零れた恋のその行方
誰かを好きになるのは自然な行為だ。
けれど、それを告白するとなれば途端に勇気が必要となる。
「遅い! いつまで待たせるんだミカゲは!」
明石ヒロノブは腕時計を確認した。
その時刻は午後六時四五分で、もうまもなく停留所に帰りのバスがやってくる時間。
いつもなら部活を終えた比留間ミカゲと合流していてもおかしくない頃だったが、肝心の彼女の姿はまだ影も形もありはしなかった。
停留所のひさしから体を上半身だけ覗き込む様に外に出し、ミカゲの姿を探して周りを見回した。
見えたのはミカゲの姿ではなく、地元の街に向かう帰りの市バスだ。
薄暗くなった街並みにヘッドライトを灯したバスが、停留所に向けて進入してくる。
ミカゲは何をしているんだともう一度腕時計を確認したところ、
「よ、明石。間に合ったね!」
振り返ればそこに比留間ミカゲの姿があった。
小さく体を揺らしながら肩で息をしながら、少し濡れた長めのボブヘアの髪を耳に掛ける仕草。
それが夕暮れ時の街路灯に反射したものだから、ミカゲに妙に大人びた印象を想った。
ドキリとした内心を隠す様に、明石は咄嗟に抗議の言葉を口にする。
「……お、遅いじゃないか。間に合ってねえだろ」
「ごめんごめん、そんな怒んないで。ほらバス来たよ、行こう?」
悪びれた様子もなくミカゲは笑って見せると、明石の手を引いて停車中のバスに駆け込んだ。
車内はいくつかの席が埋まっていたが、ちょうど奥にふたりがけの椅子が残っていてふたりはそこに腰を落ち着けた。
するとそれを見計らう様にバスが動き出して揺れる。
狭い椅子だけに揺れると互いの体が不用意に密着してしまうのだ。
「どうして今日に限って遅かったんだよ」
明石ヒロノブと比留間ミカゲの関係は微妙そのものだ。
ミカゲは女子水泳部の体育会系で、明石は漫画研究部である。それ以外の共通点は同じ高校に通い、クラスメイトであるというただそれだけ。
もう少しだけ掘り下げれば地元が一緒で、同じ町内。自宅の方向が同じだからいつも同じバスに乗るといった程度だろうか。
ほとんど何の進展もないまま小中高校と過ごしてきた間柄だ。
だけれども、お互いに一番近しい異性であることは間違いなかった。
「いつもなら先輩にどやされて、部活が終わったらさっさと解散になるだろ?」
「ん、そうなんだよね……」
だが、明石は少なくともミカゲの事を意識していた。
年頃の男子高校生、それも漫画研究部に所属している証からすれば、気楽に雑談できる身近な女子は、それだけで貴重な存在だ。
何より幼馴染と呼んでも差し支えの無いミカゲは、気心もよく知れていた。
まるでエッチな同人誌みたいなシチュエーションに、明石は密かに幸福を感じていたのだ。
だからこの時も訳知り顔で気軽に質問を投げかけたのだが、
「その先輩に呼び止められちゃってさ。ミーティングの後、更衣室の裏でね」
「何そのシチュエーション。告白イベントみたいじゃね」
「告白って言うか、デートのお誘い?」
「えっ」
返されたミカゲの回答は、明石をてきめんに驚かせた。
「先輩って、誰だよ」
「明石も知ってると思うけど、二年の播磨先輩。話があるから少し時間いいかって。それで今度一緒に映画見に行かないかって誘われちゃったんだよね」
「二年の播磨先輩……」
その名前には聞き覚えがあった。
ミカゲの部活話を聞いている時に、時たま出てくる名前だ。
水泳部のエースだか何かで、大会でもよくいい成績を残しているという話だ。
イケメンか? エースでイケメンなのか?
