第八話 ゴリラな店主と謎な肉
固まってしまったコロナの見上げる先で。
眉間に皺を寄せた、様々な意味に取り得る微妙な表情で佇むのは、色黒で彫りの深い顔立ちの男性だった。
もみあげと繋がった髭は濃いめで、不思議と空白地帯になっている口の周りを除いて、顔の下半分は黒で覆われている。
何よりゴツいと言う他ない筋肉質な体は、黒を基調とした大きな服がはちきれそうになるほどだ。
そこに、やや灰色がかったエプロンをしているものだから、ぱっと見ゴリラかと言いたくなる姿になっていた。
顔つき体つき次第では熊になっていたかもしれない。
そんな外見もあって老けて見えるので、若さは感じられない。五十は越えていそうだ。
どれだけ若く見積もったとしても、三十は越えているだろう。
むしろ越えていなかったら怖い。謎の方法で外見や身体機能を保っている師匠じゃあるまいし。
フロンが喋るゴリラと言ってしまった彼こそ、この店の主にして料理長である。
名をラミン・グドというらしい。
ゴリラっぽいという話は事前に聞いていたので覚悟はしていたのだが、想像以上だ。
実際に対面してみると、なんというかもう、調理風景が想像できないというか。
普通にやっていたらそれはそれで『嘘でしょ』と言いたくなる。
実は着ぐるみで、中に誰か入ってる……なんて。
そう言われると、本気で信じてしまいそうだ。
「妹が大変失礼なことを言ってしまい、申し訳ありません」
我に返ったコロナが真っ先に行ったのは謝罪だった。
フロンといえば、頭を下げたコロナの対応を見てから、男性をもう一度よーく見て「あっ……」と零した。
どうやら状況を理解したらしい。
冷静に観察すれば、もしくは考えればわかることなのだが、生憎フロンはこういう娘だった。
「ごめんなさい……」
隣に来たフロンと共に、二人並んで頭を下げる。
店から叩き出されるだけで済めばいいのだが。
「………………」
何かされたわけでもないのに、無言で見下ろす店主の視線が痛い。
姉妹の脳内では既に拳骨が落とされていた。
……もし本当にそうなったら痛いでは済まないだろうが。
「こちらこそ、驚かせてしまって済まなんだ。お嬢さん方、頭を上げとくれ。こんな形をしとるから、そう思うのも仕方なかろうて」
先程の第一声と同じく、老いているような若いような、どちらとも判別つかない声だった。
年齢不詳の店主に促され、姉妹揃って恐る恐る顔を上げる。
その先で二人が見たものは、
(……アンデッドや奇形種より凄いことになってるんだけど、私たち逃げなくて大丈夫なのかしら)
(ひゃうっ! ……ゆ、夢に出そうだよう……)
店主が安心させようと浮かべた笑顔……なのだろうが、そうであって欲しいと本気で願いたくなるくらい、恐ろしい表情だった。
それからほどなく。
テーブルの上は、夏と冬が同時に訪れているかのような様相を呈していた。
しっとりとした冷たい生地の中に、滑らかさを失わないギリギリの温度にまで冷やしたクリームチーズを包み込んだパン。
薄緑の色彩が美しい枝豆の冷スープ。
しっかり身の引き締まった笹身入りの、彩り豊かな冷たいフルーツサラダ。
こんな具合に、コロナの前にはひたすら冷たい料理が並べられていた。
対するフロンの方はその逆で。
色合いまで温かそうな、優しい乳白色の里芋のポタージュ。
爽やかで甘い香りがする、柑橘類などの果汁たっぷりなソースが食欲をそそってやまない鳥腿肉の焼きサンド。
ほかほかと湯気を立ち上らせている温野菜と、それを潜らせるための、とろりと溶かした熱々のチーズ。
こちらには、ひたすら温かいものが並べられていた。
食事となると、いつもこうなるのだ。
全ては創主の力の源たる属性の寵愛、それがもたらす強過ぎる加護が原因で。
コロナは焼けるような熱に。フロンは凍えるような寒さに。
それぞれ苛まれている。
普段ならお互いに触れ合うことで軽減しているのだが、これが食事の席となるとそうもいかない。
二人密着してというのは流石に食べ辛く、手を繋ぐのも不便さが先立ってしまう。
足を絡めるにしても、フロンは防寒のために本人が拘っている太腿の一部以外は露出してくれないので、最も効果的な直接の触れ合いができない。
かといって、太腿を重ねたり触れ合わせるほどの距離となるとやっぱり食べ辛い。
我慢すればいい話なのだが、これが結構苦痛なので少しでも和らげたい。
そうなると残る手段は一つ。食べ物による対処だ。
その結果が、冷温対照的な料理選択だった。
かぶりついたパンの、想像以上のもっちり感に内心驚きながら、コロナは向かいに座るリスを眺めた。
