第九話 朝っぱらからお楽しみ
窓の隙間から差し込む日差しに起こされて。
「ん……ぅ……?」
コロナはベッドの中でもぞもぞと蠢いた。
「……もう朝、か」
少し眠気の残る呟き。
それもそのはず。結局、昨夜はフロンとお互いが力尽きるまで交わっていたのだから。
いつもそうするように、旅費節約のためシングルベッドの部屋にしたものだから、ちゃんとした場所で寝るとなると、交代制か一緒かのどちらかしかなく。
基本的に二人くっついていた方が温度的にも快適とあっては、後者が選ばれるのは決定事項で。
あとはいつものように求め合い、体を重ね、眠りについた。ただそれだけ。
平常運転。そう、平常運転だ。
ベッドに入る前、部屋に必要以上に強力な結界を張り、その上罠まで仕掛けて安全確保に勤しんだのは、治安に不安があったからであって。
最初から心行くまで行為に耽ろうなどという、いやらしい気持ちがあったからでは決してない。断じて。
――なんてね。
鳥たちの囀りを耳に、フロンなら鳥たちのお喋りが理解できるのになと。
コロナは少し残念に思いながら、ゆっくりと身を起こしていく。
裸身を赤子のように丸め、コロナにくっつくようにして気持ち良さそうに眠っていたフロンは、コロナと体が離れた途端に眉をひそめ、寒そうに身を震わせた。
そのまま起きるかと思えば、フロンは眠ったまま何かを探すように手を動かす。
「ぁ――んっ!」
つい上げてしまいそうになった嬌声を、コロナは咄嗟に両手で口を塞いで押し殺した。
太腿や脇腹といったコロナの敏感なところを、フロンの指が這い回ったためだ。
やがてコロナの腰を探り当てるや否や、ぎゅっとしがみつく。
「まったく……。この娘ったらもう……」
言葉とは裏腹に嬉しそうな笑みを浮かべたコロナは、どこか満足したようなフロンの寝顔をたっぷりと眺めてから、今度はほっぺをつんつん、むにむにと。
優しくつついて、軽く摘んで、その手で感触を確かめる。
(……うん、今日も柔らかい)
すぐには目を覚まさないのをいいことにやり始め、もはや日課のようになっているこの行為。
そこまでやってから、ようやく起こしにかかる。
「起きてフロン、もう朝だよ?」
名残惜しさを胸に秘め、ゆさゆさと軽く揺すりながら呼びかける。
「ふみぃ……?」
うっすらと目を開けたフロンは、よくわからない声を漏らした。
もし起きなかったら色んなところにキスするつもりだったが、一応は起きてくれたらしい。
それはそれで残念な気がしないでもないコロナではあったが、別にキスならいつでも気ままにやっているし、昨夜も数えるのが馬鹿らしくなるくらいしたので、今は起きてくれたことを素直に喜ぶことにした。
「おはようフロン。ぐっすり眠れた?」
「…………?」
「いや、首を傾げられても私にはわかんないよ?」
「んにゅ……」
呼びかけに反応して、動いたり何かしら話そうとしているから、起きていることには起きているのだろう。
ただ、意識は鮮明というには程遠いらしい。
「ちゃんと起きてきなさいよ? お姉ちゃん、歯磨きしたりシャワー浴びたりしてくるから」
体を離せば、じきに寒さで意識もはっきりするだろう。
コロナはそう判断してタオルだけ手に取ると、その間の自身の冷却も兼ねた水浴びをするべく、備え付けのシャワー室の方へ向かった。
――……――
コロナが移動してから何秒か経って。
耳を澄ませて待機していたフロンは、シャワーの音を確認した途端、素早く身を起こした。
「今の内に……」
先程までの眠たげな様子が嘘のような機敏な動きで、目的の“それ”を姉の荷物の中から探り出す。
そう、嘘である。
フロンは、コロナがシャワーを浴び始める時を待っていたのだ。
「えへへ……」
にやにやと、だらしない笑みを浮かべたフロンが手にしているのは、コロナが昨日身に着けていた服一式だ。
