。行ったことはないですが、聞いたことは」
「その塔の最上階は一面に壁画があるのだよ。そこにびっしりと古代文字が書かれていてね」
「へえ、何て書いてあるんです?」
「それがだな。一部のみ書き写してきているものはあるのだが、不完全で断片的にしか読み取れていないのだ」
「でしたら、そこへ直接赴けば全て読むことができるのでは?」
「古代遺跡にはモンスターが我が物顔で歩いていてね。益になるか分からない物へそこまで費用をかけて見に行けていないのが実情なのだよ」
「なるほど。それでも、これまで知られていなかったことが分かるかもしれないんですよね」
「そうだとも。可能性は低いとは思うがね。何も手掛かりが無ければ行ってみる価値はあると思う」
ふうむ。藁をもつかむ感じになってしまうなあ。
「ミャア教授はその……古い文字でしたか? を解読できるんですか?」
「もちろんだとも。任せたまえ」
「もし、俺が護衛するとしたら付き合ってくださったりします?」
「入念な準備を行ってからになるが、それでもよければ。私とて、コーデックスには興味が尽きないのだよ」
「そうですか!」
にゃんこ先生と行くなら……徒労に終わってもいいかなあ。
ルドンも調べているし、俺の方でも三日ほど情報を集めてみて何ら手掛かりが得られないのだったら、古代遺跡に行ってみるか。
なんてことを考えながら、魔術師ギルドを後にする。
しかし、その日の晩、事態は急展開を迎える。
なんとアウストラ商会の商会長でありファールードの父親のハールーンから、俺へ招待状が届いたのだった。
「世界樹のことで相談したいことがある」と言伝を受けたが、さすがに耳が早いな。
身の安全を一瞬考えたが、商会長自らが二人きりで会おうと港にある四番倉庫を指定してきたので、隣の五番倉庫に人を配置することにして会う事を決める。
万が一何かあっても五番倉庫に逃げ込み、対応すれば何とでもなる。念には念を入れて赤色ポーションもたっぷり、村雲ら精鋭もいるし問題ないだろう。
◆◆◆
四番倉庫には入口にサングラスをかけた屈強な護衛が二人いるだけで、少なくとも外にはこれ以上の人はいない。
護衛に促され、中に入ると……意外や意外、中央にカウチとサイドテーブルがあるだけで他には何もなくガランとしている。
人はカウチに腰かける壮年の男唯一人。彼がハールーンか?
真っ赤なワインを傾け優雅に佇むその男は、俺の想像するアウストラ商会の商会長の姿とはかけ離れていた。
どこか気品ある風格を持つ彼は、どこか高貴な家にいる執事のよう。白い口髭を蓄え白髪オールバックのその姿は、ファールードとまるで違う。
「よく来てくれた」
渋みのある低い声。
ハールーンはワインをサイドテーブルに置きゆっくりと立ち上がる。
「お誘いいただきましたが、何用でしょうか?」
警戒を解かずハールーンへ問いかけると、彼は柔和な笑みを浮かべて握手を求めて来た。
「まずは自己紹介から行こうか。私はハールーン。アウストラ商会の商会長をやっている」
「俺はストーム。ウィレムでもどっちでも好きに呼んでくれ」
手を離し、彼はグラスへ新たなワインを注ぐ。
彼がそのまま俺へ手渡そうとしてきたので、首を振り断った。
「ワインは嫌いなのかな」
「いえ、アルコールの気分じゃありません」
「そうか……ふむ。ウィレムくん。君をここに呼んだのは一つ頼み事があってね」
何故そんな顔をするんだ。ハールーン。
俺の名を呼んだその瞬間、彼は酷く懐かしいものを見るような目になっていたのだ。
不可解だが、気にしてもいられない。
「内容次第です。アウストラ商会と俺たちは抗争こそしていませんが、協力し合う仲というわけでもありませんし」
「もちろんそれは知っているよ。ウィレム君」
「腹の探り合いはしたくありません。単刀直入におっしゃっていただけますか?」
「ふむ。順を追って情報を整理した方がいい。君のこれまでの行動を見るに直情傾向が強く思えるからね」
余計なお世話だ。確かにこれまで俺は挑発によく乗っかって来たけど……。
「かけたまえ」
ハールーンが手を振ると、何もない空間から彼が座っている物と同じデザインのカウチが現れたのだった。
「アイテムボックス……」
俺の呟きにハールーンは無言で頷きを返す。
「そうだとも。親子のスキルは受け継がれることが多いんだよ。君もね」
何気ない一言だったが、すぐに言葉の意味を噛み締め驚愕の事実に目を見開く。
この男……俺のスキルを知っている?
