第十九話 屋敷に入るその前に
「なんだ、ちゃんと結界は張ってあるじゃない」
屋敷があるという湖の畔。
新たに水は湧き出ているものの、申し訳程度に底へ集まっているのみで。
一度すっかり枯れ果てて、元の状態など見る影もなくなってしまったそれを、視界の端に捉えながら。
そう言ったコロナの前では、白紫の電光がその存在を主張していた。
幾本もの小雷を糸に見立て、束ね編み上げ多彩な術をも組み込んで、できるだけ薄くしつつも強固な壁として展開されているらしい。
そんな壁が、屋敷を閉じ込め隠すべく、屋敷に沿って張り巡らされている……はずだ。
少なくとも屋敷の姿は見えない。
「いい? ファレーシュもコフレネも、これはまだ食べちゃ駄目だからね?」
結界の範囲を知るため、周囲を見て回ろうと歩き出すコロナの後ろで。
フロンが雷獣たちに“待て”を指示している。
その肩では、ユララが溶けかけの氷の粒を抱えて水分を補給していた。
「くゅぅーん……」
と、どこか悲しげにも、恨めしげにも聞こえる鳴き声を上げる二匹。
無理もない。人を乗せた経験などあるはずもないのに、人間一人とその荷物を乗せて、休みもせずにここまで運んだのだから。
普段とはまるで違う走り方故に、体力配分もへったくれもなかっただろう。消耗して当然だ。
そんな状態で、雷創主によって生み出された、極上の雷というごちそうを目の前にしているのだから、湧き上がる欲求も相当なはず。
早く雷……というより、電気を食べたくて堪らないのだろう。
とはいえ、このままでは術という名の不純物が多過ぎる。
どんな影響があるかわかったものではない。
「ごめんねコフレネ、ファレーシュ。もう少しだけ待ってて。すぐに確認と解除を済ませるから」
コロナは振り返りながら告げ、壁伝いに歩を進めていく。
湖を右手側に確認できる位置に回ったところで、“それ”を見つけた。
「……厳密に言えば術とは違うけれど、雷術は当然として他の術だってすごいのに、なんでこういう手抜かりするのかな」
水路だ。湖から取水用に掘られたのだろう。
その取水用水路の、“取り込み口の一部”が見事に露出していた。
おそらくだが、エクレールが結界を施した当時は水が張られていて、地上からは見えなかった部分。
『幽霊が出るらしい』
エクレールが誰にそんな噂を吹き込まれたのかは知らない。
だが――。
あろうことか彼女は、いつ出るともしれない幽霊との遭遇を恐れるあまり、雷の発生範囲を大まかな目測のみで決定したに違いなかった。
それも大慌ての大急ぎで。
感覚を強化拡張するか、くまなく周囲を確認して範囲を把握していれば、こんなミスは起きない。
――本当にミスなら。
「エクレールさん、どれだけ幽霊苦手なのよ……」
いくらなんでも酷過ぎやしないかと思いつつ。
結界に含まれる術を片端から“焼き消し”ながら、幽霊とやらの気配を探ってみる。
姉妹揃って霊感のようなものが備わっているせいで。
こちらから探さずとも、昔から“そういう連中”との出会いには事欠かないのだが。
「……周囲にはいないみたいだけど。やっぱり出るとしたら屋敷の中かな。もう中にもいない気がするけど」
町に流れた水霊クラゲの量からして、全て外に出た後ではなかろうか。
みんな変異して水霊となった可能性が高い。
今となっては、もぬけの殻だろう。
この辺りに元より漂っていた霊がいたなら、それも巻き込み押し流したのではないか。
そうこうしている間に、隠されていた屋敷が姿を現す。
その外観は、どこか“洋館”という遺構に似ていた。
近年に建設されたのか、本当に遺構なのか。
粘土質と石材による壁面には苔が繁殖し、屋根からは葉を茂らせた蔓植物がカーテンのように垂れ下がっている。
窓に目をやると、木組みの窓枠も、周囲の木々と同色のものが用いられていた。
ガラスの部分にも木々に合わせた葉が描かれている。
湖側の外壁を確認すると、やはり術式が刻み込まれていた。
――どこまでが後付けなのかは不明にしても。
少なくとも、外観の緑などは確実にカモフラージュとして利用していたようだ。
「手の込んだことを」
除去と観察を終えたコロナは、ぼそっと吐き捨てるように呟いて。
フロンのところへ小走りで戻った。
「もう大丈夫。終わったよ」
「あっ! お疲れ様、お姉ちゃん」
顔を見るなり、フロンが抱きついてくる。
コロナの内側で増し始めていた熱が冷却されていく。
「これくらい?」
「これくらい。ありがとね?」
「えへへー」
柔らかな感触が離れていくことに名残惜しさを感じながら、気を利かせてくれた妹の頭を撫でる。
撫でられて上機嫌になったフロンは身を翻すと、
「ファレーシュ、コフレネ! 食べて良し!」
――その言葉を待ってました!