いつもなら昨日の内に済ませている洗濯だが、あまりに疲れていたので、今回は起きてからということになっている。
そのおかげで他のものとは分けられ、しかも取り出しやすいようになっていたから、すぐに見つけることができた。
それをわざわざ取り出して何をするのかというと……。
「うへへ……お姉ちゃんの匂いだぁ……。すぅー……はぁー……」
コロナの服を大事そうに抱えると、フロンは匂いを嗅ぎ始めた。
ある地方に生息する珍しい生き物に、『穢れ知らずの翼毛玉』と呼ばれる翼の生えた“何か”が存在する。
そんな噂を聞いて探し出した姉妹ですら、結局のところ何なのかわからないような。
けれど、もさもさっとした純白の翼だけは鮮明な、なんとなく丸っこい生き物だったが。
その呼び名の通りの性質――汚れを浄化したり跳ね返したり、そもそも受け付けなかったりする――はちゃんと保有していたので、必要な分だけ毛やらなんやらを分けてもらい、姉妹はそれで旅用の服を何着か作った。
本体から離れたことによるものなのか、加工が原因なのか。
多少の劣化こそあったものの、それは術と姉妹の熱さ冷たさであらかた補ったので、結果として服はほとんど汚れることなく、それ故に余計な臭いとは無縁となっている。
そのため、純粋に姉の残り香が楽しめるようになっているのだ。
「すぅー……、――……んはぁ……!」
ひとしきり嗅いで満足すると、今度は着用し始める。
「うぅ、わたし太ったのかなぁ。ちょっと腰回りきついよ……。胸周りは余裕あるのにぃ。
でも、お姉ちゃんの服、また着れた……えへぇ。
脚は……これはこれでスースーするよぅ。
スカートみたいに捲れたり覗かれたりしないけど、これはこれで人前に出るのは勇気がいるよ……。なんか見せつけてるみたい……。
そういえばお姉ちゃんは、胸見られる方が嫌だから視線を誘導したいって言ってたっけ……。それでなのかな……?
こんな露出の多い服装とお姉ちゃんの体つきからして、見る人はどっちもありがたく見るだけのような気がするよ……?
ひっ――くしゅん。あうぅ……。寒いけど我慢……、我慢だよわたし……」
恍惚としたかと思えば、ぶるっと身震い。
寒気に体を震わせながら、それでもフロンは姉の服を脱ごうとはしなかった。
コロナが戻ってくるまで、フロンはできるだけこうしていたかった。
大好きな姉と、同じでありたかった。
匂いを嗅ぐだけでは飽き足らず、着用までして。
それも、いくら綺麗とはいえ、使用済みを。
こんなこと、普通はしないだろう。
今のフロンはどこからどう見ても、紛う方なき変態だ。
こんなところをコロナに見られでもしたら……。
「…………へ?」
それは、偶然だった。
なんとなく視線を、コロナの向かった先へと移した。そうしたら、見えた。気づいてしまった。
じっと、シャワー室の隣、洗面所になっているところから、こちらを盗み見ている目の存在に。
「あ……、ばれた?」
「に、にゃあああああああああああ!?」
フロンは思わず奇声を上げていた。
「な、なな、なんで、お姉ちゃん、だってまだシャワー浴びて……?」
ちゃんと水の音は続いているのに。
シャワーから放たれる。ものに当たる。床のタイルに落ちる。排水口に流れ込む。
それぞれの際に水が奏でる音色が、今も続いているのに、どうして。
「ああ、音だけ流してるんだよ。音術石に記憶させといたんだ。ここは水が豊富みたいだけど、できれば無駄遣いしたくないし。何かあったらフロンに余計な負担ちゃうから」
術石は一つ無駄にしちゃってるんだけどねと、コロナは苦笑しながら歩み寄ってくる。
「待って、お姉ちゃん待って。おかしい、おかしいよ! なんでそんな音録音してるの!?」
「こんなこともあろうかと、用意しておきました! だって気になるじゃない? なんだか時々ね、水浴びとかシャワー浴びに行ってたりと、私がいない間に人の荷物漁ったりとコソコソしている娘がいるみたいなの。フロンは何か知らない?」