それも、頬袋をぱんぱんに膨らませたリスだ。
フロンが食べ物を次々と口に放り込んでいくものだから、瞬く間に口の中はいっぱいになって。
スペースを確保するべく頬へと押しやられたそれらにより、今や妹の頬は、リスのような頬袋に食物を貯め込む生き物よろしく、ぱんぱんに膨らんでいる。
余程口に合ったのだろう。あっと言う間の出来事だった。
ついつい指先でつっつきたい衝動を呼び起こす代物ではあるが、そんなことをすれば間違いなく爆発して食卓が大変なことになるだろう。
せっかくの料理が台無しになっては困る。残念だが諦めるしかない。
「フロン。美味しいのは同意するけど、もっと落ち着いて食べなさい。誰も取ったりしないから」
コロナに窘められて、フロンはしまったという風に口元を押さえた。
ゆっくりと噛み締めるように味わいつつ、時々堪らないといった具合に身悶えしている。
(それにしても……)
口に広がる適度な甘味と、喉を流れる冷たさが大変心地いい。
そんな枝豆のスープを堪能しながら、コロナは思う。
この足下に……床下に一体何があるのだろうか、と。
店に入ってからというもの、多数の熱源の蠢きを感じている。
およそ四十から七十センチメートルくらいの高さで、同じ大きさのもの同士で固まっているようだ。
フロンも気づいているだろうが、食事に夢中でそれどころではなさそうだ。
そういえばと思い至り、改めてメニューに目を通す。
……この店はやたらとチーズと鳥肉を押していた。
野菜や果物に穀物や乳製品といった物については、町からそう遠くない場所に豊かで広大な農地と放牧地が確保されて久しく、種別に偏りはあるものの安定的に供給されている。
特にチーズに関しては、この町の名物らしい“羊牛もどき”とやらのミルクを原料とした特産品で、大量生産にも成功したため大売り出し中だとか。
それなら肉にも期待したくなるが、残念ながら羊牛もどきは食肉には適さなかったらしい。
曰わく、肉の方は信じられないくらい臭みが強くて不味い、とのこと。
羊牛もどきという、名前からして結局何なのかよくわからない得体の知れない生物由来の品とはいえ、実際口にしてみると、すこぶる味が良くて口溶けも良好だ。
だから、この店のチーズ押しについては理解できるのだ。
でも“鳥肉”についてはわからない。さっぱりだ。
(そう、脂っこくなくてさっぱりしているけども。……ってそうじゃない)
物資の流通も近年では確立できてきたとはいえ、肉類が各地で取り合いになっている現在、それらを仕入れるのは困難だろう。
この町や近くの土地で食用鳥の養殖場なんて見た覚えがない。
狩猟するにしても、食用に適した種が群生している風でもないから、供給は少ないはず。
そんな状況において手頃な価格でなんて、到底出せるとは思えない。
だけど、どこかで安定的に供給するための施設がないなら、こんなに鳥肉を押すはずがない。
一体それはどこに?
――ある。心当たりが一つだけ。
(……この下、なんでしょうね、やっぱり。風術を使えば空調もなんとかなる、のかな……?)
店の位置が目立たない場所にある最大の理由は、排気口を町の外に用意するためなのだろうか。
でないと臭いが酷いことになる。飲食店としては致命的だ。
いや、そもそも地下ならどうしても密室になってしまうはず。
飼料などが舞い上がってできる塵の処理といった衛生面はどうしているんだろう。
空気だけならともかく、塵まで外に送り出そうとすれば、空気の通り道にしているであろう配管か何かが詰まったり、そこから色んな害虫を呼び込みそうなものだが。
しかし、店内にはそういった気配など欠片もない。
飲食店として当然! とばかりに清潔に思える。
(……これ本当に鳥肉なのかな)
サラダの笹身をつっつきながら、だんだん不安になってきた。
仮に鳥肉だとしても、一体何の鳥なのか。
毒などがない、人が食べられるものであれば、虫だろうが怪物の肉だろうが生きるために食してきたが、正体不明というのはどうにも落ち着かない。
何がどうなるか想像もつかないので、そんなものには絶対に手を出さないのは基本だろう。
目の前では、妹が美味しそうに、実に幸せそうに鳥腿肉の焼きサンドを頬張っている。
生ける危険物探知機かと言いたくなるくらい、毒物などの危険物に敏感なフロンが一切吐き出さないところをみると、大丈夫なのだろうけれど……。
美味しいのに、久しぶりのまともな食事を素直に楽しめないまま、コロナのお昼は過ぎていった。