「ほら、そうやってすぐに気持ちが揺さぶられる」
肩を竦めて柔らかい態度を崩さないハールーン。
こいつは思った以上の際物だぞ……。柔らかな仕草に騙されてはいけねえ。気を引き締めろ。
自分を叱咤し、カウチへ腰かける。
「それでお話とは?」
「全く君は……先ほど順を追って話をしようと言ったところじゃないか」
「それでお願いします」
憮然とした顔で彼と目を合わせず応じた。
「世界樹の果実の色が変わった」
「はい」
「だから、君には古代遺跡に行ってもらいたい」
「よく分からないんですが……」
「ほら、単刀直入に言っても分からないだろう?」
「……ですね」
いかん、どうもこの人は苦手だ。でも嫌な感じがしないところが不思議で仕方ない。
なんだか、幼い時の自分が諭されているみたいで……。悪くない。
それが悔しいんだが。
「いいかい。君は勇者と魔王の物語なら知っているかな?」
「はい」
にゃんこ先生ともこの話をしたな。
確か、大賢者が実在するとかなんとか。
「大賢者は実在する」
「やはりそうなんですか!」
心を読まれていたみたいで気持ち悪かったが、それよりなにより世界樹の果実の色の原因を知るに一番だろう事実を切り出されたから、身を乗り出して聞き返してしまう。
「……と言われているね」
機先を制されガクリとする。
てっきり、大賢者の居場所でも知っているのかと思ったよ。
「まあ、これは冗談だ」
「そ、そうですか」
「本題はだね。伝説だと思われているようなおとぎ話でも真実だということもあるのだよ」
「なるほど。例を出したんですね」
「そうだとも。いいかい。『世界樹の果実の色』が変わる伝承もあるんだ」
やっと本題か。
「私は信じられなかったがね。どうも王族や一部大貴族の間では代々伝わっていることが分かった。それに」
「それに?」
もったいぶったように言葉を切るハールーンをじっと見つめるが、彼は口をつぐんだままワインを口に含む。
「いいかい。落ち着いて聞いてくれよ」
「はい」
引っ張るなあ。もう……。
「私の友人もそう言っていたんだ」
「は、はあ……」
やけにもったいぶったけど、だからなんだって言うんだよ。
肩透かしをくらった俺だったが、ハールーンの次の言葉で目を見開く。
「私の友人とは君の父だけどね」
「父さんの! ハールーンさんと父さんが知り合いだって!?」
「だから、落ち着いて聞いてくれと言ったじゃないか」
「は、はい」
ハールーンは説明を続ける。
今からちょうど二十年前、俺の父はこれより四十年以内に世界樹の果実の色が変わると予言した。
その時は、世界樹へモンスターを寄せてはいけない。そして、その時、一番信頼できる者を古代遺跡に行かせろと。
「それで俺に古代遺跡へ?」
「そういうことだ。しかし、蛙の子は蛙だねえ」
「それって……」
「君は自分のスキルについてどう思う?」
「最初は荷運びにしか使えないスキルと思っていましたが、鍛えると化けました」
「うん。そうだね。君の父は君に自分の特異性を感じて欲しくないと言っていた。だから君にトレーススキルは『外れスキル』だと思わせたんだよ」
父さんの気持ちは分からなくもない。トレーススキルはとんでもない壊れ性能を持つ。
スキルの真実を知ってしまえば、俺は普通ではいられなくなる。地味な暮らしをしようとしても、俺の血がスキルがそれを許さないだろう。
でもさ、父さん。
隠さないで教えておいてくれれば、俺が山にこもることなんてなかったのに……。
生きていたら一発ぶん殴ってやりたい。
「鍛えたのはあなたの息子が原因ですがね」
嫌味ったらしく言い返すのが精いっぱいだった。
しかし、俺の気持ちを知ってか知らずかハールーンは困ったように眉をひそめ苦笑するだけだ。
