第六話 お帰りは飛竜と徒歩で
「送ってくれてありがとねー!」
岩山の頂へと向かって飛び去っていく翼を、フロンはぶんぶんと手を振って見送った。
――夜岩竜。
何らかの爬虫類が、前文明の負の遺産により変異した超常種。
岩場を好む夜行性の飛竜で、体色は主に灰色。
本体だけなら大きい個体でも大人が数人分といった程度で、飛竜としては小型の部類だ。
それでも人間からしてみれば大きいことに違いはない。
これで翼を広げられようものならその迫力に圧倒され、旅や戦闘とは無縁な町人などは、死を確信するかしないかの内に気を失うことだろう。
比較的小柄な体には強靭な筋肉が無駄なく秘められており、翼や鉤爪も丈夫で、その一部や全部を硬質化させることもできる。
やや尖った鱗は岩石質で、こちらも硬質化させることができる。
そんな体で体当たりでもされようものなら、痛いでは済まない。
……それ以前に、硬質化によって鋭利な刃となった翼などで切り裂かれているだろうが。
もちろん人間の一人や二人くらい簡単に運べてしまう。
肉食である彼らに連れ去られた者の末路は言うまでもない。
意外と性格は臆病で、昼の間は岩に擬態してじっとしていることもある。
基本的には、空腹時に無闇に接近するか余計な手出しをしない限り、あちらから襲ってくる可能性は低いとされている。
人の味はあまり好みではないらしい。
岩山と町の中間地点まで、その背中にリリィ姉妹を乗せて送り届けたのは、そんな生き物だった。
数日前、これから向かう町を目指していた頃。
旅の目的を達成するべく周辺の山や森を見て回っていた際に出会い、フロンが手懐けたのだ。
初遭遇時の彼らはぐったりとしていて、とても擬態したままやり過ごそうとしているようには見えなかった。
フロンの提案により姉妹が慎重に接近したところ、擬態が意味をなしていないことは明白だったのに、威嚇どころか目線一つ寄越さなかった。それくらい弱り切っていた。
一体何が起きたというのか。
なぜか人間以外の生き物たちの言葉も理解できてしまうフロンが訊ねてみたところ……。
夜岩竜をはじめとした近隣に生息する生き物たちの、主な水場となっている湖が突如として涸れてしまい、渇きのあまり力尽きてしまったということが判明した。
渇水の原因はともかく、水ならフロンの氷をコロナの火で溶かせばいくらでも用意できる。
だが夜岩竜たちとて野生の飛竜。
簡単に他の生物からの物など受け入れてはくれない。
当人らの目の前とあっては尚更だ。
水だけ用意して一度この場を去ろうと言うコロナに逆らって、フロンはこの子たちが心配だからと根気よく水を差し出し続けた。
その結果、どうやら少しは信用してもらえたらしく。
最終的に彼らはフロンに心を開き、懐くところにまで至ったのだった。
昨夜は彼らが狩に行っている間、住処を戦闘の場として借りていた。
町から離れており、広さも十分。
燃やしたり凍らせたりしても周囲への影響が少ない、理想的な環境だったからだ。
できるだけ場を保存することが条件に挙げられていたが、それはほぼ完璧に達成された。
ただ一点の焼け跡を除いて。
そこから不吉な気配を感じ取った飛竜たちは心の底から震え上がっていたのだが、やらかした本人が気づくことはなかった。
――ちなみに湖は、特にこれといった異常な点が見つかることもなく。
地下水も湧き出ていて、いつかは自然に元通りになるだろうということを確認したので。
ならば少しくらいそれが早まってもいいだろう、などという安直な判断に基づき、水位を回復させてある。
何事もなければしばらくは保つだろう。
「私たちとしては助かるけど、こんなところまで飛んできて大丈夫なのかな……?」
フロンの隣で、コロナが飛竜の後ろ姿を心配そうに見つめている。
「キクスくんなら平気だと思うよー?」
いつの間に名付けたのか、それともあの夜岩竜に訊いたのか。
フロンは彼――あの夜岩竜は雄らしい――のことをキクスと呼んだ。
「あの飛竜たちは、ね……。口から炎とかは出さないけど、高機動力・高攻撃力・高耐久力と、三拍子揃ってるから。そのくせそんなに食事量を必要としないっていう、とんでもない種族だし。……飛竜にしては、だけど」
「なら、お姉ちゃんは何を心配してるの?」
「町の人が怖がらないかなって。それだけならまだいいんだけど、余計な手出ししないか心配なの」
「キクスくんは、そうならないために中間地点で折り返したんだよ?」
「それはわかってる。でもね、他の人たちがキクスの行動の意味を理解するかは別の問題よ?」
「きっと理解してくれるよ。手出しするとしたら、理解しようとしないか、理解した上で、だよね……」
「もしそうなったら、フロンはどうする?」
「人を止める。まずは言葉で。それでだめだったら……」
「安心してフロン。もしもの時は私が脅すから」
「お姉ちゃん、それってどっち?」
「人に決まってるじゃない。キクスたちはフロンが説得すれば大人しく帰るだろうし。まぁ、もしもの話よ。ここで心配してても始まらないわ。続きは町に着いてからにしましょう」
そう言うと、コロナはフロンの手を引いて歩き出した。
