第二十話 エントランスで下拵え
入り口の扉を閉めると、やっぱり屋敷の中は真っ暗だった。
現在の主流である術動力式の設備を動かす者が、もういないから。
「なんかここ、嫌な感じ……」
屋敷に入るなり、フロンが自らの体を抱くように腕を絡めた。
寒気を強く感じている時に見られる姿勢だ。
「今なら引き返せるけど、どうするフロン? 調査は私に任せて、あの子たちとお留守番しててもいいのよ? 所有者が合生術師だもの。きっと、ろくな“もの”に遭わないと思うし」
「うぅ、が、頑張るもん……」
「無理しちゃだめだからね?」
「はーい……」
暗闇であることも相俟って怯えるフロンを気にかけながらも、
「フロン、ちょっと待っててね? 私がいいって言うまで、術使っちゃだめだよ?」
明かりを灯す前に、コロナは暗視の術で辺りを見渡すことにした。
術師の屋敷の場合、術に反応する罠が仕掛けられている場合があるので、まずはコロナだけ。
「うん……」
妹の、どこか元気のない返事を背に受けながら、慎重な足運びでフロンから少し離れて術を行使する。
僅かでも離れたくはなかったが、罠があった場合に巻き添えになってはいけない。
術による罠しかないなら、主亡き今その心配はないけれど……。
だが、術の込められた装置や道具は別だ。
かつての機械文明が用いたとされる、防衛設備もあるかもしれない。
用心するに越したことはないだろう。
「……大丈夫そうね」
術を使ってみても、なんともない。
何も起きないし、何も出てこない。
身構えていたコロナは少し拍子抜けした。
狂気の合生術師が使っていた秘密研究所の一つというくらいだ。
扱う“素材”が多岐に渡る都合上、何が飛び出してくるのかと、それなりに緊張していた。
それでも警戒心は持続させたまま観察すると、どうやらここは広間になっているらしい。
正面には階段。その左右の脇に扉が一つずつ。
右手側と左手側、双方の壁にも一つずつ扉が見受けられる。
階段を登った先には大扉が見える。その左右に伸びた通路の先にも、当然部屋はあるだろう。
入り口から目に見える範囲はこれくらい。
一人で調査するには広い印象を受ける。
フロンが手伝ってくれるというのなら、確かにありがたい。
――それにしても。
「無駄な物は置かない主義だったのかな」
殺風景だった。
特にこれといった装置や道具どころか、装飾品の類もほとんど見受けられない。
あるのは照明用と思われる術具くらいだ。
むしろこれが罠だろうか。
例えば、主以外の存在が触れると作動する……とか。
術具で明るくする必要がないので、わざわざ触れようとは思わない。
続いて足元に視線を落とす。
絨毯すらない床は、一体どこから調達したのだろう。
(明るくしたら、私の姿とか映りそう)
鏡としても使えそうな気がするほど、よく磨かれた高級そうな石材が、全て剥き出しになっている。
床を踏み鳴らしてみると、こつこつと硬質な響きが返ってきた。
埃は一切と言っていいくらい舞わない。
気密性を高め、手入れも怠らず、研究者自身の清潔さも、潔癖症さながらに保っていたのだろうか。
エクレールに追われていたのなら無理からぬことではあるが、あの夜に見た男の薄汚れた姿からは想像し難いことだ。
じっとしてみると、静寂。
自らの息遣いどころか、少し離れたフロンのそれも聞こえてきそう。
人に近しい熱は……右手側からいくつか。
他の場所からは、それ以外の熱源や冷源が感じ取れる。
いずれも、動くものと動かないものがあった。
コロナは、腰に巻いたベルトに吊り下げているブックホルダーより、本を取り出す。
開かれた中身は全て白紙だ。既に何ページか綺麗に切り取られた跡がある。
本に引っかけておいたペンで、部屋の内装などの情報をすらすらと、それでいて丁寧に書き記していく。
そうしながら、白い火の玉を浮かべて室内を照らしてみた。
白炎に照らされ、寂しい室内を人工物に代わって埋めていた闇が壊滅。
一部では、闇と入れ替わるように影が生まれた。
明るくなっても何も起こらず、部屋の風景にも変化は見られなか……いや、あった。
床石に部屋の内装やコロナたちの姿が映っている。
特に意識することもなく、コロナの視線は自分の足元からフロンの元へと自然に移動。
(見えそう……)
本当に、後もう少しといった、絶妙な具合だ。
何が、とはあえて言うまい。
「フロン、もう術使ってもいいよ」
指示通り待機しているフロンに呼びかける。
するとフロンは、素早くコロナに駆け寄って抱きついた。
そのまま深呼吸して、心を落ち着かせている。
「その様子だと、二手に分かれて探索するのは無理そうね」
「だ、だいじょうぶ! ひ、一人でも、へっ、へへ、平気!」
「全然そう思えないんだけど……」
苦笑を浮かべたコロナの視線の先で。
まだそこまで寒いわけでもないだろうに。
フロンがぷるぷると身を、というか足を震わせている。
そんな状態で言われても、まるで説得力がない。
フロンの肩では、伝わってくる震動でユララもぷるんぷるんしている。
なんだかゼリーみたいで、なんというか、ちょっと美味しそう。食べないけど。
「これ武者震いだから! ほんとだから!」
「はいはい無理しないの。それより、調査する前にアレもやっておきましょ。まだ動いてるのもいるみたいだし、少しでも安全にしておかないと」
「はーい……」
しっかりと姉妹は抱き合い、おでことおでこをくっつけて、お互い目を閉じ精神統一。
呼吸に鼓動に、心と力。織り成す術とを重なり合わせると、熱気と冷気も溶け合うように交わり始め、至る境地は――火氷一心。
――合創・透波清浄。
屋敷の中を、不可視にして無感の波動が染み渡り、二人に様々な情報をもたらすとともに、屋敷の内部に存在する不浄を清めた。
ゆっくりと瞼を上げると、とろんとした、夢を見ているかのような目が露わになる。
実際夢心地な二人は、お互いにそんな瞳をじっと見つめたまま動かず……。
やがて、どちらからともなく、その唇を重ねた。
たっぷり時間をかけてから、「ふぅ」と唇を離した二人は悩ましげな吐息を漏らす。
それが目を覚ますための儀式なのだろう。
それから何事もなかったかのように、
「まずは一階を見て回ろう。地下があったら二階を任せるから」
「――うんっ!」
一つ頷き合い、姉妹は歩き出す。
数歩進んだところで、
「……お姉ちゃん、あのね? 調査の前に、一つだけいい? 屋敷に入る前から訊きたかったんだけど」
ふと思い出した風を装って、フロンが口を開いた。
「いいけど……、どうしたの?」
「どうせすぐに帰るのに、なんで“いつもの”に着替えたの?」
「そんなの、こっちの方がやる気出るからに決まってるじゃない!」
当然! とばかりにドレス風の赤いワンピースを着た、どこか上機嫌なコロナは、腰にそれぞれ手を当てて胸を張った。
「そ、そうなんだ……」
コロナには、(おかげでわたしは集中できそうにないよ……)というフロンの内心など、知る由もないのであった。