「さっ、さあ? だ、誰だろうねぇ、それ。どんな子かなー?」
「ほんと、誰かしらねー?」
「………………」
「………………」
数秒、両者共に沈黙。
「ふ……」
「……ふ?」
「ふしゃぁああーっ!」
静まった部屋の中、羞恥やらなんやら、色々な感情の嵐に、フロンはとうとう耐えられなくなって。
もうどうにでもなれとばかりに、いきり立った猫さながら、コロナへ飛びかかっていった。
「えっ、ちょっ、フロ……!」
浮遊感の中、くるんと一瞬で天地がひっくり返ったかと思えば、次の瞬間には背中からベッドに優しく落下させられていた。
姉の声は慌てていたのに、こんな急な動きにも対処できるのか、なんて。
フロンは今何が起こったのかを、ぼんやり天井を見つめながら思い返そうとして――止めた。
今はそれどころではなかった。
「こーらフロン、いきなり飛びかかってくるなんて、私はともかく、あなたが怪我したらどうするの?」
両手を押さえ足を絡めつつ、覆い被さるようにしてこちらの身動きを封じたコロナ。
姉の呆れ顔を視界の端に認めつつも、フロンの目は姉の裸体のある点に釘付けだった。
コロナが四つん這いのような体勢になった結果、なんとも美味しそうな二つの果実が、フロンの目の前に吊されている。
その食感も触感も、どちらもよく知っている。
それだけに、ふと湧き上がった欲望が、フロンを支配してしまって。
(――欲しい)
生唾を飲み下すと、ごくりと喉が鳴った。
「…………食べたい?」
「…………っ!」
どうやらコロナにも音が聞こえてしまっていたようで。
フロンの異変に気づいたコロナは、にやっと、フロンに不吉な予感を抱かせる笑みを浮かべた。
これは……そう、何か意地悪なことを思いついた時の笑みだ。
「べ……、別にそんなこと……ないよ?」
口ではそう言いつつも、フロンの視線はいくらコロナの乳房から逸らしたところで、吸い寄せられるかのようにそちらへ戻ってしまう。
これでは欲しいと言っているようなものだ。
「ねぇ、フロン。私は聞きたいな。お姉ちゃんの使用済みの服なんか着て、どんな気持ちなのかな?」
「そっ、それは……」
「にやにやしてたよねぇ? 嬉しかった? 恥ずかしかった? そ・れ・と・も……」
初めは優しく。次は甘く。最後はフロンの耳元で、内緒の話をするように、
――気持ちいい?
「――――っ!?」
責めるような口調ではないはずなのに、コロナの言葉はねっとりと体に絡みつき、触られてもいない体に生じた“いつもの”感覚に、フロンは堪らなくなって体をくねらせた。
(どうして? 恥ずかしいのに、どうしてこんなっ、こんなに――!)
「お、お姉ちゃん……。お願い! も、もう許して……」
すっきりしたくて手を使おうにも、コロナにしっかり押さえられてしまっていて動かせない。
「フロンったら、それはどういうことなのかな? 何を許すのかなぁ? それより質問に答えて欲しいなー?」
「ううっ……。そっそれは……」
「それは?」
「……――いです」
「よく聞こえないよ?」
「――ちいいです!」
「もう一回」
「気持ちいいです!!」
言ってしまった。
そう思うと、一気に体から力が抜けていくのを自覚した。
「よくできました」
時を同じくして、姉による拘束も解かれる。
ちょっと名残惜しいような、そんな気がしたのは気のせいということにしておきたい。
「……ぐすん。お姉ちゃんのいじわる……」
「こそこそして、素直に言わないからよ?」
「だ、だって」
「いつも言ってるでしょう? 私はフロンのものだって。だからね、フロンの好きなようにしていいのよ?」
フロンの頭を撫でながらそう告げるコロナは、もう意地悪ではなく、いつものコロナだった。
その後、お互いに綺麗にしてから、ご褒美として差し出された姉の体を、フロンは心行くまで堪能した。