一歩前を行く姉の後ろ姿を見つめながら、フロンは少し考え込む。
住処である岩山に帰ってきた際、飛竜たちが示した反応を思い返して……。
「お姉ちゃんになら黙って従うんじゃないかなぁ……?」
キクスが送ってくれたおかげで大幅に省略できた平原の残りを進み、その先に立ちはだかった背の高い植物が生い茂る領域へと躊躇いなく入り込むコロナ。
街道まで回り込まず、草花を掻き分けながらの最短距離を選択したようだ。
「どうして?」
道を作るのに忙しいらしくコロナは振り向かずに応じる。
フロンとしては、それは寂しい。
それなら、せめてもう少しだけでいいから距離を詰めて欲しい。
けれど植物や生物を可能な限り傷つけないように注意しながら進んでくれている上、現状では町の反応を最も早く確認できる方法とあっては、わがままなんて言えるはずもない。
つい出そうになった余計な言葉を呑み込んでから、フロンは口を開いた。
「飛竜だって命は惜しいと思うの」
「……流石にそれは酷いと思うよ?」
「あんな焼け跡残すからだよ……。みんなが帰ってきた時、まずなんて言ったと思う?」
「あまり知りたくないような気がするけど、一応聞かせてもらいましょう」
「子供だけでも助けてください」
「何その無差別殺戮者みたいな言われよう……。あの子たちからしてみれば、確かに私はフロンのおまけだけど、そんな目で見られてたのね……」
「でも、こうして送ってくれたわけだし、ちゃんと信用してもらえてるんだと思うよ?」
「だといいけど。そうそう、キクスのことなんだけどね、今思い返せば、なんだか私に触れられている間、ずっと緊張していたような気がするの。まるで心臓を鷲掴みにされてるみたいな感じで」
「そっ、それは気のせいだよ。気のせい、気のせい。……ねっ?」
「フロンがそう言うなら、きっとそうよね。そのはず……よね」
会話しながらもコロナの先導は見事なもので、飛んでくる羽虫や、足元を蠢く大きな芋虫、土を隆起させながら移動する土竜に、葉っぱから乗り移ってくる吸血生物など。
それらことごとくを、殺してしまわない程度の熱気と体捌きによって回避ないし追い払う。
それと同時に、草陰に潜む小型の肉食獣にも注意を払っている。
もしそれが跳びかかってこようものなら、どこの達人だと言わせんばかりの手際でキャッチアンドリリース。
ひょいと四肢のいずれかを掴むように捕らえたら、彼らの勢いを利用しつつ低く丁寧に放り投げている。
投げられた先では無事に着地させられた獣が、首を傾げたりキョロキョロと辺りを見回したりしていた。
何が起きたのかと困惑しているようだ。
フロンはたまに「引くよー」と軽く引っ張られるくらいで、されるがままについて行っているだけだ。
コロナがあらゆる障害を取り払ってしまうので、足元の生き物を踏まないようにするくらいしかフロンにはやることがない。
それすらも必要かどうか疑問に思えてしまうのだから、過保護と言うより他はないだろう。
岩山から離れるにつれ、足裏に伝わってくる地面の感触はふかふかとした土のものになり、それに伴って緑も深まる。
土と植物の香りの中、休まず歩を進めていた二人は林に行き当たる。
その中を突き進んでいると進路上に林道を見つけることができた。
歩きやすく整えられた道を辿れば、あっと言う間に林を抜ける。
すると、町はもう目と鼻の先。
この辺りから草花の種類はがらりと変わり、背丈が一気に低い物になる。
人の手が加えられているのは明らかだ。
開けた視界の先には、町を囲む術式防護柵や外観も高さも不揃いな町並みが確認できる。
手入れされた草地を進むと行く手には堀がある。
幅はそんなに広くない。どちらかというと用水路だろうか。
初めて訪れた時同様、こちらの水は今日も無事らしい。
ということは、ここの水源も無事だろう。
飛竜たちの水場と同様に謎の枯渇に見舞われないといいのだが。
水を部分的に凍らせてしまえばどこからでも渡ることはできる。
だが、いくら急ぎたいからといって、そこまで横着する必要もないだろう。
急患を抱えているわけではないのだ。
ここまで来れば多少の回り道なんて誤差でしかない。
穏やかな水面を横目に堀沿いを歩くと、ほどなくして町へと続いていた街道と合流した。
後は橋を渡れば晴れて到着。
仰いでみれば、アーチ状の門に記された『ようこそ最央南の町へ』の文字。
央都から遥か南に位置する町。
これより南にまだまだ広がっている大地に、人の生存圏は今のところ確認されていない。
リリィ姉妹が本来目指しているのは、そういった場所だった。
「思ったより時間かかっちゃったね。もうすぐお昼だけど……。フロン、まずは予定通り様子を見て回るってことでいい?」
「わたしはいいよ!」
「それじゃあ、行きましょうか」
「うん、お姉ちゃ……」
いつものように呼びかけようとして、フロンは言い切る寸前になって気がついた。
ここは既に人里。もう二人っきりではなくなっている!
慌てて口を押さえて、フロンは言い直した。
「行こう、コロナ!」
肩を寄せ合い、ゆったりとした足取りで、姉妹は町に溶け込んでいった。