秀斗side・僕の妹
2017.11.25 一部修正しました。
ぼくはお母様が大好きだ。まだ幼かったからぼんやりとしか覚えてないけれど、白銀の糸のようなふわふわした髪で赤いつり目のお母様は、甘えるたびに頭を優しく撫でてくれていた。お父様が撮ったという写真に写るお母様は美人で、ぼくを膝の上に乗せて幸せそうに笑っていて、そしてベッドに横になっていた。からだが弱かったらしい。
そんなお母様はぼくが二歳になったばかりのころ、二度目の出産をしてこの世を去った。屋敷で侍女たちといたぼくは何も知らずに、隣国との境に住むおばあさまに預けられた。
お母様に会えなくて夜泣きした。会いたい、会いたいとくずった。お母様はどこにいるのかと侍女たちにしつこく聞き回った。
侍女を困らせていたぼくの頬をおばあさまは強く叩いた。
『秀斗、よくお聞きなさい! よいこと? あなたはお母様から離れなくてはならない、お母様に甘えるのは卒業しなければいけないのですよ!』
『どうして? ぼくはお母様に会いたい…』
『っ、……もうあなたはお母様には会えない、一生会うことはできないのです…!』
お母様のお母様であるおばあさまも悲しくて仕方がなかったんだと思う。余裕のないはりつめた顔でおばあさまはぼくを叱った。それでやっと、お母様はぼくをおいて、ずっと遠くに行ってしまったんだと理解した。
屋敷に戻ったとき、出迎えてくれたお父様の目の下には濃い隈ができていた。
いつも明るかった屋敷の雰囲気はひんやりと冷たくて、はたらく使用人の表情も暗かった。
長身のお父様は固いタイル張りの床に膝をついて、何も言えないぼくを抱きしめた。
『秀斗……お前に、妹ができた。可愛い子だ、お母さんが頑張って産んでくれたんだ。……お兄ちゃんとして面倒を見てあげなさい』
『……はい』
お母様はどうしたのとは訊けなかった。
初めて見た妹はすやすやと眠っていた。
あたたかな毛布に包まれてのんきに寝返りをうつ妹に苛立ちが湧いた。
おまえのせいでお母様はいなくなってしまったんだと言いたかった。言ってもどうせ分からないだろうけど、この気持ちをどこかにぶつけなければ気がすまなかった。
この時点で妹を、ぼくは嫌いだった。
成長した妹はお母様そっくりだった。銀糸の髪も猫のようなつり目も、赤色の瞳もすべて。病弱なところも同じだった。毛先が天然の縦ロールだということだけが、お母様と妹との見た目の違いだった。
それでも性格はまったくと言っていいほど似ていなかった。
お母様はこの家の太陽のような存在で、身分や主従の関係なく気軽に接していたから誰からの人気も高かった。記憶にあるお母様の周りではみんなが笑顔だった。
それに対して妹は酷かった。
「わたくし、にんじんはきらいなの。こんなりょうりはたべれないわ」
朝から晩まで我が儘ばかり。お父様以外には偉そうに命令を繰り返し、偶然二人に出くわしたときには、わざわざ目の前でお父様にベタベタ甘えて、悔しくて睨むぼくを笑った。
妹の周りでは誰もが顔をしかめた。
「おとうさま、かえてくださらない?」
「そうか、しかたない。別のものを頼めるか?」
そんな妹をお父様は溺愛し、あの手この手を使って妹の"おねがい"を叶えようとした。
どこの何が食べたいと言えば馬を走らせて、今すぐ街へ行きたいと言えば仕事を放棄してまで出かけた。どんな無理難題でも応えようと自らの足で駆け回った。
たぶんお母様の姿と妹が重なってしまったんだと思う。さっきも言ったように二人はそっくりだったから、嫌われたくなかったのかもしれない。
「うふふ」
ますます妹を嫌った。嫌悪した。
───ある日、妹が倒れた。
数日前に婚約者予定の少年が訪ねてきていたことは知っていた。
その少年と対面した妹は突然頭を押さえて苦しみだし、それから倒れたのだと聞いたぼくはチャンスだと思った。
今なら、妹が意識を失っている今なら、お父様とゆっくり話せるかもしれない。
どうせいつもの発作だろう、と妹の部屋をノックした。聞こえてきたのは憎い妹の声だった。
もう起きていたのか。ガッカリしながら入って、それでもお父様と話すのを諦められず、勉強を教えてもらえないかと頼んだら、やっぱり断られた。
ぼーっと座っている妹にいつか感じたのと同じ苛立ちが湧いて、すれ違いざまに強く睨んだ。いつもなら妹は勝ち誇ったように醜く唇を歪めて笑うはずだった。
でも、違った。
妹は「えっ?」と言いたげに目を見開いて、僕の顔を凝視した。
そして僕をお兄ちゃんと呼んで引き止めた後、あろうことか、お父様に僕と一緒に行けと言い出した。
正気を疑った。
あの妹が、ぼくに嫌がらせをするのが大好きでことあるごとに邪魔してくる妹が、まるでぼくを気遣ったようにお父様に"行け"?
