第十五話 あの災難から一週間
水霊クラゲの大発生より一週間後。
町の状況は、犠牲者の埋葬と最低限の後片付けだけはなんとか済んだといった具合。
まだまだ以前の様子には遠い有り様だ。
央都の出張所も例に漏れず、とりあえず見た目は捨て置き一通りの機能だけはどうにか復旧させ、本日より業務を再開していた。
そんな出張所の一室、厳重に守られていたおかげで機能共々無傷だった部屋の一つ――通信室に姉妹の姿はあった。
「おいコロナ、今なんて言った? 最南の町一つ埋め尽くす量の水霊クラゲだって?」
前文明の遺産の一つである箱型通信端末に繋がれた、小部屋の壁一面に広がろうかという大型ディスプレイに映るのは、目つき鋭い褐色の女性の訝しげな表情。
その視線を真っ直ぐに見つめ返し、クラゲについて改めて報告を終えたコロナはこくんと頷いた。
「その通りだよ、エクレールさん」
「だけどなぁ……」
短髪に手をやって、うーんと唸るエクレール。
「ほんとだもん! わたしはともかく、お姉ちゃんは信じてよ!」
「いや、コロナを疑っているわけじゃなくてだな……」
コロナのことは信用しているが、事象があまりにも珍妙故に半信半疑から進めないといったところだろうか。
そんなエクレールに対して、コロナに横から抱きつくようにしているフロンは、不満げに頬を膨らませている。
その肩には捕獲したものを手懐けたのか、一匹の水霊クラゲが大人しく座って……絡み付いていた。
大きさは、中央触手の先から頭頂部まで長さ十センチメートル未満、横幅は掌に乗せても少し余る程度といったところだろう。
「ねえエクレールさん、先に居たのは纏めて、後から流れてきたのは片端から焼き払っちゃったから、まともな証拠を提示できないこっちも悪いけど、水霊クラゲは確かにここにいるんだよ? それに、こんな馬鹿みたいな嘘吐いてもしょうがないよ。だいたい師匠じゃないんだから……」
どうにか納得させられないかとコロナが尚も言い募ろうとしたところで、
「――いくら私だって、そんなバレバレの嘘は吐きませんよ?」
「おわっ!」
後ろで一纏めにされた水色の髪を揺らしながら、ぬっとディスプレイに姿を現す長身の男性。
形状だけ前文明の軍服とやらを模した青と白の衣装の彼は、その細身には不釣り合いな大きな剣状の得物を二振り交差するようにして背負っている。
見るからに重そうなのに当人の表情は涼しげだ。
それを目にしたリリィ姉妹に驚いた様子がないことから、それも普段通りの見慣れた姿ということだろう。
そこまで音どころか気配さえなかったのか、エクレールが声を上げて驚き、その身をびくりと跳ねさせる。
拍子に空中を流れた青白い雷光は美しく、まるで流れ星の軌跡のようで。
それを目にした姉妹は、願い事でも言えばよかったかなと思っていた。
幸いなことに機器への影響は生じていない。
「なんだよ爺さん、戻ってたのか……。びっくりさせんなよ、もう……」
「たった今ですね」
爺さんと呼ばれるには若過ぎる外見の細目の男性は穏やかにそう答え、コロナとフロンに微笑んだ。
「コロナ、フロン。二人とも元気にしているようで何よりです」
「……ご無沙汰しております、師匠」
「久しぶりですね、コロナ。そのうざいと言わんばかりの表情もなんだか懐かしいです」
「そっ、そんな顔してません!」
「そうですか? 目が泳いでいますよ?」
「えっ、嘘!?」
「ええ、嘘です」
「ーーーーっ!」
にこやかに返す師匠にコロナは一瞬惚けた後。
何か言おうとして、けれど言葉が咄嗟に浮かばず、とにかく口だけがパクパクと動いた。