そう言わんばかりに、雷獣たちは雷の結界に爪を立て、切り裂き、行儀良く口に運んでいく。
……と思いきや。
直接かぶりつけるだけの隙間ができると、がつがつと一心不乱に喰らい始めた。
正面に見えていた部分をあっと言う間に食べ尽くし、口の周りをペロリと舐めて、「けふぅ」と一息吐いてから、
――くぅぅうぉおおおおおぉーーーーーーーん。
幸せそうに、つい遠吠え。
声の響きが残る中、満足げに座り込んだ。
「ファレーシュもコフレネもお腹いっぱいになったみたいだね。ちょっと食べ過ぎな気もするけど。ねえお姉ちゃん、残りの雷どうしようか?」
「術石に吸わせましょう。この子たちのご飯になるし、雷創主の雷なら持ってて困らないもの」
立てた長い耳をぴくぴくさせて、姉妹の会話にそれとなく意識を向けていた二匹が、それを聞いて安堵したのか「ふわぁ」と欠伸している。
単純に、お腹がいっぱいになったから眠たいだけなのかもしれないが。
それを横目に、コロナは自分のザックから紫色の水晶石を取り出す。
そこらの河原にも落ちていそうな、水切りに使えるくらいの大きさだ。
楕円形のそれは、向こう側が見えそうなほど透き通った色合いをしていて、とても美しい輝きを放っている。
ずっと昔はアメジストと呼ばれ、主に宝石として取引されていたらしい。
他の元宝石と同じく今では術石としての価値が非常に高く、その質たるや上手くすれば創主の力を“たんまり”と蓄積しておけるほどだ。
色素が薄い方が蓄積・吸収能力に優れていて、アメジストは特に電気との相性がいい。
コロナは慎重な手付きで術石を残った雷に触れさせる。
すると、術石はぐんぐん雷を吸収していく。
今となっては平然とできているこの行為。けれど、慣れない内はこれが結構怖かった。
大容量の術石は、吸収の勢いも凄いのだ。初見の人はまず驚く。
「町に戻ったらブローチかネックレスあたりにしましょうか。フロン、なくしちゃダメだよ?」
取り込みが完了し、内側にいくつもの白紫の光球を宿したそれを「はい、これ」とフロンに手渡した。
フロンの手の中で、星の海を内包したアメジストが静かに瞬いている。
「わ、わたしが持つの? だってこれ、お姉ちゃんの大事にしてる……」
「そりゃあ、そう数が手に入る物じゃないもの。央都の舞踏祭で優勝した時の賞品ってだけだから、気にせず持ってて。フロン“は”雷術使えないでしょう? 私がいない時、その子たちの“おやつ”どうするの?」
「わ、わかった。ありがとう、お姉ちゃん」
――……今度代わりに何か贈るからね……。
フロンはコロナに聞こえないよう、小声でそっと付け加えていた。
「フロン、今何か言った?」
「な、何も言ってないよ……?」
コロナは首を傾げつつもフロンがそう言うならと深く追求せず、
「それじゃあフロン。準備して調査開始といきましょうか」
「はーい!」
――それから、準備を終えた二人は必要最低限の荷物だけを持って、屋敷に足を踏み入れた。
その背を、留守番役となった雷獣たちに見守られながら……。