「ねえ、あたしどうしたらいいと思う?」
「告白はされたのか」
「されてないけど。そうね、たぶんそういう事だと思う」
明石の胸の鼓動は一気に激しくなった。
バスの揺れに合わせて、互いの肩が時折触れる。
エッチな同人誌の場合は幼馴染の寝取られシチュエーションである。
いや、明石は告白もしていないのだから、寝取られもへったくれもない。
「播磨先輩ってわりと真面目なひとだし、あんたと違ってオタクでもないし?」
「オタクは余計だろ。俺は軽い方だ」
「きっと軽い感じじゃないと思うんだよねー。段階を踏んでから将来的には告白とかになる感じ?」
「マジかよやべえ緊張してきた」
「あんたが緊張してどうすんのよ。だから、どうしたらいいかってあたしが聞いてんの!」
「そうだけど……」
どうしたらいいかって聞かれても、明石は反応に困った。
播磨先輩の人となりは聞いた事があるが、どういう人間なのか実際に見た事は無い。
もしかすると昼休み、ミカゲが水泳部の仲間と食堂で定食を食べている中にいたかも知れない。
どの男だろうかと思案したが、わからなかった。
しかしミカゲが明石のあわてふためく様子を面白がるように話を畳みかけるのが気になる。
いや気に入らない。
「たぶんだけど。デートの帰りとかに告白されそうな雰囲気かな」
「…………」
「ねえ明石。告白されたら、あたしどうしたらいいと思う?」
隣に座るミカゲが、ふたたび問いかけながら上目遣いに明石の顔を覗き込んでくる。
そんなのはなから断ってしまえと喉元まで言葉が出てきたが、思いとどまった。
断って俺と付き合えよって言えればどれだけ楽かしれないのだが、言えない。
けれど、止めなければミカゲは先輩と付き合いはじめる可能性大だ。
そうして素っ頓狂な事を明石は言い出した。
「み、ミカゲお前、デートした事とかあんの」
「あるわけないでしょ! 学校の帰りはいつも明石と一緒だしっ。休みの日は部活で疲れてほとんど寝てるだけだし……」
「だったら練習しとかないと不味よな」
「練習?」
「そうだ練習だ。部活だって大会の前には本番で失敗しない様に練習しっかりするだろ。それだ」
「そうだけど。練習って……デートの練習?」
「YES、デートの練習な」
少し自暴自棄気味になって明石は語気を強めた。
未練なのか引き止めたい一心なのか。
何でこんなことを口走っているのか、明石にもよくわからなかった。
だが一度ついた勢いは止まらず、明石はまくしたてる。
「よし決めた」
「な、なにを決めたのよ」
「お前、いつ播磨先輩とデートに行くんだよ」
「今度の日曜日だけど、ちょうど部活もないし予定も空いてたから」
現在水曜日だから、デート予定日までは四日しかない。
それまでに状況を何か改善しないといけないので、強引に話を進める。
「あ、あまり時間がないな。じゃあ金曜、明後日の放課後とどう? 俺と予行演習しとこうぜ」
「唐突ね。確かに明後日は部活がいつもより早く終わるけど……」
「じゃあ決まりだな。明後日の帰りの寄り道するか。駅前でお茶をしよう」
「お茶ぁ?」
「デートの時はお茶したりとか定番だろ?」
明石がそう宣言すると、ミカゲは戸惑った様に曖昧な返事をした。
財布の中身をあわてて確認しながら「デートもあるし足りるかな」などとやっていると、明石は露骨に顔をしかめた。
「言い出しっぺなんだから割り勘みたいなケチくさい事はしないぞ。たぶんコーヒー一杯なら奢れるからな」
「でもこれって、デートじゃん?!」
「違うぞミカゲ、デートの予行演習だ。考えてもみろミカゲ、部活の大会と一緒で普段からしっかり練習しているから大会本番で結果が出せるんだぞ」
胡乱げな視線を向けてくるミカゲを説得しなければならない。
予行演習でも何でもいいから、先輩に奪われる前に、こちらを向かせなければならない。
断固として。
「つまり今お前に必要なのは、大会の本番に向けてしっかりと練習をする事だ。予行演習をしっかりやっていたら、本番でポカをしなくても済むだろう」
「……そ、そうだけどさ。他に何かいう事が無いの?」
そして何かもの言いたげなミカゲの表情を、明石は振り払う様に否定した。
「他に何があるんだよ、練習あるのみだ!」
「ふふっ。まあいいけどさ、付き合ってあげますか明石に」
