第三十話 焼滅 手向けの花と共に
雷獣に女の子を預けたコロナは、手袋を外し、末広の付け袖を装着。完全に戦闘モードへ。
二匹の困惑顔に見送られながら屋敷に戻った。
「ただいま化け物さん。約束通り解放してあげる」
何度目とも知れない再生を遂げ、原型を取り戻した化け物。
薄紫の火檻を鎮め、そいつを解き放つ。
倒すだけなら、フロンを回収して、屋敷ごとさっさと燃やしてしまえばいい話。
わざわざ解放する必要はないのだが。
――でも。
それだと、コロナの気が済まない。
もし氷の加護がなかったら。
その根で、顎鋏で。
妹をどうしていたのか。
そんなものが直撃すれば、どんなことになっていたのか――。
(それに、“お仕事”のこともあるし、ね……)
都合良く、と言うべきだろうか。
仕留める前に“するべきこと”ができてしまったので、じわじわと“やる”ことに変わりはない。
コロナの周囲の空間が、熱により揺らめく。
室内の温度がどんどん上昇。
階段の氷も気化して元の姿に。
空間を舞っていた鱗粉も全て燃えて。
コロナはまだ、攻撃らしいことは何もしていないのに。
特に燃えやすいのだろう。
化け物の羽先が、焼失と再生を繰り返している。
「喜びなさい。再生できなくなるまで、殺さずに焼き続けてあげる。あなたの全てを、私が焼いてあげるから」
透火を纏い、満面の笑みを浮かべ、前進開始。
緩慢な動きでも、逃げられるような速さで。
適当に炎弾をぶつけて化け物の体を削りながら、時間をかけて近づく。
身を苛む熱に、体が悲鳴を上げていようとも。
身を焦がす衝動が、怒りが、コロナの意識を繋ぎ止めている。
化け物は根源的に恐怖しているのか、狂ったように棘を乱射しながら、じりじりと後退。
さりげなくフロンの方へ進んでいるのは偶然ではあるまい。
「……小賢しい虫ね」
……羽と全体的な形状くらいしか、虫要素はないけれど。
棘はコロナに近づいただけで、灰も残さず燃え尽きて。
フロンに向かった物も、彼女を包み込む火により同じ運命を辿る。
「妹に近づかないでくれる?」
見た目幼げな少女の口から出たとは思えない、ドスの利いた声音が広間に響く。
変な虫が寄り付くことなんて、コロナは絶対に許さない。
それが文字通りの存在とあれば尚のこと駄目だ。
コロナの苛立ちに反応して、フロンを温めている山吹色の火の表面に、黒い点がポツポツと発生。
そこから、極細で闇色の火針が豪雨のごとく放たれる。
殺さないよう、頭部と胴体の中央付近への着弾は避けながらも。
焼ける音すら間に合わない勢いで、化け物を蜂の巣にする。
無尽蔵に発生する火針に、再生が間に合っていないようだ。
このままでは危険と判断したのか、化け物は少しずつ体積を減らしながらフロンから離れていく。
「ほら、どうしたの? 一度も凍らされることなくフロンを眠らせたわけじゃないんでしょう?」
挑発しながら、無造作に接近を続ける。
相手が焦るようにと、その速度を上げて。
やがて壁際に追い込まれた化け物は、脱出を狙った必死の行動だったのだろう。
壁を破壊しようと、今までが嘘のような速さで木の根を叩き――。
「――付けられたら、よかったのにね?」
壁の表面に、煮え立つマグマのようなものが出現。
他の存在には一切影響を及ぼすことなく。
接触した端から化け物の下半身が瞬時に焼滅。試みは失敗に終わる。
いよいよもって追い詰められた化け物は、根の再生も待たず、側面にある蔓や腸の触手を振り回した。
計四つの顎鋏が四方からコロナに襲いかかる。
「……それで?」
どうしたかったの? と訊ねるように、笑顔のまま小首を傾げるコロナ。
顎鋏は、その場を動いてすらいないコロナに届くことなく、床に転がり燃え尽きていた。
腸も蔓も、透火の熱量に耐えられなかったのだ。
壁際に追い込まれたことで、熱の範囲に入ることなく顎鋏を振るえず。
凶器を支えるそれらが、あっと言う間に燃えてなくなって。
顎鋏は勢いをほとんど得ることなく、空中に放り出される形となり、間もなく落下した。
フェイントだの、時間差だのといった小細工などせずに。
全部真っ直ぐ差し向けていれば、距離的には届いていただろう。
どうせその前に焼かれて消えることになるが。
「どうしたの? まさかこれで終わり? それとも再生力と鱗粉しか取り柄がないの?」
木の根も棘も、顎鋏も通用せず。
鱗粉は役に立たず、再生だって追い付かない。
たとえ羽が無事だったとしても。
――化け物の様子からして、飛行するのに羽を必要としているようには思えないが――。
屋内では、飛行能力とて十分に発揮できまい。
判明している手札からすれば、化け物は詰んでいた。
それでも、コロナはまだ燃やそうとしない。
「……そろそろ“頭”を使ったらどうかしら?」
これまでに何もしていない部位。
それは、これ見よがしに明滅する水晶の頭部と、気色悪い触手胴体。
どちらかが、フロンの氷を破ったはず。
いかなる手段や現象によるものなのか。
可能なら、それだけは処理する前に確認しておきたいのだ。
……個人的に、胴体には動かないで欲しいなぁ、なんて。
そんなことを思いながら無言で見守る中、化け物の再生が終わる。
その間、どういうつもりか化け物は動きすらしなかった。
ついに抵抗を諦めたのだろうか――?
