第十話 準備完了いざ行けん
コロナが妹を連れて央都を離れることにしたのは二年ほど前のことだ。
基本的には何一つ不自由することない生活を捨ててまで安住の地を求める旅に出たのには、ちゃんとした理由がある。
唯一母に感謝している点である、人目を惹きつけてやまない愛らしい容姿はもちろんのこと。
ラベンダーを思わせる薄紫色を少し白に近づけたような髪色は、里ではみんなそうだったので気にしたことはなかったけれど。
師匠の水色のような、少し近い色合いこそあれ、どうやら他ではまず見かけない珍しいものらしく。
おかげで、どんな場所においても『ここにいますよ!』『見つけてください!』と言わんばかりで。
見たままの年齢から御しやすいと思われるらしく、央都では力を目当てにやってくる連中が後を絶たなかったし。
更には、捕まえるリスクに見合うだけの高値で売れると踏んだのか、人攫いの組織にも目を付けられていた。
師匠など、守ってくれる誰かが常に傍にいるわけもないので、当然自衛する必要が出てくる。
コロナは一蹴するなり身を隠すなり、それらにしっかり対処していたのだが、問題はフロンだった。
ある時は、かわいい動物や美味しそうなお菓子といった、あからさまな餌にあっさりと釣られ。
またある時は、近づいてきた相手を恐れるあまり、過剰に攻撃して見るも無惨な生ゴミにして、近隣住民に心的外傷を負わせてしまったりという具合で。
そういう経緯で、姉妹はひっそり静かに暮らせそうな土地を探し求め、各地を巡ることにしたのだ。
そのついでに『お二人の容姿はどこであっても大変目立つので、どうせ向こうの方から襲ってくるでしょうし』と、行った先々での術犯罪の取締りや未開地の調査などを頼まれてしまって。
それも少なくない報酬の約束つきで。
少女二人で旅をする以上、ある程度は火の粉が降りかかってくることも承知していたが、まさか自ら火の粉を浴びに行かなくてはならないとは。
一体何のための旅なのか、コロナは時々釈然としない気持ちになる。
今もそんな気持ちを抱きながら、“いかにも”な雰囲気のする町の通りをフロンと歩んでいた。
別に報酬が目当てというわけではない。
確かに金品は必要だが、旅費なら――。
旅の途中で見つけた稀少品や薬草類を売り込んだり、人里を脅かす獣や超常種を退治する代わりに謝礼をもらったり。
町で買った服を去り際に売ったら、結構な頻度でなぜか買い値より高値で売れたり。
コロナの気分がいい日は、酒場の小ステージや路上で踊っておひねりをもらったり。
また、属性の力や簡易な術などを封じ込めることのできる鉱石――術石と呼ばれる、誰にでも扱いの容易なそれに、日常で使われる属性の力や術を再度封じたりすることで報酬を得たり。
――そんなこんなでしっかりと稼いでいる。
そもそも、それほど稼ぐ必要もないのだが。
人里にいない期間の方が長いというか。
人里に立ち寄るのは社会見学や道楽のためであって、別に町などに寄らなくても姉妹の旅には特に差支えはない。
それなのに人里に着いたら、こうした見回りを何度か行ったりしているのは、ひとえにそれが命の恩人による頼みだからだ。
二人の生まれ故郷、辺境にある雪山の隠れ里で。
氷創主としての力が制御し切れないこともあって、それまでに降り積もった諸々の事情により、とうとうフロンの命が里人によって絶たれようとした際。
フロンや自身に対する里人の態度や扱いに、怒りを募らせながらも妹のためと我慢していたコロナの堪忍袋の緒がついに切れて。
怒り狂ったコロナは力を暴走させ、“フロンを除いた里の全て”を焼き払った。
それからコロナは、フロンを伴って山中を幾日もさまよい、やがて両者とも力尽き倒れた。
そんな姉妹を見つけて保護した命の恩人――創主長がいなければ、今頃二人とも野垂れ死んでいたか、もしくはその時近くを通りかかっていた人攫いに回収されて、売り物になっていたかもしれないとあっては、無視するわけにもいくまい。
央都の出張所といった出先機関など、央都への情報伝達手段が用意ないし残されている場所に着いては、その度に調査報告書だって出しているし、時折ある依頼にだって応じているのは、そんな事情故だ。
「……うぅ、恥ずかしいよぉ……。なんでコロナは平気なの? スカート数日ぶりだよね……? 違和感とかないの……?」
「そんなに恥ずかしい? 私にはいつものことだから別に気にならないよ? むしろフロンに包まれてるようで、とっても幸せ!」
「……幸せなのは、わたしもだけど……」
「ならいいじゃない!」
朝の一件により、今日一日は思い切って服を交換してみることにしたリリィ姉妹だったが。
いつも太腿だけを露出させているフロンは、肩腕膝と普段よりも圧倒的に増えた肌色面積に戸惑いを隠せないらしく、恥ずかしそうにしながらコロナにしがみついている。
コロナの服装で、そわそわと落ち着かない様子でいるフロンの可愛さは格別で。
しかも今はそんな妹がぎゅっとしがみついてきてくれていて。
――なんて幸せなんだろう。