熱で頭がやられてしまったのでは。ふつうに気味が悪い。
その後、にこにこと手を振っていた妹が気になって、また部屋を見に行った。
妹はうなされていた。あねき、と途切れ途切れに呟いていた。
それに、顔が真っ赤になっていた。おでこに手を当ててみるとかなり熱い。お父様にしらせておこう。そっと手を退けたとき、「待って!」と飛び付かれた。
心臓がバクバクと鼓動を速めた。
ぼくの手を握った妹はなぜか驚いて、困惑しながらも慌てて手を放した。危なげなくベッドから降りるとヨロヨロとドアに向かっていった。
扉の傍にきた妹は先に出ていけとぼくの背中を押そうとし、バランスを崩して倒れかけ、急いで支えたところでそのまま気絶した。
「!?」
どうしていいのか迷ったが、とりあえず妹を背負って運んだ。やっとの思いでベッドに押し上げて、もう一度おでこに手を当ててみると、熱は前より上がっていた。
今思えば、メイドでも呼んで任せてしまえばいいものだった。でもそんな簡単なことが思いつかなくて、自分でどうにかしなくてはと焦っていた。
習いたての初級水魔法をつかった。マーフィー先生にはまだ使ってはいけない、危ないと禁じられていたけど無視した。頭に手のひらを向けて早口で回復の魔法を詠唱した。緊張でからだが震えた。
妹の顔色が良くなったのを確認して安堵したら、ものすごい眠気に襲われて、そこからの記憶はない。
起きたとき妹は居なかった。廊下から話し声が聞こえてお父様と二人で話していると分かった。しばらくして、部屋にお父様が入ってきて床に座るぼくに手を差しのべ、「三人で夕食にしよう」と微笑んだ。
「秀斗は、なにか好きなものはあるのか?」
「え、あ、はい」
夕食のあいだ、お父様はぼくに話しかけてくれた。
最初は戸惑って曖昧な返事を返すだけだった。途中からお父様は落ちこみ始めて、そこでお父様は本当にぼくと会話がしたいと思っていると気づいた。嬉しくて笑えば、お父様は愛想ではない純粋な笑みを向けてくれた。
妹は珍しく大人しかった。発作のせいなのかな。
僕とお父様を見てちょっと…嬉しそうだった。
◆◆◆
あの日から数ヵ月。ぼくと妹──かおりの関係は良好だ。
始めのうちはやっぱり何か企んでいるのかもしれないと怪しんだ。けれど何時までも変わらない態度にそれはないと確信して、今ではすっかり普通の兄妹。
かおりはマーフィー先生にも気に入られて、彼女自身もマーフィー先生を好きらしく「フィー姉」と呼んでいる。
ぼくのことは「秀にいさま」。
本当は呼び捨てでもいいけど、貴族では兄妹でも呼び捨てが好まれない。年上の者が呼び捨ては構わないのに年下が呼び捨ては駄目なのだ。
関われば関わるほど、かおりはおもしろかった。
自分を"病弱もやしっこお嬢様"と称して体力づくりをするのだと庭で走ったり、なぜだか分からないけど木に登ろうとしたり。
しかもそれが微妙にさまになっている。
生まれてから木登りなんてしたことないはずなのに、猿のように枝に足を掛けてすいすい登っていくんだ(ちなみに大抵途中で落下する)。
「かおり、大丈夫!?」
「へ、へいきですわ! ゲホッ、ゴホッ……」
「これからは登らないようにね」
「ええっ!? ひどいですわよ秀にいさま!」
もう妹を憎むぼくはどこかへ行ってしまった。
───
ぼくは涼宮秀斗、かおりの兄。そしてかおりは僕の可愛い妹。
兄としての座も、かおりも、
いまのところ、誰にも譲るつもりはないよ。
いつの間にシスコン……。