「……違う。この感覚は……。ああ、“そういうことか”」
化け物を観察していたコロナは、突如もたらされた感覚によって、得心したように頷いた。
それは、この屋敷の主を葬った夜。
氷に閉じ込められた獣たちの。
彼らが爆破される直前に感じた、“前触れ”のような気配。
この化け物から、それと同じものを感じるのだ。
自然と警戒態勢に移行するコロナの前。
身動きを止めた化け物の頭部では。
花のような形状を模した、複数の赤黒い水晶の明滅が急に激しくなり――。
「――――っ!」
次の瞬間、化け物が膨れ上がり、音もなく爆発!
コロナの“片側の視界”が、禍々しい赤に染められた。
直後、思い出したかのように、バンッ! と。
巨大風船の破裂時に鳴るそれによく似た音が、広間に木霊した。
「……なるほど、ね」
爆発音としては、そこまで大きいものではなかったが。
至近で聞いたため、少なからず聴覚に影響があったというか。
――要するに耳が痛い。
顔を顰めながら、目元を覆っていた手をどける。
閉じていた方の目を開き、まだ眩んでいるもう片方は閉ざしておいて。
爆風だのなんだのは全て相殺し、相変わらず無傷なコロナは化け物を片目で睨み付けた。
自爆という名の脱皮を遂げた化け物は、“一見”元通りになった姿を誇るように晒している。
しかし、化け物の身には明らかな変化が起きていた。
コロナには、それが何かすぐにわかった。
透火の熱量だけで燃えていた羽が、熱に耐性を得たらしい。
それだけでは燃えなくなっている。
「もういいよ。あなたの能力も、その源も、わかったから」
禍々しい水晶に秘められた術力。
その使い道の可能性として確認していたのは、再生と浮遊。
まだ、攻撃用の何かがあるはず。
コロナはそれを確かめようと待っていた。
後先考えて、加減はしていただろうけど。
それでも、創主の真面目な術を上回る威力を持つものは珍しくて。
だからなのか、創主の力を知る上でも、是非そういった力・能力・術・道具や、それらを保有する人・生物などの情報は収集しておいて欲しい。
それが創主長以下、先輩創主の総意だそうで。
妹の身にも関わること故、コロナも渋々ながら収集に協力している。
“お仕事”、“すべきこと”とはこのこと。
早く燃やしたい衝動を抑えてまで危険を冒したのは、このためだ。
――でも、それももう終わり。
燃えなくなった羽を見て確信した。
この化け物は、水晶の術力で自身の体を少しずつ作り替えている。
再生だと思っていたのは成長で。
実は傷などなくとも常に行われており、単に欠損の修復が目に付きやすいだけなのだろう。
未知の攻撃だと思っていたものなんて、無駄に激しいただの“脱皮”だ。
化け物の体は、その古い部分を外へ外へと押し出しているのだろう。
代謝が早過ぎて、通常の排泄では処理が追い付かないために。
消耗しても問題のない、外皮として利用しつつ。
ある程度蓄積したところで、術を用いて強引に廃棄している、といったところか。
緩やかながらも確実に進化を重ねるのであれば。
その果てに待つのは、どう考えたって厄介な存在の誕生。
まだ何かを外部から取り込む素振りは見せていないが。
もしもこいつが、捕食や吸収によって情報を補完する性質を有するか、これから獲得したとすれば。
進化は劇的に早まるし、どれほど厄介なことになるのかなんて、予想も付かない。
――もっとも、それは気づかれることなく放置されていればの話で。
「私に見つかった以上、それは問題じゃないからいいんだけど……」
そう、問題は化け物の能力などではない。
あの頭の水晶花。禍々しい色合いをした、それの“原材料”だ。
素体を考慮したとしても尋常ではない、これまでの“成長”回数からして。
何らかの術か術具を使用しているはずなのに、術力の供給源は他に見当たらない。
術者不在の今、あれこそが術力の供給源とみなしていいだろう。
しかしながら、常時の浮遊に睡眠作用のある鱗粉の生成に加えて。
度重なる成長・脱皮を可能とするには、必要な術力を水晶花一つで補うことは通常不可能。
量産性を優先したためか、見たところ良質な宝石ですらないそれに、どんな改良を加えたところで大きさ的に無理がある。
――“何らかの方法”で延々と術力を生み出し続けていない限りは。