「予行演習に付き合うのは俺だっての、何でミカゲが上から目線なの?!」
「いいからいいから。明後日、金曜の放課後ねっ」
そんなやり取りがあって、ふたりは地元に到着すると互いにお別れをした。
先輩とデートなんかすんな、俺と付き合えとは言い出せなかったが、ヘタレの明石にしては勇気を出した部類だったかもしれない。
だが問題は予行演習という名のデートだ。
翌々日の授業中、明石はソワソワとした時間を過ごした。
あたりまえだ。
何しろミカゲどころか、異性の友達と出かけるのは小学校を卒業して以来の事である。
漫画研究部の部活仲間と男女あわせて同人イベントに出かけた事はあるが、ふたりきりという事は無い。
「そもそもあいつらは腐ってやがるからな。男女の恋愛より男同士の恋愛しか興味がない連中だ」
「何が腐ってるのよ、ずっと授業中は腐った魚の眼みたいにしてた癖に……」
いつもの停留所でいつもの時間。
ふと声をかけられた瞬間に明石が振り返ると、はにかみ笑いをしたミカゲがそこにいた。
ポンと明石の肩を叩いて「よっ」なんて気安く声をかける彼女。
けれどその言葉とは裏腹に、少し緊張の色を表情に浮かべていた。
「な、何であんた緊張してるのよ」
「そういうお前だって眼が泳いでるじゃないか。ほら行くぞっ」
予行演習をするだけなのに。まるで本当のデートをする様な緊張感だ。
できるだけ普段通りにバスに乗り込んで、普段通りに空いた席に並んで座る。
意識してしまうと、ふたりは先日よりもバスの揺れで密着する度にドキドキした。
「最後に出かけたのって、近くの川で釣りに行ったときだよな」
「あの時ボウズだったわよね。あんた川に落ちたし」
「うるさいよ! むかしの事は忘れた」
「……ちょ、降りるんでしょ。降車ボタン押してよ!」
「しまったついウッカリ……」
「もうしっかりしてよね予行演習にならないじゃないっ」
普段通り過ぎる駅前でバスを下車すると、学校や仕事帰りの人々で賑わっている駅前繁華街を歩いた。
新鮮な感覚はあるが、気まずさもそこにある。
ところで予行演習にかこつけてお茶をしようと切り出した明石だが、さすがに普段使っている様なファーストフードで時間つぶしというわけにはいかない。
財布の中身はすでに確認しているが、余裕もある。
予習とばかり恋愛イチャラブの漫画やラノベを参考にしようとしたが、創作物の世界はぶっとびすぎていて参考にならなかった。
「で、どこに向かってるのコレ……」
「駅前にあるシアトル系コーヒーショップかな。ちょっと大人の雰囲気があるし、いいかなと思って」
そこで明石が行ってみようと思ったのは、ドリンクの名称が不思議な呪文みたいなシアトル系コーヒーショップだった。
ゆったりとした店舗空間とソファが設置されいる。
通りに面したガラス張りのショップを覗き込むと、いつもオシャレな女性やビジネスマンたちが雑談をしたり読書をしたり、あるいはパソコンを広げて作業をしている姿を目撃した。
明石の想像する大人のデート空間がそこにはあったのだ。
「ハァ? デートの予行演習なのに、なんでコーヒーショップなのよ。いつもとかわんないじゃん!」
「お、オシャレじゃないか? アイス抹茶フラペチーノとか言ってみたいじゃねえか」
「いつも友達と行ってるし、しかも明石の苦手なめっちゃ甘ったるいヤツだよ?」
「マジかよ抹茶なのに甘いのか。てか行った事あるのかミカゲ……」
漫画研究部のオタクでは絶対行かないシアトル系コーヒーショップに、ミカゲは普段から通っていたらしい。
ふたりの住んでいる世界がまるで違ったという衝撃を受けながら、明石は絶望した。
「なに突っ立ってるのよ。入るんでしょ?」
「お、おう。メニューとか不思議な呪文みたいな名前なんだよな、俺よくわかんないんだよなテレビで見たぞ」
「わかんないところにどうしてこようと思ったのよ?! あ、わたしキャラメルマキアート、キャラメルソース少なめチョコソーストッピングで」
「お、俺もそれで」
入店のタイミングが良かったのだろう。
比較的スムーズにレジ前に並んで注文を済ませた。
やはりメニュー表を見てもどれも不思議な魔法の呪文みたいな有様でチンプンカンプン。
明石はミカゲと同じものを頼む事でお茶を濁す事にした。