「君には感謝している。君の父と私の関係は私しか知らない。あいつも君に鼻っ頭を叩かれてようやく一人前になれた」
「話は戻りますが、俺じゃなくファールードとか実力ある冒険者でも良かったのでは? それに一人で行かずとも……」
「スティーブの求める条件に一番合致するのが君だ。それに、残った実力者にはやることがあるからね」
「それって……」
「順を追って話そうか」
「はい」
今度は素直に頷きを返した。
すると、ハールーンは満足気に俺を見やりワインを口に含む。
彼の態度に恥ずかしさからか頬が少し熱くなる……。お、俺だって学習するんだ。
「まず、今やらなければならないことが二つあるのはいいかい?」
「世界樹の防衛? と古代遺跡ですよね」
「その通り。それでだね。何か気が付かないかい? 古代遺跡に行くのは、ファールードではなく君だ」
なるほど。そういうことか。仮に、あくまで仮に。俺とファールードの実力がそう変わらないとする。
もしそうであるなら、ファールードが世界樹へ向かった方が効率がいいんだ。
いや、俺はファールードに負けてないけどな。実際勝ったし!
思考がズレてしまった……。あいつのせいだ。
ああああ。
頭をこれでもかと振り回し、ファールードのにやけた顔を頭の中から消す。
「どうしたのかね?」
「いえ、考え中なんです。もう少し待ってください」
世界樹での戦いは「一対多」もしくは「多対多」になる。モンスターは一体と限らないし、ハールーンの言葉通りだと防衛に向かうのは一人ではないだろう。
アイテムボックスは事前に収納さえしておけば無尽蔵の物量を誇り、再び収納することで長期戦も可能。
どんどん物を落とせば多数に対応できるしな……。
一方のトレーススキルは多彩なスペシャルムーブが売りだ。SPはすぐに尽きるから短期決戦向けだし、一対一において最高の力を発揮する。
「お待たせしました。ファールードではなく俺だって理由は分かります」
「そういうことだよ」
「でも、俺以外にも実力者はいるんじゃないですか? 冒険者とか……」
「私の知る限り、君以上の適役はいない。私が言うんだ」
ハールーンは茶目っ気たっぷりに片目を閉じた。
彼の情報網は俺なんかの比じゃないだろう。時間的余裕も考慮したら、俺が最適と判断したわけか。
「分かりました。俺が行きます」
「助かるよ。私の方はすぐに伯爵と王へ使者を送ろう。できれば騎士団を派遣してもらいたいからね」
「随分大ごとなんですね」
「そうだとも。なかなか大変な作業になるはずだよ。必要な物資は私の方で準備しよう。伝書鳩……いや使い魔を使おう」
「了解です」
なんだか大事になってきたぞ。
王様とか伯爵とか想像もつかない。
でも、俺のやることは至ってシンプル。古代遺跡に行くだけだ。
ん?
「まだ何か疑問点がありそうだね。何かな?」
「いえ、伯爵とはラファイエ伯爵ですよね」
「もちろん。スネークヘッドの街はラファイエ伯爵の領地だからね。おっとアンギルス子爵にも声をかけておこう」
「魔の森を挟んだ向こう側でしたっけ……」
「魔の森が作戦範囲だからね。かの子爵も手を貸してくれていいはずだ」
騎士団が来てくれるのはいいが、彼らの中でも最精鋭でないと最深部のモンスターは対処できないぞ。
まあ、俺が心配することでもないか。うん。
「何か考えているようだけど、王侯貴族へ声をかけるといっても数百人も騎士が来るわけではないんだ」
「そ、そうでしたか」
「最深部の怖さは君も知る通りだ。えりすぐりの中のえりすぐりは王国全土でもそうそう数はいない」
「そういうことでしたか」
納得した。
俺は立ち上がり、ハールーンへ会釈すると倉庫を出たのだった。
間隔が長くなり過ぎると思いましたので、前回より短めです。次回は月末までにー。