央都でこれでもかと詰め込まれたコロナの知識の中で、無尽蔵にエネルギーを生成するような真似ができるのは。
そんなことができる物質は、一つしかない。
その材料は、ほぼ間違いなく前文明の負の遺産だろう。
かつての人類が、なんというか案の定使い方を誤り、やっぱり自滅するに至った禁断の物質だ。
そんな水晶と連動し、創り出された術力や、獲得した情報を蓄えて。
おまけに思考まで行っている核と言える器官はおそらく――胴体の中央奥か。
「下手に倒してたら、屋敷どころか周辺一帯が消し飛んでたのね」
禁断物質は、外部から強い衝撃や熱量などの刺激を受けると、信じられない威力の破壊を引き起こす。
物質を制御しているものがあるなら、それが停止した場合も最終的には同様の結果になる。
原則的に、範囲内のあらゆる存在を“抵抗の余地なく”消滅させてしまうというものだ。
そんな馬鹿げた威力の割に、範囲こそ局地的――それでも結構広い――なのが唯一の救いと言っていい代物。
この物質の最も恐ろしいところは、破壊範囲よりもずっと広域に渡って特殊な毒を撒き散らす点だ。
目に見えず、水に溶けやすく、風に飛ばされやすいその毒は。
時間をかけて多くの生命に吸収・蓄積されると、その体を蝕んで死に至らしめる。
だからこそ剥き出しになっているのだろう。
基本的に、誰も手出しできないから。
まだ人々が術に目覚める前。
耐性や防御はおろか、浄化の手段もなかった人類の大半は。
この毒にやられ、苦しみ抜いた上で壊滅したらしい。
皮肉なことに、人類が術を獲得し全滅を免れたのも。
この毒が偶然有していた因子改変作用のおかげという説が有力だとか。
一昔前は、各地に遺されたこの物質の処理に手を焼いたと、創主長から聞かされている。
――そんな物を、一体どこから見つけてきたのやら。
「あの変態、面倒な物を残してくれたものね、まったく」
化け物がフロンに敗北していたら。
コロナが運悪く核を射抜いてしまっていたら。
“お仕事”を拒否するか、忘れるかしていたら。
今頃どうなっていたことか。
想像したくもない。
痛めつけたい衝動にかられていたから、という不純な動機だったけれど。
観察を忘れないでいて本当によかった。
危うく町の復興どころか、滅亡の一助となるところだった。
「さて、どう始末しましょうか」
まだまだ焼き足りないところではあるけれど。
判明した相手の性質からして、この場で確実かつ適切に処理しておく必要がある。
残念だが、そろそろ終わりにしなければなるまい。
確か昔聞いた話では……。
名だたる術者複数名による多重結界か、創主による結界に封じ込めて外界と隔離して。
その結界内で起爆と浄化をしていた……らしい。
コロナが記憶を掘り返していると。
思い出したかのように襲いかかってきたのは、化け物の顎鋏だ。
こちらも耐性を得たのか、蔓や腸が完全には燃え尽きず。
半端に燃えたことで、軌道がより複雑化して予測が困難になっている。
だというのに、コロナは涼しい顔でそれをひょいひょいと、踊るような動きで躱す。
袖をぱたぱた。
スカートがふわふわ。
リボンはひらひらと。
一緒に踊る衣服にすら掠らせもしない。
「今考えごとしてるんだから邪魔しないで」
羽の燃焼がなくなったことで。
後何度かの成長を経れば、コロナの火にも耐えられるという結論でも出たのだろうか。
怖れるというか、畏れるように逃げに徹していた化け物が。
今度は一転して、顎鋏やら棘やら根っ子やら、使える武器を総動員して攻撃してくる。
これは非常に鬱陶しい。
なので――。
――乱刃火翔。
空中に浮かぶ、刀だの短剣だの鎌だのといった、多種多様な形状の刃。
色も統一されていない火で形作られたそれらが。
全自動で広間を縦横無尽に舞い、化け物に襲いかかる。
どれもが恐ろしい熱量を秘めていて。
化け物の攻撃器官を、迎撃など無意味とばかりに、焼いて燃やして切り刻む。
「これでよ……?」
これでよしと最後まで言い切らない内に、コロナの体がグラついた。
立ち眩みだ。
そろそろ冷やさなければならないという、体からの警告。
「一人でやろうと思ってたけど、まずいかも。フロン起きないかなぁ……」
あまりに寒いと、普段ならくしゃみの一つでもして起きるのだが。
相当深い眠りにあることは、体が冷え切っても目を覚まさない時点で明白。
そもそも普通の眠りの時だって、簡単に起きてくれるようなら、毎朝苦労しないわけで。
