53.閑話3.ファールード
――ファールード
つまらない毎日だった。
俺はアウストラ商会の商会長であるハールーンの息子として生を受ける。父は商会を立ち上げ、一代でスネークヘッドの街における半分の財を独占するまでアウストラ商会を大きくした。
スネークヘッドという街の中だけであるが、アウストラ商会は民会や貴族を差し置いて街の王として振舞うことが許されるほどだったのだ。
そんな父の息子として俺は何不自由ない暮らしを送る。
貴族や金持ちが通う学校へ行き、武芸に学問を学ぶもすぐに飽きた。
手ごたえが無さ過ぎて、つまらなかったからだ。
例えば、フェンシングのスキルを持つとある子息が「自分よりフルーレを使える者はこの学校にいない」と吹聴していた。
面白いとこの時は思ったものだ。
これほど自信に漲ったこの子息ならば、俺が追いつけぬほどの歯ごたえがあるかもしれぬと。
相手はスキル持ち。こちらはスキルを持っていない。
一週間、フルーレを学びその子息へ挑みかかったのだが……弱い。彼は弱すぎた。
この時俺は、勝った悦びなどなくむしろ残念な気持ちで一杯だったのだ。
入学して半年でどの教科でも俺に敵うものはいなくなっていたし、スキル持ちで俺こそがと言う者でもこれとは……。
満たされない。
そこで初めて俺は乾きを覚えた。
学校を卒業すると、俺にとっては更なる試練が訪れる。
貴族や金持ちの生徒が集まる学校という組織は、個々人の家柄に関してなら俺より対等か格上だった。
だから、俺を殊更持ち上げたり、おべっかを使う者はいない(俺の能力を知ってからそうする者もいたが、少なくとも最初はそうではなかった)。
しかし、スネークヘッドの街では「アウストラ商会のボスの息子ファールード」なのだ。
既に身分において絶対的に高い地位にある俺へ誰もが面と向かって挑みかかってくることがなかった。
ならばと、俺が夢中になれるような困難で越えがたい壁をと思い探求する。
結果、俺はますます乾き……飢えた。
どうすればいい? 何をすれば俺は満たされる?
僅かばかり考えただけで、俺の天才的な頭脳は答えを導き出す。
戯れろ。
隙を作れ。
内憂外患……。
そんな言葉が頭に浮かんだ。
とんでもなく馬鹿な奴や自己顕示欲や自己保身の強すぎて使い物にならない者……そんな者を雇い入れ寵愛する。
こうすることで、俺を舐め切った者が挑みかかってくるかもしれない。
もう一つは、ばかばかしいことであるが街にいるチンピラのように振舞い、敵を作ることだ。
奪い、落とし、そして這い上がる者を待つ。
こんなことをやり始めるとすぐ父に呼び出された。
父の執務室で彼はじっと俺を見つめ尋ねる。
「何を考えているのかな? ファールード?」
「特には……」
すると父はため息をつき、肩を竦めた。
「ファールード。お前が三十になるまでは待とうじゃないか」
「父よ。あなたに何が分かる」
いきなりそんなことを言い始めた父へ俺は身を乗り出す。
しかし、父は落ち着き払ったまま言葉を続ける。
「お前は私の若い頃によく似ているからね。満たされぬのだろう? 自分が。何をやってもできてしまうから」
「何故それを……」
「私もそうだったからね。彼に会うまでは……」
何かを懐かしむように父は窓を見やる。
俺と似ていると父は言った。しかし、彼は満たされたのだという。
何故だ。
俺が満たされないというのに、父だけが満足できるなど。
怒り。
父へ向けるのはお門違いだと分かっていても俺は自分を抑えることができなかった。
「お前は自分が人から良く思われたいとか善人でありたいなど思っていないだろう。憎まれ蔑まれても自分の『欲』を満たしたい。そうだろう?」
「……」
「もし、三十までに満たされるのなら……」
「どうなるのだ?」
「その時が来れば語ろう。話はそれだけだ」
分かったような父の言葉が憎らしかった。
まあいい。三十までに満たされなければ、お前を手にかけよう。
そうすれば満たされるかもしれぬ。俺と同じ悩みを持っていたという言葉が嘘ではないのなら、俺よりは戦えるのだろう?
◆◆◆
時が流れ、俺はついに自分が挑むべき壁を見つける。
このまま挑むには圧倒的な実力差があり話にならなかった。
だから俺は二ヶ月の時間を作る。
二ヶ月間、初めて真剣に修行に打ち込んだが、毎日歓喜に打ち震えてたまらなかった。
腹が膨れ、生きている心地がする。
そう、俺はやっと食事を得て、歩き始めることができたのだ。
そしてようやく運命の日がやってくる。
これまでこれほど高揚したことはなかった。女を抱くのなど比べ物にならぬほどの恍惚と陶酔が俺を満たす。
体全体が漲る。生きている感じがする。
これが……満たされるということなのだ。
「負けを認めろ。俺がこの拳を振り下ろせばお前の頭はザクロになる」
「……仕方あるまい。今回は負けを認よう」
「……随分潔いじゃないか。驚いたぞ」
「ふん。事実は事実として受け止める。それでこそ天才なのだ……ククク」
ウィレムは強かった。
しかし、俺は満足していたのだ。
奴は強い。だからこそ嬉しい。
また挑める。まだ高い壁であってくれる。
笑いが止まらない。
ククク、ククククク。ハハハハハ。
◆◆◆
「父よ。あなたはこれほどの歓喜を得たのだな」
再び父の執務室で彼と会話を交わす。
「見つけたか。私も自分が敗れた時、歓喜に満たされたものだ。壁を超えることができれば、更なる歓喜が待っているだろう」
「『だろう』か……」
「そうだな。『だろう』だ」
父は勝てなかったのか。
面白い。俺は超えてみせる。
父の執務室を退出し、俺は笑う、嗤う。