私が長男の母親になった瞬間
ここで話を、長男3歳半が発達障害だと診断された時に戻します。
戸惑いや、未来への不安を感じました。
でも、それよりも大きく感じたのは、安堵でした。
ずっと長男の育児について悩んでいました。私の躾が悪いから、我が儘なのか。私の愛情が足りないから、よく癇癪を起こすのか。
駄目な母親なんじゃないか。
そうではなく、脳機能の障害だった。私が悪いわけでも、長男が悪い訳でもなかった。
心底ホッとしました。肩の荷が下りた。
心が楽になったら、次はどうすればいいのか、何をしてやればいいのかと思いました。
障害とは、何か。この子は何が出来なくて、どう困るのか。知らなくては、どうしようもない。
医者には性格の問題だと言われました。誤解されやすく、怒られやすいのだと。
姑が長男に「死ね」と言った時を思い出しました。私が抱いた殺意を思い出しました。このままだと、この子に待っているのはあの未来。それは悲しい。
たった一人でも、理解者がいれば救いになるんじゃないか?誰かがなってくれるのを期待してても、駄目だ。だったら、私がなろう。
誰一人この子を理解しなくても、私だけでもこの子の理解者になろう。
私は、長男の専門家になることを誓いました。
私がちゃんと長男の母親になった瞬間でした。
それから、私は長男を観察しました。
本当に観察です。
長男がどういうときに癇癪を起こすのか。何で起こすのか。癇癪を起こしているとき、どんな様子か。どれくらいの時間、癇癪が起きているのか。収まったのはどれくらいか。
じーっと見てました。第三者の目で。
感情に引き摺られて、苛々しないように、判断を誤らないように、表情の変化を見逃さないように、冷静に冷静に、意識してあまり声をかけないように、ただ観察しました。
お陰で腹も立たない。
その代わり、なんかちょっと虚しいな、これ。
せっかく母親として決意したのに、なんか研究者とモルモット状態じゃない?
とか思いつつも、観察者に徹しました。
観察しながら、時々実験もしてみました。
癇癪を起こしているときに、声をかけてみる。声のトーンも変えてみる。タイミングも変えてみる。
反応は?癇癪が収まるか?逆か?
で、最終的に前にも述べた癇癪の収め方を編み出したわけです。