「おや、魚の真似ですか?」
「ちっがーうっ! ああもうっ! またっ、またやられた!!」
「相変わらずのようですね。このまま旅を続けさせること、少し心配になりました」
「ふ、二人の時はちゃんとしてるから!」
「だといいのですが……。それからフ――」
「ねえ“パパ”これ見て! 水霊クラゲ捕まえたんだ! 名前はユララにしたよー!」
挨拶ついでにからかわれて赤面しているコロナから“師匠”の視線が自分に向けられるや否や、フロンは身を乗り出し、ディスプレイにクラゲを乗せた肩をぐいっと近づける。
紹介されたクラゲは、挨拶するかのように幾本かの触手を束ねてゆらゆらと揺らして見せた。
「これは……! よく懐かせましたねフロン。水霊クラゲは明確な意思を普通持たないので、ふらふらと動き回っていつの間にか姿を消してしまうものなのです。そうやって一つところに留まるのは大変珍しいんですよ」
「えへへー、かわいいでしょー?」
「ええ。大きさも丁度飼いやすいですし、艶もいい。ちゃんと定期的に水分をあげるのですよ? 水霊クラゲにとって、水は命そのものなのですから」
「はーい!」
穏やかな表情を浮かべる師匠に元気よく返事をするフロンはいつにも増してご機嫌だ。
「あー、おまえら? じゃれ合うのはいいけど本題忘れてないよな?」
会話の一瞬の空隙をつくように、エクレールがどうにも言い辛そうに口を挟む。
“親子”水入らずの時間を楽しませてやりたいとも思う故だろうか。
それとも、何か後ろめたいことでもあるのか。
「ああ、そうでした。まずはそちらを片付けてしまいましょうか。コロナ、フロン、いいですね?」
「……私、初めからそのつもりだったんだけど」
「わたしもいいよ!」
ちょっと拗ねたようなものが混ざった声と、元気がいっぱい詰まった声による返事。
それらに一つ頷くと“師匠”こと水創主は、コホンとわざとらしく咳払いをしてから口を開いた。
「頼まれていた水霊クラゲの出所ですが、おそらく最南の町から川をずっと遡っていった先にある屋敷……研究所でしょうね。覚えていますか? あなた達が“処分”した男を。その男の隠れ家の一つです。術によって施されていた安全装置でもあったのでしょうね。繋がっていた主を失って、その効力が切れたのだと思われます」
告げる師匠の姿が縮小されディスプレイの隅に移動し、入れ替わるように地図が表示される。
最南の町。そこから主に北西方面に伸びる幾筋かの川と、南方以外の三方に伸びる街道。
近くの林に、少し離れたところから地形やいくらかの日当たりや気温差、土壌などに応じてそれぞれ方々に広がっている農地に放牧地。
町から東北東、人里より離れた位置には夜岩竜の住む岩山。
その岩山よりも遥か向こう側には、二人で復活させたと思しき湖がある。
視線を川に戻して上流へしばらく移動させると、赤色で丸印が付けられている場所があった。
最近はマシになったが、もとより穴だらけの地図。
記載されていない重要な建物などが、どれだけあることやら。
「そういうのって、エクレールさんたちが追跡ついでに調査した後で破壊してるんじゃないの?」
本来なら追跡対象を泳がせつつ確保ないし処分した後。
その過程で発見した施設などを調査し、必要なら消滅させるところまでが彼女の仕事のはず。
未発見故に処理残しが出る場合こそあれ、発見済みの施設を彼女が仕損じるとは思えない。
相性が悪すぎて、創主の雷どころか雷が引き起こす他の現象共々通用しなかったとでもいうのだろうか?
