37.そこをどけ
すぐに奴らの姿がハッキリと見えてくる。
いた……奴だ。
長髪にこそなっているが、あの軽薄そうな切れ長の目はファールードで間違いない。奴と相見えるのはクラーケンの後だと思っていたが、存外早い再開となったわけだ。
ファールードは尻餅をついているグラハムを悠然と腕を組んで見下ろし、口元にアルカイックスマイルを浮かべ顎をクイっとあげている。
あの態度を見ただけで、昔日のファールードと姿が重なり、俺の全身に力が入った。
やるか……ここでまとめて。
奴に手を出すのはまだ早いことは分かっている。奴はアウストラ商会の最高幹部だから、俺がファールードを倒したとなるとただではすむまい……。
そう理性はファールードへ殴りかかろうとする自分を否定するが、本能がそれを拒むのだ。
膝に力が入り、前を向く。
「ストームさんよお。今は手出し無用だよお。逃げたグラハムをヤリたい気持ちは重々分かるけどよお」
視界に開いた手の平が入ると共に、モヒカン頭の体がファールードへと続く道筋を塞ぐ。
「そこをどけ! ヨシ・タツ」
「もう少しだけ待ってくれよお。すぐ終わる」
両手を掲げて困った顔をするヨシ・タツだったが、俺の本能が警笛を鳴らす。
彼が何か仕掛けてくる! 何かは分からないが……。
途端、熱くなっていた気持ちが急速に冷え目の前のモヒカン頭に意識が集中した。
冷静になりヨシ・タツの動きを観察すると、奴の指先が不自然な動きをしているのが見て取れる。
これは……。
「超敏捷!」
「流水!」
やはりスペシャルムーブか! 咄嗟に何にでも対応できるよう、流水を唱えて正解だ。
詠唱終了と共にヨシ・タツの姿がブレる。
余りの速さに先ほどまでいた位置は奴の残像がそのまま残っている。
しかし、俺の腹に衝撃が入り、ヨシ・タツが目にもとまらぬ速さで俺を攻撃したことが分かった。
まともに攻撃を受けたわけだが、流水の効果で俺は身じろぎもしない。
「さすがストームさんだよお。そうそう簡単にやらせてくれねえ」
「おもしろいものを見せてくれて感謝するぞ。ヨシ・タツ。おかげで頭が冷えた」
「へへ、そうかよお」
俺は両手を掲げ、参ったなあとばかりに首を振る。
対するヨシ・タツも「へへへ」と鼻を指先で擦った。
なんで両手を掲げたのか?
油断も隙もないヨシ・タツに免じてこの場所を見守ろうとでも?
そんなわけないだろう?
この「前動作」は実に優秀だ。相手を油断させることができるものなあ。
「超敏捷」
「なっ!」
俺のスペシャルムーブ「超敏捷」の発動にヨシ・タツは驚いた声をあげる。
しかし、次の瞬間、奴は体をくの字に曲げ膝をつき床に倒れこむ。
というのは、俺の拳が奴の鳩尾へ入ったからだ。彼にとって思ってもみない攻撃だったのだろう、腹筋にまるで力が入っていなかったぞ。
もっともヨシ・タツのことだから、次は不意を打てないだろうけど今はこれでいい。
気絶したヨシ・タツをまたぎ、ようやくファールードとグラハムの元へと進む。
遅かったか。ヨシ・タツの邪魔が無ければ……。
俺がヨシ・タツと遊んでいる間に、グラハムが立ち上がりファールードへ挑んでいたようだった。
金属の合わさる高い音が響き、ファールードとグラハムが打ち合いをしている。
これでは手が出せない。
しかし、俺自身の今後にとってはこの方が良かったのだろう。ファールードにもグラハムにも暗い気持ちはもちろん持っている。
できれば俺が二人とも殴り飛ばしてやりたい。
大丈夫。頭はまだ冷えている。
戦いは一進一退に見えることは見えるが、二人の顔が真逆だ。
ファールードは不適な笑みを崩さず、逆にグラハムは額に青筋を浮かべ我慢ならないと言った様子だった。