幸せな気分に浸っているコロナはというと、むしろ露出が減ったので恥ずかしがる要素もなく。
唯一その要素足り得るはずのスカートだって、人里やその近くでは“ある事情により”あまり穿かないだけで嫌いでも苦手でもなく、むしろ慣れている。
その上フロンのものとくれば、喜びしかない。
二人とも共通して、多少の暑い寒いはあるものの。
それ以上に喜びが優先されているためか、お互いに触れ合っている分には普段と大差なく過ごせており、概ね満足しているというのが正直な心境だ。
並び以外は調和も何もあったものではない町中には、日当たりが悪く、まだ昼前だというのに薄暗い通りがいくつか存在する。
その中には、ぱっと見ただけではわからない、意図的に汚されているような、最低限片づけたような、そんな妙な散らかり方をしているものがあり、コロナたちの狙うべき獲物は大抵そこにいる。
普通の通りは基本的に住人や他の旅人に任せておけばいい。大抵それでどうにかなる。
たまに彼らでは対処不能な大物が引きずり出されてくることがあるので、そういう必要な時にだけ介入すればいい。
だからコロナたちは、違和感を逃さないよう気を配りながら、片端から怪しげな通りを巡っていった。
たまに絡んでくるゴロツキからは物理的交渉術で情報を吐かせ、姉妹の容姿に釣られて下心を隠そうともせずナンパしてくる連中は適当にあしらって。
情報を持っていそうな浮浪者には、その人が襲われない程度の金目と引き換えに話を聞いて。
その中でフロンに触れようとした者だけは、コロナの手により一人の例外もなく、白目を向いたままその場で立ち尽くし、口から泡を吐き出し続ける彫像と化していった。
翌日からも、衣装を町で買った物にしたりして気分を変えながら、そんな調子で町を巡ることおよそ一週間。
どこぞから流れてきた術犯罪者や、危ない獣や薬の売人などを捕らえたり始末したりと姉妹は一応の成果を上げたので。
そろそろ頃合だろうと、二人は住処探しに取りかかるべく、丸一日費やして荷物の整理といった出立の準備を終わらせた。
ことが起こったのは、その翌日である。
旅立ちの朝を迎え、頼んでいたお弁当をすっかり馴染みとなったゴリラな店主のお店に引き取りに行った際、それは起きた。
「ぐぬぅ!?」
カウンター席にて、お弁当を待つ間におやつでも食べようかと頼んだレアチーズケーキに心を奪われていた姉妹の耳に、店主の野太い呻き声が届く。
「――ど、どうしたんですか!?」
「――にゃ、なに!?」
夢心地から一気に現実へと引き戻された二人は、何事かと奥の厨房に視線を移す。その視界に、店主の倒れ込む姿が入ったかと思うと――。
「――げっ!」
「わぁ……!」
“それ”を目にして、
露骨に嫌そうな顔をしたのはコロナ。
嬉しそうに目を輝かせたのはフロン。
水っぽい半透明の体から中心にちょっと太めなものを一本、その回りに幾本もの細長い触手をぶら下げた生き物たちが、べちゃあと店主や床に張り付くようにしてそこにいた。
それも沢山。
二人が目にしたものとは、まさしくクラゲと呼ばれる存在だった。
水辺でもないのになぜここにいるのか。
そんな疑問を抱く時間さえなく事態は進行する。
氾濫した河川。
そうとしか言いようのない勢いで、一つの塊になったクラゲが濁流と化して押し寄せてきたのだ。
店主の姿が瞬く間に呑み込まれ――、
「――まずいっ!」
咄嗟にカウンターを飛び越えたコロナが炎の壁を生み出し、クラゲを蒸発させて進行を食い止めるも、店主や建物に配慮したためか火力が足りず、火勢はみるみるうちに弱まって、すぐにでも消えてしまいそうだ。
「予想より火の減衰が早いっ!? まさかこいつら、水霊クラゲなの!?」
その僅かな間に、火傷させないよう注意しながら店主に取り付いていたクラゲを焼き払いつつ、
「よい……しょっ!」
自身よりずっと体格のいい大人を、その見た目からは想像もつかない膂力を発揮して担いだコロナは、炎の壁に再び火力を補充して時間を作った。
壁が完全に消える前にさっさと脱出しようと、何やら騒がしいフロンに呼びかける。
「フロン! 一旦逃げるよ……ってフロン!?」
「わぁーい、クラゲさんいっぱぁい!」
あろうことか、フロンは炎の壁が焼き漏らしたクラゲを捕まえて心底ご満悦の様子だった。
「触手! 触手!」
触手と楽しそうに連呼しながらクラゲのそれを弄くり回し、しまいには「あーん」と口に運ぶ始末だ。
コロナはその光景を前に、「イカやタコじゃないんだから、そんなの食べちゃいけません!」とフロンを叱ることもできず、ただ――ああ、そういえば。好きだったね、触手――と、妙に覚めた思考の中で納得していた。
そうこうしている内に炎の壁は消火され、“氷が守ったフロンと二人分の荷物、氷りつつあったお店の内装、それと無駄に手厚く氷で保護された食べかけのレアチーズケーキ以外の全て”はクラゲ濁流に巻き込まれていった。
ケーキへの敗北感とちょっぴり寂しい気分を味わいながら、反撃する気力の失せたコロナはクラゲの流れに身を任せた。
(フロンのばかぁ……)
コロナの心の叫びは、当然届かない。