「それがですね……」
「……すまん。その……らしいんだよ、そこ」
「どうしたのバチバチさん? なんか言い辛そう。それにらしいって――」
――何が? とフロンが小首を傾げた。
目の前で玩具を揺らされた子猫みたいな仕草だったので、横目に見ていたコロナはついついフロンの頭を撫でてしまった。
コロナに撫でられて気持ち良さそうに目を閉じるフロン。
普段ならエクレールから「猫か、おまえさんは」とでも突っ込みが入るところ。
それが今は、口をもごもご、髪の毛わしわし、視線をきょろきょろと、落ち着きなく繰り返しているだけ。
「――お化け、ですよねエクレール?」
見かねた師匠がやれやれと肩をすくめてから代弁した。
「……ああ、エクレールさんお化け苦手だもんね。要するに怖いから調査も破壊もしなかったんだ」
少し間をおいてから、コロナは納得したという風に頷く。
「ついでに先程まで報告も忘れていましたね。嘆かわしいことです」
「本っ当に申し訳ない……。そこだけなんだ。そこだけ終わってなかったんだ……」
師匠にも姉妹にも両手を合わせて頭を下げて見せるエクレール。
コロナは「その必要はないよ」と頭を振った。
「元凶はあの男でしょ。それに、下手に暴れられて調査不足のまま轟雷爆撃される方が困るよ。もしそうなってたら何が起きてたかなんて、わかったものじゃないんだから」
どうしてあの夜私に頼まなかったのとか、結界はどうしたのとか、色々と言いたいこともあるけれど……と。
そんな風に内心では続けながらも、実際には物言いたげな視線を向けるだけにして、
「ねえ師匠、要するにその屋敷に私たちが行って、必要なら処分してこい、ってことでいいんだよね?」
「ええ、その通りです。お願いしますね。移動に使う足はこちらで用意しますから」
「わかった。……フロンもそれでいい?」
「うんっ!」
師匠――義父と話せたことが嬉しいのか、フロンのやけに力強い返事を耳に入れながら。
コロナは考え込むような素振りを見せてから「でも、変ね……」と続けた。
「なら、どうして全然別の場所にある湖は枯れたの? 地図だとまるで逆方向みたいなんだけど」
「……ああ。訊かれてますよ、エクレール」
問われた師匠がやれやれといった風に息を吐いてから、横目で隣にいる褐色の女性を見やる。
「うっ……」
「師匠? なんでエクレールさんに振るの?」
「ねえお姉ちゃん、バチバチさん大丈夫かな? 今度は顔真っ青だよ?」
「………………」
疑問に思う姉妹の前、しばし沈黙したエクレールはやがて意を決したように口を開いた。
「あたしのせいですゴメンナサイ」
「――――は?」
「加減を誤った一撃を無理矢理に逸らした結果、だそうです」
「そのー、あれだ。あの男を追い回してた時にちょっと、な?」
「…………ねえ、エクレールさん。言い残したいことは、それだけかな?」
にっこり、と。
コロナが笑顔になると同時に、彼女の周囲の空間が熱によって揺らめく。
距離や障害物など一切を無視して、ディスプレイ越しにでも今すぐ焼き殺せてしまえるのではないか――。
この場の誰もが、そんなことを思ってしまう。
師匠にいたっては何か思い当たることでもあるのか、「さようならエクレール。コロナなら多分、本当に燃やせますよ?」と既に見捨てモードだ。
「ままま待て落ち着け!?」
「ちょっ、お姉ちゃんストップストップ! 機械融けちゃう壊れちゃう!? いいから、わたしは平気だから抑えてお姉ちゃん! ねっ? ええとええとほらっ、ぎゅーってするから、ぎゅーって。だから機嫌直して? お願い!」
エクレールは身を仰け反らせて慌てふためき、フロンは説得しながら姉の熱を自らの冷気で相殺しにかかる。
フロンが抱きしめたりしたこともあってか、どうにかコロナは落ち着いた。
機械もなんとか無事のようだ。
「……エクレールさん」
「はい、何でしょうコロナ……さん」
「フロンに免じて今回は見逃すけれど……」
――ツ ギ ハ ナ イ ヨ?
「……はい」
まだ刺々しいコロナの視線の先、ディスプレイに映るのは、すっかり意気消沈したエクレールのげっそりとした姿だった。




