第七話 町の様子に拍子抜け
お昼の賑わいもすっかり一段落した頃、空席の目立ち始めた飲食店内に姉妹の姿はあった。
内装は木の装い。
照明は暗さを意識しない程度に少しだけ落としてある。
面積に余裕があるためか客席間の間隔が広く、ゆったりとした空間ができあがっている。
他の多くの店が大通りに面しているのに対して、この店は町の端の区画に潜むようにして存在していた。
店には看板もなく、名前もわからない。
そうと知らなければ民家と区別はつくまい。
陣取りに負けた結果というより、意図して客足の少ない場所を選んだと言わんばかりである。
そのおかげで町の喧噪も別世界のもののように遠く、昼の最盛期も過ぎ去った今の店内は至って静かで、落ち着いた雰囲気が実に心地いい。
町の人に話を訊いていなければ、姉妹がその存在に気づくことはなかっただろう。
店の雰囲気も良く、久々に“まとも”な食事が期待できるとあってか、「まだかなー?」と、ゆらゆらぶらぶら体や足を揺らしながら、ご機嫌な様子で注文した料理を心待ちにしているフロン。
そんなフロンを前に、常ならばそれとなく妹を観察して密かに悦に浸っていたコロナはしかし。
今はどこか釈然としないものを胸中に抱えているためか、気怠そうに頬杖をつき、視線も木目調のテーブルに落としていた。
コロナのもやもやとした気分の原因は、見回ってきたばかりの町の様子に他ならない。
結論から言うと問題なし。それは喜ばしいことなのだが。
きちんとしたレンガや木造の家屋があるかと思えば、前文明の“ビル”や“マンション”などといった遺構が見受けられたり。
十数年前の開拓初期に建てたれたと思しき簡素な荒屋や、それを無理矢理補強しているものもあったりと。
まるで不揃いな建物が、それだけはある程度計画的にしておかなければならないと考えたのか、並びだけは中々に秩序ある水路多き町並みを巡ることしばらく。
特にこれといった混乱は見受けられず。
それどころか、少なくない人数の年齢・性別・職業様々な町人や旅人に訊ねて回ったというのに、遠く上空を舞う飛竜の姿を見たと言う者さえ誰一人としていなかったのである。
朝のまだ抜け切らぬ眠気や特有の忙しさを前に、誰も悠長に空を眺めるというようなことはしなかったということだろうか。
仮に空を見上げていたとしても、せいぜい直上を仰ぐような形であったり、別の方向を向いていたりしたのだろうか。
開けた窓から目撃した者もいないのだろうか。
一人くらいはいても良さそうなものなのに。
単純に巡り合わせが悪くて目撃者と出会えなかっただけなのだろうか。
――本当にそうなのかな?
まるで混乱や騒ぎとは無縁な様子からして、そう判断してもいいのかもしれないが。
(いやいや。あの山に危険な生物がいることは、町の住人なら誰もが知ってるみたいだし、町には見張り台だってある。見てないってことはない……と思うんだけど)
とはいえ、見張りの担当者にも覚えがないと言われたわけで。
まさか、目撃はしているけど危険なものと認識できていない、なんてことはないだろうか。
危険生物が夜岩竜であるということを。
夜岩竜がどんな生物なのかを。
まったくもって、知らないのではないか?
長い間襲撃されたことがなく、ついに生き証人を失ったのか。
そもそも襲われたこともないのか。
先人の話の一部分だけ、ただ山の方は危ないという情報だけが残っている、ということなのだろうか。
それなら、ある程度は納得できなくもない。
コロナとしては余計な手間が省けるので助かる。助かるけれど……。
なんだか別の面倒事が増えた気がしていた。いや、気のせいではない。
フロンに頼まれでもしない限りは、この町の安全のために力を尽くすつもりはない。
たとえ飛竜たちの晩餐会場になる時が来たとしても、
――実際つい先日なんて、飛竜たちの水飲み場が干上がっていたので、いつ彼らが死に物狂いで町の水を求めてやって来るかわからない、危険な状態だった――。
個人的には知ったことではないのだけれど。
危険生物の噂は何年も絶えることなく続いているのに、調査も何もしていない可能性があるのが問題で。
仮に何らかの危機が町に迫ったとして。
安全に関わる情報収集を怠るような町に、そういった非常時に対する備えがあるだろうか。
そういう町は大抵、普段の治安維持や事故対応にも手抜かりがある場合がほとんどだ。
仮にも南部開拓の前線基地。そうであって欲しくはないが……。
昼間の治安は表面上良さそうに見えるけれど、本当のところどうなのだろうか。
(幻惑結界“蜃気楼”でも用いてるのかな……?
ある程度接近されないと作動しないけど、作動すれば相手の感覚は狂わせるし、町が消えたようにも見せかけられるから、難を逃れることもできると思うけど。
一応、今夜は野宿の時と同じくらい警戒しておかないと危ない、か。
せっかくちゃんとしたところで眠れるんだから、ぐっすり眠りたかったな……)
ここ数日、昨夜始末した変態に狙われていたせいで、あまり眠れていないのである。
最低でも後一晩は続きそうだ。
普段ならフロンに見張ってもらえば済む話なのだが、今回はフロンだって寝不足だ。
どちらかはちゃんとした睡眠をとっておかなければ、警戒に支障を来すことになる。
創主だ何だのなんて言われていても、体は生身で所詮は小娘。
不意打ちでなければ割とどうとでもなるが、逆に不意打ちならば如何様にもされる可能性があるということ。
だからこそ警戒や対策に手抜かりがあってはならない。
眠気による判断力低下も、いざという時命取りになる。
昼食を終えたら、前に訪れた際に予約しておいた宿で荷物の手入れと整理を済ませて、フロンと一緒にトレーニングして、フロンと一緒にお風呂入って、フロンと一緒にベッドイン……という予定だったのに。
(ああ、央都から依頼のあった採取品も送る手配しとかないと……)
思考を巡らせるほどに積み重なっていく予定と懸念に、コロナの表情は徐々に曇っていき……。
「おね……じゃなかった。どうしたのコロナ? なんか元気ないよ?」
考え込んだきり一言も発することなく、おまけに表情まで暗くなっていくものだから、流石に心配になってきたらしい。
フロンに声をかけられ、ようやく意識を現実に引き戻した。
「ん……、ちょっと考え事を……って、近っ!」
気がつくと、顔のすぐ近くでフロンの瞳がじっとこちらを見つめていた。
ごくり、と。思わずコロナは生唾を飲み込んだ。
(こっ、これは……! う、上目遣い……っ!)
