第十七話 回想 雷食す獣
エクレールに怒りを露わにしてみせた後も、しばらく続いた町の央都出張所での通信。
その終了から、ものの数分で雷獣の首根っこを引っ付かんだエクレールが、待ち合わせの場所たるアーチ状の門前に現れた時は、何事かと思ったものだ。
許されたとはいえ、コロナを怒らせたばかりで気が重かったろうに、師匠も意地が悪い。
コロナが何食わぬ顔で、居心地悪そうにしているエクレールから、雷獣と師匠からの贈り物だと言う“球状の泡に守護された霧吹き”を受け取ると、
「あ、後は頼んだからな!」
それだけ言って、すぐさま彼女は逃げるように去ってしまった。
コロナに何かを言われる前に、ということなのだろう。おかげでお礼を告げる間もなかった。
エクレールが去っていった方向から推測するに、コロナが隔離する以前に流されていった水霊クラゲが、下流にどのような影響を及ぼしているのかを調査しに行ったようだ。
あれから一週間も経っているので、何事もなければ何も見つからないはず。
もし何かあったら、極太の雷が無数に降り注ぐ様を、遠い空に見られるかもしれない。
「もう怒ってないのになぁ」
「またねー」
空の彼方へ遠ざかっていく雷光を見つめながら。
コロナは呟き、フロンは手を振り、それぞれに見送って。
あちらはエクレールに任せるとして、さて、ここで一つ問題が発生する。
この場からの離脱を急ぐあまり、エクレールは雷獣に何の指示も出さずに行ってしまったのだ。
主以外の命令なぞ超常種でなくともそう聞いてくれるものではない。
というか、どうせフロンが手懐けると踏んで、その辺に居た速そうなのを適当に捕まえて来た可能性すらあるわけで。
――って、こんなのがその辺にいてたまるもんですか!
とはコロナも思うが、エクレールの“その辺”の範囲は彼女の移動方法からして尋常ではない。一概にないとは言い切れないのである。
案の定、エクレールが去るなり狩猟者としての目を姉妹へ向けた二体の雷獣は、その雷光めいた素早さを発揮――できなかった。
動機は違えど、エクレールが捕らえていた時点から既に、コロナもフロンも安全が確認できるまでは雷獣に一切行動させないつもりでいたので、姉妹からすれば当然と言えば当然のことだった。
対象が射程範囲に存在するのであれば、零に限りなく近い時間で獲物を捕らえられる雷獣といえど、零そのもので身動きを封じられてはどうしようもない。
何の前触れもなく、あたかも最初からそこにあったかのように。
どこからともなく生じた冷気と熱気が彼らの全身を包み込むように吹きかかる。
するとどうだろう。
二体の雷獣は、その身に蓄積した強力な雷を纏うことも、“頭部から尻尾にかけてのふさふさの体毛”を逆立てて威嚇することすらせず、耳を伏せ、その場に仰向けになって腹を晒した。
まるで服従を誓うから殺さないでくれと懇願するように。
知能も力もあるだけに、冷気と熱気に含まれていた途方もない力の気配をひしひしと感じ取った結果、自らの死を確信してしまったのだ。
見守る姉妹の視線の先で、雷獣の“ふかふかで柔らかそうな白い腹毛”が、風を受けて静かに揺れていた。
賢い獣にはこの手に限る。
痛みを伴う手出しをせずとも、力の差を理解させてやれば自ずから引き下がってくれることが多い。
すっかり大人しくなったと見るや、うずうずとさっきから落ち着かない様子でいたフロンが待ってましたとばかりに自分と目を合わせた一体に駆け寄ると、その腹に顔を埋めて盛大にふかふかを堪能し始めた。
それもただ堪能するのではない。
ちゃんと雷獣も気持ち良くなるよう的確に撫でてもいるようだ。
一瞬で雷獣の気持ちのいいポイントを見つける勘は、流石としか言いようがない。
殺されるのかと身を強張らせていた雷獣が、あっという間に懐に抱きつかれた上、予想に反して気持ち良くされたことで混乱したのだろうか。
そのまま帯電すればフロンを殺せたかもしれないのにそれをせず、
「こふゅっ!? くゅー!? くゅー!?」
と、長い耳をぱたぱた羽ばたかせつつ、目を瞑って身を捩りながら変な声で鳴いている様は、しばらく忘れられそうもない。
他方、コロナと視線を合わせたもう一体は隣の惨状……? を目の当たりにして緊張を募らせ、尚更身を固くしていた。
そこへ音もなく歩み寄ったコロナは、
「私の言葉がわかるのなら座りなさい」
つい威圧的になりながらも、人語が通じるかどうか試してみる。
肝心のフロンがあの様子なので、こうするしかないのだ。
見つめ合うこと数秒ほど、雷獣はこちらを怯えたような目でじっと見つめたまま固まっている。
(わからない、か……。それとも、もしかして動けないのかな?)