ファールードは刀身の細い真っ直ぐな剣でグラハムの重いスレッジハンマーを巧みに捌いている。
両手武器対片手武器だと、リーチ・重さの点から圧倒的に片手武器が不利だ。ましてやファールードはあれほどの細い剣――フルーレで対処しているのだ。
一歩間違えれば容易く折れてしまうだろう。薄氷を踏むような思いでミリ単位の動きが要求されるはずなのに、ファールードは余裕を崩さない。
誠に遺憾ではあるが、俺はファールードの剣捌きを美しいとまで思ってしまった。
俺が知っているのは無骨な冒険者の達人だけだ。彼らの実戦から鍛え上げられた剣は力強く、強大なモンスターさえも倒し切る。
一方でファールードの剣はまるで違う。洗練された舞のような動きは、劇場で演武を見ているよう。
こと剣の技術だけで見るなら、ファールードは間違いなく強者と言える。
奴のスペシャルムーブが何か分からない現状、迂闊に近づくとあっさりとやられるかもしれない……。
何度スレッジハンマーを振り回そうが、まるで状況が変わらないことに苛立ったグラハムは大きくバックステップを行い距離を取る。
「てめえのスキルは知ってるんだ!」
吐き捨てるようにグラハムはファールードへ向けて叫ぶ。
「だから、何だというのだ? ククク」
心をざわつかせるような低い笑い声をあげるファールードの顔は軽薄なアルカイックスマイルを浮かべたままだ。
「これなら、防げまい! スマッシュ!」
大きく踏み込み、スペシャルムーブを発動させたグラハムは、ファールードの脳天に向けてスレッジハンマーを振り下ろす。
対するファールードは、膝を落として踏み込んだかと思うと高く飛び上がり、手首のスナップだけでフルーレを振るう。
フルーレは切っ先だけでスレッジハンマーに触れた瞬間、爆発するように弾かれてしまった。
衝撃に耐えることもなく、ファールードはあっさりとフルーレを手放すとそれはカランと音を立てて地面に転がる。
「スマッシュの効果は一度きり。これで唯の打撃に過ぎない」
余裕癪癪に呟くファールード。しかし、手には何も持っていないぞ。
一瞬あっけにとられたグラハムは、すぐに気を取り直し今度こそ当たる確信を持ってスレッジハンマーを振り下ろす。
ファールードは手を前に掲げるだけで体を逸らそうともしない。
キイイイン――。
有り得ないことに、金属音が響き渡る。
一瞬何が起こったのか分からなかったが、ファールードの手元を見て目を見開く。
なんと、ファールードの手にはフルーレが握られていたのだった。
自動で彼の手に戻ったのかと、床を確認すると先ほど飛ばされたフルーレは変わらず転がっている。
「ククク。何を驚いている? グラハム? 俺のスキルを知っているのだろう?」
「……チイイ!」
とっておきを使っても敵わぬと悟ったグラハムは動揺し、一歩退く。
「グラハム。お前ともう会うこともないだろうから、教えてやろう」
顎をクイッとあげて人を逆なでするような笑い声を出しながら、フルーレを払う。
虚を突かれたグラハムのスレッジハンマーが弾き飛ばされてしまった。
しかし、ファールードは攻撃の手を進めようとせず自分に酔ったように恍惚な顔を見せながら言葉を続ける。
「俺がお前を寵愛したのは、お前が『とんでもないバカ』だったからだ」
「な、なんだとお!」
「お前は実に面白おかしく踊ってくれた。凡人にはできぬよ。間抜け過ぎてな。実行力だけが無駄にあるところも素晴らしい」
舞台の上にいるかのように大仰に、芝居がかった仕草でファールードは独白を続けた。
「誰でも少し考えれば分かるようなことさえ考えることができぬ、その愚鈍さ。見ていて実に楽しかったぞ」
顔に手をあて、長い髪をかきあげながら目を細めるファールード。