自力で今すぐ起きるのはもちろん、起こすのも不可能だろう。
こうなっては仕方がない。
化け物の相手を乱れ飛ぶ火刃に任せ。
透火を鎮めたコロナは妹の元へ駆け出した。
突如として身を翻したコロナに化け物は反応するものの。
残念無念、攻撃手段は細切れだ。
これといった妨害もなく、容易く到着する。
火を消して、フロンの冷たい体を抱きしめて。
……うぅ、臭い払ってないのに……。
実際には臭いなど付いていないのに、勝手に精神的ダメージを受けつつ。
下がりゆく体温を自覚しながらコロナは――。
「ごめんね、フロン」
眠る妹に、やや躊躇いがちに口付けた。
「んっ……フロン……」
――創界・銀庭彩火。
背徳感を持て余しつつも、一方的に濃厚な口付けを行うコロナを始点として。
白銀の火炎が、広間の形に沿って広がっていく。
扉や柱・内装などは、まるで“別の空間に塗り替えられた”かのように消え去り。
白銀からは、色とりどりの火の花が所狭しと咲き乱れて。
瞬く間に広間は、綺麗な花畑へと変貌を遂げていく。
ただ静かに温かく燃え揺らめいて、花弁を踊らせている花々。
この場に可燃性のものがあったとしても、何一つ燃やさず傷つけることはないような。
そんな気がするほど、穏やかで優しい雰囲気がある。
それもそのはず。
花園の本分は舞台。
コロナが舞い、踊るために創り出す場所の一つ。
観客席にまで花々を咲かせる性質上、その火は何ものも焼かず、燃やさず、傷つけないようになっている。
せいぜい触ると少し温かいといった程度だ。
――残念ながら、フロンが眠っているので今はできないけれど。
もしこの世界を、結界を、フロンと創ったら。
結界内には細氷が優しくはらはらと降り注ぎ、花々の中に氷花も加わって。
そのどちらもが、火の光を浴びてきらきらと神秘的な輝きを放ち。
そこに、温度を調節して穏やかな風を生み出せば。
ひらひらと空間を舞い踊る、極彩色の花弁も加わって。
その光景は、一度見たら忘れられないくらい、とっても、とっても素敵で――。
コロナがいつかの光景に思いを馳せている内に。
広間は白銀に花々咲き乱れる美しき世界へと、完全に生まれ変わった。
ただ残念なことに、空間の様相にあまりにも不似合いな火の刃が、びゅんびゅんと飛び交って。
現在進行形で化け物を切り刻んでいるせいで、何というか色々と台無しである。
「……ふぅ」
コロナは口を離して、一息。
覚めない眠りに落ちた姫はキスで起きる……なんて。
そんな話が、遙か昔にあったそうなので。
もしかしたら、と。
ちょっとくらいは、思っていたけれど。
「起きない、か……」
まだ触れ合わせていると思えるくらい、鮮明に残るフロンの唇の。
ぷにぷにと柔らかくて、滑らかな感触を惜しむように。
己の唇を指でなぞるコロナの口から、寂しそうな呟きが零れる。
……どうせ私は、古典に出てくるような、白馬に乗った王子様じゃないですよーだ……。
どこか気落ちしたように項垂れたまま、フロンを寝かせると。
ふらふらと立ち上がって、化け物を睨み付ける。
耐性がまた強化されたらしい。
火の刃を全身に突き立てられ、ハリネズミめいた状態になっていた。
「……お別れの時間だよ、化け物さん」
足元の花を一輪手折り、両掌に乗せて。
化け物に差し出すように、腕を前に。
「あなたも弄ばれた命に違いはないから。手向けの花くらいは送ってあげる」
火刃を消して、ふと表情を和らげたコロナは、祈るように目を閉じて――。
「――花冠」
咲き乱れていた花々が、銀火の土壌より自ら抜け出して。
茎を編み、花を詰め、茎を結い、それを繰り返し、繰り返して――巨大な花冠となった。
完成した花冠は、すぐさま抵抗する化け物を縛り上げて拘束。
最後に、コロナの掌にあった花を編み込んだ、小さな花冠が。
その本来の使い道として、化け物の頭部に――水晶に捧げられる。
「ばいばい」
これだけは優しい声音で、コロナが別れを告げた、次の瞬間。
世界は眩い白銀色の光に包まれて――。
――……。
――――…………。
光が収まった時には、元の広間の光景が広がっていた。
化け物の痕跡など、どこにも見当たらない。
「……熱い」
コロナは一度、がくんと肩と膝を落としてから。
せっせと本と資料を拾い、フロンを抱き上げて屋敷を後にした。




