44.重大な忘れ物
昼食前から飲んでいる連中の事はもう考えないことにして、エステルの宿屋で昼食を摂る。
給仕にきたエステルへこの後の予定を聞いてみると、空いていたので一緒に魔術師ギルドへ足を運ぶ。
魔術師ギルドのいつもの広い部屋でにゃんこ先生を待っていると、重大な抜けに気が付く。
――マタタビを忘れた。
ぐ、ぐううああ。
頭を抱えると、心配したエステルが俺の肩に手を乗せ目を向ける。
「だ、大丈夫ですか? ストームさん。どこか調子が?」
「あ、いや……仕方ない仕方ないことなんだ……」
「は、はあ……」
「体調ではないから安心してくれ」
丸い目をぱちぱちさせて、エステルは首をコテンと傾けた。
何のことか分からないって感じだよな? 説明していないから当然なんだけど、俺が単にモフりたいだけだなんて恥ずかしくて彼女へ伝えることはできないのだ。
モフモフ……にゃんこ先生の首元を撫でまわしたい。
考え出すととまらねえ。禁断症状のように手をプルプルと振るわせていたら、エステルに手をギュッと握りしめられた。
彼女は涙目で俺を見上げ、唇を震わせているじゃあないか。
「ほ、本当に大丈夫なんですか?」
「あ、うん……若気の至りというか……撫でたい……」
ついポロっと本音が出てしまった。
「こ、こんなところでですか……い、いえ。ど、どうぞ……」
「あ、うん……」
勘違いさせてしまったようで、エステルがそっと頭を差し出してくる。
さすがにそこで違うんだとか、真実を語るわけにはいかず彼女のふわっふわの髪の毛をナデナデと……。
エステルもまんざらではないようで、目を細め気持ちよさそうにされるがままになっていた。
「お? お邪魔だったかね」
声が聞こえると共に、びくうううっとエステルが明らかに動揺して、俺から体を離す。
声の主はにゃんこ先生で、分厚い本を小脇に抱え困った様子だった。
「あ、いえ。モフ……」
「モフ?」
「え、ええとですね。今日はいくつか相談事がありまして。いつものごとくアポ無しですいません」
「いやいや。基本私はここにいるからね。気にせず来るといい。君には何かと世話になっているからね」
にゃんこ先生の見た目とは裏腹のアルトボイスの穏やかな声を聞き、ようやく俺の気持ちも落ち着いて来た。
「魔の森で素材集めを生業にしようと思ってまして、そこでいろいろな製品作りにご協力していただけないかと」
「ほう。それは面白そうな話だね。ポーションかね?」
「はい。他にも魔の森で集めることができそうな素材でしたら、挑戦したいと考えてます」
「ふむ。街の人にもよく売れるものとなると日用品がいいだろうね」
「どんなものがあるんですか?」
「魔道具の灯り、生活に役立つ日常魔法が入ったスクロールとかあるかな」
「へええ」
「あ、そうだ。ストーム君。『魔力クリスタル』とかいいかもしれないね」
魔力クリスタルかあ。製造方法は分からないけど魔道具を動かすのに必要な動力源なんだ。
最初は透明なブルーだけど、使っていくとどんどん色がくすんできて最後は濁った茶色っぽい色になる。
こうなるともう使えなくなってしまうから、新しい魔力クリスタルを購入して入れ替える必要があるんだよな。
といっても、使用期間はとても長く、街灯だと二年はもつとか。
高度な魔道具ほど魔力の使用量が多いみたいで、魔力クリスタルの摩耗も早い。あまり詳しくないから、その辺よく分からないけど……。
「魔力クリスタルの製造に何か素材がいるのですね」
「うむ。そうなのだが、使用済みの魔力クリスタルは再生ができることを知っているかね?」
「そうなんですか!」
「魔力クリスタルは元々水晶へ魔力を込めるのだが、再利用となると濁ったマナを取り除かねばならないのだよ」
「ふむふむ」
「これが案外面倒でね。植物系モンスターのコアや体の一部が必要になるのだ」