「これじゃどっちが予行演習に付き合ってるかわかんないじゃないの。あ、受け取りは別のカウンターだから」
「そ、そうか。ええと先に席を取って来てくれ、俺が持ってそっちにいくから」
「あらそういうところは気が利くじゃない?」
「予習してきたからな……」
じゃあよろしくとミカゲが苦笑してソファ席を探しに離れる。
明石は見えない様に小さくため息をついて、しばらく心を落ち着かせた。
インターネットでデートの予習をしておいてよかった。
スマホさまさまだぜと、ポケットに収まった携帯電話をひと撫でしたところで、マグカップを受け取って席に向かった。
ミカゲの座った場所を探すと、店内の奥にあるゆったりとしたソファスペースを確保していたらしい。
スクールバッグを足元に置いて、何やらスマホを確認している姿が見えた。
「お待たせ。いい席とれたじゃん」
「いつもは空いている事めったにないんだけど、今日はたまたま」
いつもって事はやっぱり普段から来ているのか……
などと内心に自分との差に落胆しつつも、ミカゲを見やると。
彼女は今も熱心にスマホで誰かと連絡を取り合っているみたいである。
友達だろうかと
「ほい、どうぞ。誰とやってんの」
「ありがと。ん、先輩と」
「……そ、そうか。何だって?」
「見に行く映画何がいいかって。今やってるのだとあたしアクション系が気になるんだけど、先輩にドン引きされるかな?」
「いいんじゃないか。B級とかホラーとか偏ったやつじゃなければ」
聞くんじゃなかったと明石は落胆した。
落胆してマグカップを持ち上げながら自棄な気分になって口に運ぶ。
「あんまっ。甘いなこれ」
「まあそういう飲み物だし、あんたもわかってて同じものにしたんじゃないの?」
コーヒーは甘かったが、明石は胸焼けする様な気持ちになった。
むしろ妬けたというべきだろうか。
「さてと、」
「なっ何だよ」
「今は明石と一緒に時間過ごしてるんだから、こっちはもうお終い。あんたに悪いもんね」
そんな悪戯な言葉を口にしながらニッコリとミカゲが笑った。
時々彼女が見せるこういう何気ない笑いが明石は好きだ。
この笑顔を播磨先輩に取られてしまうと思えば、悔しくてたまらない。
「……改めて考えると、デートの時ってどんな話するんだろうね」
「雑談じゃないのか。クラスであった話とか友達の噂とか、後はこんなところに行ってみたいとかさ」
「それ、いつも帰りのバスでやってる事とかわらないじゃん」
「それじゃ予行演習にならないよな」
「じゃああんた、どこに行ってみたい?」
「ミカゲと?」
身を乗り出したミカゲが、テーブルに頬杖をついて微笑んだ。
考えたかことも無かったが、デートの定番と言えば映画に遊園地、水族館みたいなところだろうか。
夏ならプールや海水浴、冬場はスキーかスノボ……明石は文科系なのでこっちは遠慮したい。
「俺はミカゲと一緒にいれるなら、どこでもいいかな。映画館とか水族館も行ってみたいけど、背伸びして行かなくてもこうしてお茶してるだけでも落ち着くし」
思案してみたが、思いつかない。
だから自然と口をついて明石はそんな言葉を紡ぎ出した。
するとミカゲはちょっと驚いた顔をした後に、ニッコリと笑い返しながら言葉を受け取る。
「それじゃデートに代わり映えないじゃないの。あたしは水族館行ってみないけど」
「じゃあ今度行くか。夏休みになったら部活も休みあるだろ、そしたら隣の県ぐらいまで遠出する事もできるんじゃね」
「うん、いいねそれ。隣の県なら大きな水族館もあるしね。あそこのジンベイザメあたしも見てみたい!」
どこかに出かける約束するだけでもこんなに楽しいのか。
明石は嬉しそうに思案に暮れているミカゲを見てそんな風に思った。
はじめてのデートだが、デートは楽しいものだと思った。
予行演習でもこれだけ楽しいのだから、本番はもっと楽しいはずだ。
「でも、駄目だよ」
「えっ……」
「もしも先輩と付き合いだしたら、それって浮気してる事になるじゃん?」
言われてみればその通りである。
急に真面目な顔を作ったミカゲに宣告された明石は、曖昧にそうだなと返事をしてから押し黙ってしまった。
そこからしばらくして何も会話が無くなってしまい、お互いに手に持ったマグカップをイジイジとしているだけだった。