どうしたものかと、エクレールから渡された泡を胸に抱いて考えるコロナは、助けを求めるようにフロンの方に視線をちらり。
「よしよし……。いい子いい子……」
「くぅおーん……」
一体何をすればそうなるのか。
もう手懐けられたらしい雷獣が、フロンに促されるまま仰向けから伏せの姿勢になり、頭を撫でられ気持ち良さそうに目を細めているのを見て、
(私も撫でてみようかな……)
そう思い立つと、泡を割って師匠から贈られた霧吹きを取り出し、中の液体を自らにくまなく吹きかけた。
遮電効果があるという、師匠が調合した術水だそうだ。
これで不意に帯電されたとしても問題ない――はずだ。
雷獣がその本領を発揮するのは帯電時。
そこに乗るのだから、何かしら対策をしなければ感電は免れないということで作ってくれたらしい。
コロナもフロンも自分の術で防御できるので、これは本来必要のない物なのだが。
力の反動で無駄に消耗することのないようにと、師匠が気遣ってくれたのだろう。
(報告する時にお礼言わないと、ね)
準備が済んだコロナは、無造作に雷獣へと歩み寄る。
その一歩を踏み出した瞬間、雷獣の体がびくりと震えたように見えたのは、決して気のせいではないのだろうが、それを無視して頭の傍に横座りしたコロナは、手をゆっくりと雷獣の頭へ伸ばした。
すると――。
目を見開き、手を凝視し、少し開いた口からは荒い息を吐きながら。
雷獣が、目の端に涙を浮かべて、小刻みに身を震わせ始めたではないか。
別にまだ何もしていないし、殺気すらなく。
隣では同胞が手懐けられこそすれ、傷つけられてなどいないというのに。
最初に脅しているので、こんなことを思う資格はないのかもしれないけれど。
でもその反応はちょっと、あんまりというか、なんというか。
「うぅ……、そこまで怯えなくったっていいじゃない……。だ、大丈夫だから、痛いことなんてしないから、ね?」
何がいけないのだろう。このままでは撫でるどころではない。
コロナが動揺を隠すのに必死になっているところへ、
「……“コロナ”? 雷獣さんいじめて楽しい?」
フロンの冷たい声が突き刺さった。
半目になって、じとーっとコロナを非難するように見つめている。
「ち、ちがいます!」
「ふーん?」
「ほんとだから!」
「……その子に訊いてみる」
「信じてない!?」
最愛の妹に信じてもらえず、がっくりと肩を落としてうなだれるコロナ。
そんなコロナを放置したまま、
「ファレーシュ、手伝ってくれる?」
フロンは自分が手懐けた雷獣に協力を求めた。
「ふぉうん!」
応じるように一鳴きしたファレーシュというらしい雷獣は、フロンに連れられてもう一体に歩み寄ると、ぺろぺろと顔を舐めたり、説明するかのように鳴いたりして落ち着かせようと試みる。
すると、怯えてコロナから視線を離せなくなっていた雷獣が、フロンにゆっくりとその眼差しを向けた。
「よしよし、もう怖くないからねー」
雷獣の傍らに座り、お腹を撫でる。
「くゅーん……」
徐々に緊張がほぐれ、雷獣が気持ち良さそうにし始めたところで、
「お姉ちゃん、もう撫でても大丈夫だよ」
「……ほんと?」
膝を抱えてしゅんとしてしまっていたコロナは、不安に思いつつも顔を上げた。
フロンに促されるまま、慎重に雷獣のお腹のふかふかに手を伸ばす。
――あったかい。何より、柔らかい。
これはフロンが好むわけだと、一人納得した。
「ねえフロン。この子、何て名前なの?」
「――くぉーん」
鳴き声を真似るでもなく、いつも通り話したフロンに応じていたように。
雷獣は人語を解するらしく、コロナの問いに鳴き声による返答がきた。
すかさずフロンが訳す。
「コフレネだって」
「コフレネ、怖がらせちゃってごめんね……」
「ふぅぉーん」
また答えながら、身を起こした雷獣コフレネは、コロナに身を寄せて頭を差し出す。
少しは気を許してくれたらしい。
「よしよし。いい子ね……」
そっとその頭に手を添え、フロンがやっていたように優しく撫でてみると、
「くぅおーん!」
耳の後ろが特に気持ちいいのか、そこを重点的に撫でると嬉しそうな鳴き声が返ってきた。
「よかったね、お姉ちゃん」
「ありがとうフロン。本当に助かったわ……」
コロナは心の底から安堵すると同時に、もう動物との接触はフロンに任せようと思った。
それからしばらく二体と戯れ、食事を共にして――……。