どきりとした胸の奥、一瞬だけ役割を放棄して静まった心臓が、思い出したかのように暴れ出すのを止められなかった。
体が熱い。強過ぎる火の寵愛のものとは異なる熱さだ。
自らを苛んでいる火による熱も手伝って、瞬く間にコロナの顔が赤みを帯びてゆく。
フロンの瞳はその様を余すことなく映し出し、コロナに自らの赤面していく姿を見せつけていた。
テーブルに身を乗せて距離を詰め、組んだ腕に顎を乗せて、コロナを見上げるようにしているフロン。
そのせいでフロンの二つの膨らみが、自身の体重により、ぐにゅっと押さえつけられたクッションのように形を変えていて、ちょっと痛そうだった。
当人は平気そうにしているから、気にするほどでもないのだろうけれど。
椅子からはお尻が完全に離れており、今フロンの後ろに回れば、スカートから絶妙な具合でちらりと覗く下着を拝めるだろう。
いつもなら窘めるところだが、今はむしろ、自分がフロンの背後に回り込んでしまいたい……なんて。
そうして、覆い被さるような感じで、愛おしい妹を抱きしめたい。
割と本気で、そう思ってしまっていて。
「……コロナ? どうして赤くなるの?」
「ぐふぅっ!」
「お、お姉ちゃん!? なんで!? なんで倒れ伏したの!?」
上目遣いという、コロナに対して破壊力も効果も抜群な一撃を虚を突く形で放ち、結果コロナの理性をノックアウトしてしまっただなんて。
意図せずの行い故に、フロンがそれを自覚することなど当然なく。
コロナが赤面したことに対し、フロンが不思議そうに首を傾げてしまうのは無理のないことで。
それがコロナにとっては追い討ちとなったのだ。
コロナが勝手に作った『見たい! フロン動作ランキング!』の中でもかなり上位の動作の連携コンボを決められてしまったのである。
ちなみにほぼ全ての動作が一位で、端からランキングも何もあったものではない。
フロンが焦って名前ではなくお姉ちゃんと呼んでしまうくらい、実に見事な倒れ伏しっぷりを披露したコロナはなんとか体勢を戻して、
「ほ、ほら、今はお互い体を離してるから、暑くって、ね?」
上目遣いで見つめるフロンが可愛くて欲情しました、なんて。そんなの恥ずかしくて言えない。
というか、もしそんなことくらいで欲情したことが発覚したら、フロンはどういう反応をするだろう。
蔑んだ目で見られる程度で済めばまだいい。
それはコロナにとってはご褒美でもある。
しかし冷静に考えて、どん引きされるどころか嫌われかねないのではなかろうか。
(それは駄目よ! フロンに嫌われるなんて、もう生きていけない!)
そう思うと、どうにも無理な気がするけれど、それでも、それらしい嘘でなんとか誤魔化せないかと試みてしまうのだった。
「コロナの嘘つき。ちょっと離れてたくらいでコロナが暑がるなんて思えないよ。だって暑がってるとこ見たことないもん」
「ですよねー。普通にバレるよねー……。うぅ、ごめんなさい」
いつの間にやらちゃんと席に座ったフロンに、案の定一蹴されてしまった。
なんとか嫌われる事態だけは避けなければと、思考をフル回転させ始めたコロナの前で、ぽつりと。
「……わたしの前だとどんなに苦しくても涼しい顔して黙ってるくせに」
宙を舞う一片の葉が落ちていく音を聞き取れないのと同じように。
力のなく発せられた言の葉は、その一つ一つが吐き出されるや否やひらひらと自由落下を始め、ほとんど音を立てることはなかった。
「フロン……?」
言葉は聞き取れなかったけれど、悲しいような、寂しいような、そんな雰囲気が漂った気がして、コロナはすぐさま思考を破棄し、まじまじとフロンを見つめた。
「むぅ、何でもないもん。それより――」
見せつけるように両頬を膨らませてから、改めてフロンが追求しようとした、丁度その時、
「……お取り込み中のところ、失礼するよ」
空きっ腹を刺激する美味しそうな香りを伴って現れたのは――、
「……へ?」
「わ……!」
――ゴリラだった。
またまた誘発されてしまったフロンの頬を触りたいという“欲求”と、このままではまずいという焦燥感を一瞬にして忘れ去り、コロナは間抜けにも口をはしたなく開いたまま固まってしまった。
対面ではフロンが何かを期待するような、きらきらと輝きさえ見えてくるような目を、その人物――本当に人物でいいんだろうか……? ――に向けていた。
「わーい! 喋るゴリラだ!」
コロナは、フロンの放った失礼極まりない言葉を事前に察知して口を塞げなかったばかりか、『いやあなた元々会話できるじゃない』とか『どう考えてもゴリラみたいな“人”でしょ』とか突っ込むこともできず。
どこか遠い世界の出来事のように、ただ聞いていることしかできなかった……。