時間が過ぎていい頃合いになって。
「そ、そろそろ帰ろっか。あんまり遅くなると宿題する時間なくなるし」
「おっおう。バスも込んでくるしな。って、今何時だ?!」
ちょっぴり楽しい予感のあった予行演習は、来るべき厳しい現実を突きつけられて終わりを告げた。
今ならまだやめとけとミカゲに言葉を駆けられるはずだったが、不甲斐ない明石からその言葉が出る事は無かったのである。
駅前ロータリーに移動して、バスに乗り込み自宅方向に向かう。
時刻は午後八時を回ったところで、ふたりは椅子に座る事ができなかった。
吊革に手をぶら下げて、時々いつもの様にバスの揺れに合わせて肩が触れ合う。
「本番、明後日だな。予行演習は参考になったか」
「なるわけないでしょ、あんたほとんど役に立たなかったし」
「うるせえ。でも俺は参考になった。ありがとよ……」
「あんたが参考になってどうするのよ?!」
停留所前で、お互いに罵り合いを軽くやってしまう。
いつもならこうしてじゃれる様にして互いに帰宅するのだが。
ここでお別れしてしまえば、播磨先輩とミカゲはデートに行ってしまう。
今ならまだ断れよと言えるはずなのに、焦って言葉が出ない。
その沈黙を最初に破ったのはミカゲの方だった。
「まあでも最初で最後になるかもしれないし、楽しかったよデート」
「せ、先輩と付き合いだしたら帰りも別々になるだろうしな。嫌われない様にデート頑張れよ!」
「……ありがとね。まあ適当に頑張るわ」
イーっと白い歯を見せてお道化てみせたミカゲに、とうとう明石は切り出す事ができなかった。
最後に切り返した売り言葉に買い言葉は明らかに失敗だった。
どこか寂しそうなミカゲの表情を、今更ながらに気が付いて後悔した。
「馬鹿だ俺は……」
背中を向けて街路の暗がりに消えていく背中を追いかけて、明石は呟いた。
ミカゲがデートに向かった当日。
明石は早朝からソワソワとして落ち着かない気持ちで過ごした。
いつもの日曜日なら遅くまでゴロゴロしているか、部活で作成している同人誌の原稿に取り組んでいるかどちらかだ。
絵は上手い方ではないが、描いていると落ち着くのだが今日は違った。
何枚もネームを描き散らしてはそれを消去する。
パソコン前でイライラしながらイラスト作成ソフトと睨めっこしているだけで、時間は無駄に過ぎて行った。
「もうこんな時間かよ。今頃ミカゲは播磨先輩とやらとデートの最中かな」
時刻はちょうど正午辺りに差しかかっていた。
昨晩の事だが、スマホでデート予定の詳細をミカゲが嬉しそうに教えてくれたのだ。
「余計な事しやがって。気になって仕方がない……」
駅前で待ち合わせをしてまずはランチに出かける。
チケットはすでに予約してあるから、食後にシネコンに行って、何とかという新作を見る。
結局ホラー映画を見る事になった様だが、デートにそれでいいのかミカゲ。
映画の後はどこかでお茶をする予定だそうだ。
時間があればそのままショッピングモールを見て回って夕方に帰って来るという。
「考えてみれば、どうしたらいい? って聞かれた時点で、俺に止めてほしかったって事なんじゃないのか?! だったら俺はやっぱり馬鹿だ。俺はいつもそうだ、誰も俺を愛さない?!」
原稿作業が苦しくなった明石は、そのままベッドの上に転がった。
夏の同時にベントに向けて〆切は目前だったが、今はそれどころではない。
仰向けになって天井を眺めながら、スマホを見ては大きなため息をつく。
とうとう部屋でじっとしているのもたまらなくなり、上着を羽織って明石は自宅マンションを飛び出した。
忘れたい。忘れたい一心で何か違う事をしようとする。
本屋に立ち寄って漫画コーナーに顔を出してみれば、ラブコメ漫画のタイトルばかりが眼に飛び込んで微妙な気分になった。
意味も無く外をふらついても、今頃はこうしてミカゲが播磨先輩と歩いているのではないかと腹立たしくなった。
もう手遅れだというのに、後悔の気持ちが広がった。
「いやまだ手遅れなんかじゃない。もし播磨先輩が告白するなら、映画を見た後のお茶をするタイミングか、あるいはショッピングモールでいい雰囲気になっている時か、帰り際だ」
次もまたデートしてくれる?
