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 広大な大地が広がるアルゼシア大陸のほぼ中央に位置するアルガリタ国。

 十四歳でアルガリタ国の王となったルオラスは、その若さから計り知れない知恵と勇猛さで、大陸一と言われるまでにアルガリタ国に栄華をもたらし民たちの熱い信望を一心に集めた。

 憂いひとつない穏やかな世が続き、民たちはこの平和な時代を築き上げたルオラスにさらなる信頼を寄せ崇拝した。

 けれど、そんなルオラスの時代も長くは続かなかった。

 何故ならルオラスは四十という若さで、不治の病に冒され病床の身となってしまったのである。

 自由のきかぬ身体ではこの国を統べることはできぬと判断したルオラスは、息子に玉座を委ねることを決意する。

 ルオラスには二人の息子がいた。

 ルカシスとその弟ダルバスであった。

 この二人はまるでルオラスを二つに分けたかのような存在であった。

 兄は武芸よりも学問をよしとし、弟はまさにその反対。性格もルカシスは温和で穏やかな物腰であるに対し、ダルバスは気性が激しく攻撃的であった。


 そして、次の王として選ばれたのは長男であるルカシス。

 もっともそれが妥当であろうと、誰ひとりとして反対するものはいなかった。

 そして、ルカシスには王族と最も所縁のあるアルジェリア家のイルミネを妃に迎えることとなった。

 やがて、それがこの国を波乱と混乱へと陥る元凶になろうとは、この時誰が思っただろうか。

 すべての悲劇はそこから始まった──



 ◇・◇・◇・◇



「して、イザーラよ。そなたはこれからどうするつもりか?」


 学問所、学長室。

 イルミネの元を訪れてから数日後のことであった。イザーラは学長じきじきに呼び出され、こうして学問所へと足を運んだのだ。

 広々とした部屋の窓際に、学長専用の立派な黒檀の文机が置かれ、壁を埋め尽くすように並べられた棚には様々な書物が並べられていた。そのせいだろうか、部屋は薄暗く重苦しいほどの圧迫感で息がつまるようであった。

 机に腰掛ける齢九十近い学長は、型どおりの挨拶をすませると、しわがれた声で切り出した。

 張りつめた空気が漂う暗い部屋に、傾き掛けた陽光が斜めに窓から差し込んでくる。矢じりを模した窓の面格子が、黒い影となってイザーラの立つ床に落ちる。その影はまるで、イザーラ自身を矢じりで貫いたようにも映った。


「先のことなど、何も考えてはおりません」


 何故、みなわたしをそっとしておいてはくれない!


 心の中でそう叫びつつも、そんな感情などいっさい面には表さずイザーラは抑揚のない声で言う。

 屋敷に戻れば父も母もまるで自分の機嫌をうかがうように言葉を選んで話しかけ、使用人たちまでもが、あからさまに気を遣った態度で接してくる。

 外に出れば、王妃に選ばれなかった、あるいは、妹に王妃を奪われた気の毒な娘だといわんばかりに憐れみと好奇な視線を向けられ、イザーラに対してよい感情を持っていない者たち、とくに貴族の娘たちからは、いい気味だわ、と蔑みの目で見られた。