「リスト化していただけましたら、集められるものは集めます」
「冒険者ギルドに依頼は出してはいるのだが、あまり受注がないのだよ。この依頼だけをやるに金銭効率が悪いとかでね」
なるほど。冒険者がやりたがらないのならもってこいだ。
俺たちは「ついで」に集めればいいだけだからな。これだけをやるなら実入りが少ないかもしれないけど、モンスターを探し片っ端から倒すなら対象素材は多ければ多いほどいい。
「魔力クリスタルは、新規製造より再生の方がコストが遥かに安い。宝石を使っているからね」
「それなら商売になりそうですね! ありがとうございます」
「他にもあると思うが……思いついたら連絡しよう」
「えっと、俺の方からも一つ提案があるんです」
「ほう」
「ポーションのことなんですが……」
ポーションに必要な素材を集めること自体はやるつもりだ。
しかしだな……俺は苦い顔でエステルへ目配せする。
見られた彼女ははてなマークを浮かべていた。
SPを回復する赤色ポーション。MPを回復する紫色ポーション。
この二つは経口摂取しなければならない。
赤色ポーションは十倍ほどに希釈したブドウジュースみたいで飲める。しかしだな、紫色ポーションは無理だ。
そこにいるエステルは例外として……普通の人にはあれは無理。無理過ぎる。
あの味を思い出しただけで吐き気が……。
「ポーションがどうしたのかね?」
にゃんこ先生は興味深そうにこちらを見やる。
「紫色ポーションの味なんですが、なんとかなりませんか?」
「ん?」
にゃんこ先生は合点がいかないといった様子なんだけど……。
あれ? エステルも首を傾げているし。
あれ美味しくないよね。無理だよね?
何だか俺の方がおかしいのかって気分になってくる。いや、絶対あの味はおかしいから。
「もうちょっと飲みやすい味に調整できないですか?」
「ほう。君が人族だからかね。あの味が苦手だと?」
「は、はい。赤色ポーションのような味にならないですか?」
「うーむ。癖になる味だと思うのだがね。食事のお供にするには少し値が張るが悪くないぞ」
絶句した。
絶句した。
大事なことだから二回。
「私もそれほどダメな味じゃないと思いますよ。ストームさん」
エステルがいやーな後押しをする。
連れてきたのが間違いだったか? 彼女を連れてきたのは別の目的があってなんだけど……。
「そこをなんとか……」
「分かった。検討しようじゃないか。赤色ポーションのように果物の味のみがするようにだね?」
「はい。できればそれで……」
「あの味のハーモニーが良いのだが。まあ、他ならぬ君の頼みだ。試作品ができたら試してくれ」
「ありがとうございます!」
飲めるものになるのか楽しみだ。
しかし、俺はこの時重要なことを忘れていた。
試飲をエステルに任せるわけにもいかないから、飲むのは俺だということを……。
まだ聞きたいことがある。
にゃんこ先生へ顔を向けると、彼の方から先に呟いた。
「ストーム君、お話はまだあるのだろう? 君の可愛い『彼女』を連れてくるくらいなのだから」
ぶしつけにそんなことをにゃんこ先生がのたまったら、エステルが困るだろ。
乾いた空気にならないかと不安に思い彼女へ目を向けると、両手を頬に当てて首を振っていた。顔は真っ赤だ。
……。
見なかったことにしよう。
「はい。エステルは『ステータス鑑定』のスキルを持っているんですが、ここで出てくる名称ってどこからきているのかなあとふと疑問に思いまして」
「なるほど。どこでそう思い至ったのかね?」
「最初は人の名前とかスキル名しか見えなかったので、そこまで疑問に思わなかったんですが、モンスターの名称が出て来たところで……」
「ふむ。この名を『誰』が名付けたのかってところだね」
さすが、にゃんこ先生。話が早い。
俺の言葉足らずな説明でもすぐに察してくれた。