そんな投げかけとともに、想像上の播磨先輩がミカゲにイケメンスマイルを浮かべる姿が脳裏に浮かんで。
その前に絶対に阻止するなら、今からでもスマホで告白するべきなんじゃないかと明石は思った。
「ホントは面と向かって言うべきだったが、今はもうしょうがねえ」
どうせ播磨先輩にミカゲを取られてしまうなら、ダメ元で告白すべきだ。
すぐにスマホを取り出した明石は、どこか落ち着いて告白の文面を考えられる場所を探した。
たまたまここからすぐ近くに、むかし明石とミカゲが魚釣りをして遊んだ河川敷があった。
芝生の生えた堤防に腰を下ろした彼は、そこで一心不乱に文章を書いては消し、書いては消しを繰り返して最終的に、次の様な文章に落ち着いた。
『好きです。今さらだけど好きです。
ミカゲを他の奴に取られたくない。
手遅れかも知れないけど、俺と付き合ってください!』
何の飾りっ気も無い思った事をストレートに書いた文章だ。
けれどまぎれもない今の明石ヒロノブの気持だった。
震える手つきでSNSのメッセージを送信して、しばらく画面を凝視していた。
今は映画を見ている時間か、そろそろ終わる時間だろうか。
三分、五分、十五分と焦れる様な時間が経過する。
三十分余りがようやく経過したところで、SNSの画面に「既読」の文字が浮かび上がった。
「見たね?! 返事は、返事はまだか?!」
日曜日の昼下がり、周囲の眼も気にせず吠える様に明石が叫んだ。
返事が来るとは限らない。
何しろミカゲは播磨先輩とデートの最中なのだ。
ふたりの雰囲気が上手くいっているのならば、もう明石の割り込む余地は存在していないかも知れなかった。
それでも、それでも一縷の望みに賭けて明石は待ち続けた。
しばらくして帰って来たメッセージは、ひと言こう書かれていた。
『バカ』
その意味がわからない明石は、何度もそのメッセージを凝視して次の返事を待ち続けた。
けれどいつまでたっても続きのメッセージが送られてくる事は無く。
気が付けば太陽が大きく西に傾いて、カラスが明石の代わりに鳴き叫んでいた。
「……おいっす」
石化した様に大の字になって芝生の堤防で転がっていた明石に。
不意にそう問いかけてくる声がした。
「?! いつからそこに居たんだ……」
「今しがた。映画の帰りがけにここ通ったら、明石の死体が見えたから」
「死んでないわっ?! まだ生きとるわっ?!」
「ふうん、その割に、死後数日たった顔みたいに血色悪いけど」
あわてて体をガバリと起こした先に、意地の悪い顔をしたミカゲがしゃがみ込んでいる。
気合の入った服装なのは間違いない。
水泳部のせいもあって普段は見慣れていない、セットした髪型。
それにブラウスとキャミの組み合わせに、太ももが眩しいショートパンツのルックスだ。
「で、デートの邪魔してすまん」
「ホントよもう。ああいう告白とかはさ、もう少し前に言ってくれないと意味がないと思うんだけどね?」
「そっそれで播磨先輩とはどうなったんだ」
「一緒に映画見て、それからショッピングして帰って来たよ。先輩とお揃いのシャツも買って来たんだ」
そう言ってミカゲは手に持っていた紙の手提げ袋を見せてくれる。
この際中身なんてどうでもいいが、お揃いのシャツと聞いて絶望の顔をして明石は起き上がった。
ペアルックかよ、ペアルックとか古すぎだろ。でも突っ込むところはそこじゃねえ!
「じゃあもう俺は手遅れだったのか……?」
「手遅れ、って事はないかな。だって播磨先輩って女だし」
「えっ」
「いや明石がさ。いつになったら告白してくれるかなーって、先輩に相談したらさ。ちょっとカマかけてみないって提案されたんだよね。残念だけど間に合った感じかな?」
悪びれも無くツラツラとそう言ってのけたミカゲに、明石は両手をついてガックリとうなだれた。
「何だよ女かよ先輩。よかった本当によかった……」
「何泣いてんのよ。それで告白の返事とかは知りたくないわけ?」
「知りたいです、マジ知りたい!」
立ち上がった明石は、素っ頓狂な声で返事をした。
「どうしよっかなぁ。ずいぶんヘタレ明石に告白されるの待たされたし」
「いやそれはマジですまんかった」
「お詫びにどっか連れてってくれるんだったら許してもいいかな。水族館、こんどの連休に行かない?」
それって――
明石がかすれた声で問い返そうとしたところ、あっかんべーをしたミカゲが袖を引っ張った。
「とりあえず今からコーヒーショップに行って、計画決めよ!」