「そなたは誰よりも熱心にそして、真剣に学問に取り組んできた。このまま学問所(ここ)に残り、さらなる研究を続けるのもよいであろう。だが……」


 ふと、言葉を閉ざし、老いた学長はじっとイザーラを見つめる。

 だが……と、その後に続くであろう学長の真意など、手に取るようにわかった。

 学長が言いたかったこと。

 それは──

 首席で卒業をしたとはいえ、女である自分がいつまでもここに残っていては回りの者がいや、学問所に席を置く大多数の男たちがいい顔をしない、目障りだと言いたいのだろう。

 つまり、できることならここへは戻ってくるなと言外にほのめかしているのだ。

 ばかばかしい、とイザーラは心の中で一笑して吐き捨てる。


 女のわたしに嫉妬するほど悔しいのなら、勝ちたいと思うなら、寝る間も惜しんで努力すればいいのだ。

 ただそれだけのこと。

 これまでわたしがそうしてきたように。

 なのにおまえたちは、ただ人を羨み文句を並べるだけ。挙げ句の果てにはわたしが学問所にいると、落ち着いて勉学に打ち込めないと。

 そんなばかな話があるというのか。


「いいえ、そのつもりはございません」


 あらかじめ答えを用意していたと思われるほどに、イザーラの口調にためらいはない。

 もっとも、イザーラとてここに残るなど、少しも考えてもいなかった。

 王妃となってルカシスを支えていくという望みも断たれてしまった今となっては、これ以上学問を学んだところで無意味なこと。それどころか学問への興味すらすっかり失ってしまった。

 もはやこんな所にいることじたい苦痛でしかない。

 うむ、と短く声を落とした学長は、しわに埋もれた細い目をさらに細め、机にひじをついて両手を組む。


「ならば、そなたによい話がある。ルカシス殿下がぜひそなたを王宮に迎えたいとの仰せだ」


 緩やかにイザーラは顔を上げた。


「官職を目指してみる気はないかとのこと」

「わたしにはこの国の政治を担うほどの手腕も器も持ち合わせてはございません」


 先ほど、学問所に残るつもりはないと答えた時と同様、迷うことなくイザーラは即座にその気がない意志を示す。


「何を謙遜しておる。せっかくの機会、無駄にするのも惜しいこと。何より、殿下じきじきのお言葉であるぞ。無下に断る必要もあるまい。もっとも、女性の官職はこの国初めてゆえ、男に混じっての王宮勤めはそなたにとっても人一倍の苦労もあるであろう。だが、悪い話ではあるまい」


 婉曲に殿下の望みを受け容れよ、と言っているようなものであった。

 すべては王となるルカシスの言葉ゆえに。

 そうでなければ、たかが小娘ごときにここまで熱心にすすめてくるわけがない。

 先々代の王が設立した学問所は、身分の隔てなく能力のあるものは試験に受かることができれば誰でもここで学問を学ぶことができる、その誰でもというのには、女でもという意味が含まれている。けれど、やはり男は外で働き女は家を守るという風習をいまだ根強く持つアルガリタにおいて、女性が外に出て活躍することにあまりいい顔をする者はいなかった。

 女性がそれなりの地位を得るには並大抵のことではない。


「……しばらく考えさせてください」


 だが、考えるまでもなく答えなど決まっている。

 たとえ、ルカシス殿下の言葉とはいえ、その申し出を承諾するつもりは欠片ほどにもない。ただ、ここで学長の面目を潰してしまうのはあまりにも大人げない行為だと思ったからである。そして、イザーラ自身にその気はなく、官職についてはきっぱりと断るだろうことはおそらく学長も察しているはず。

 イザーラは深く礼をして学長に背を向けた。

 が──


「懸命な判断だ」


 この場を立ち去ろうとしたイザーラの背にその声は投げかけられた。

 それは聞き取れるかどうかの小さく低い声。

 振り返ると、細められたまなじりにひそむ瞳の奥に、冷ややかな色を浮かべ上目遣いで自分を鋭く見つめる学長と目が合う。

 イザーラは相手に気づかせない程度にわずかに眉をひそめた。


「賢いそなたなら、自分がどうあるべきかわかっておろう」


 その目は先ほどまで熱心に自分に官職をすすめる目ではなかった。それはまるで、女が政にたずさわるなどもってのほか、と厳しく訴える目であった。

 殿下の言葉ゆえ、建て前としてああいうしかなかった。だが、それは中身が空っぽの言葉。そして、学長の本心はまったく別のところにあったということである。

 イザーラは緩やかに口の端を持ち上げ、薄い笑みをはいた。

 何が身分も男も女も関係なくだ。

 それに、このわたしにわざわざ釘を刺さずともわかっている!

 もう一度学長に一礼をすると、イザーラはさっと身をひるがえして扉に向かった。

 部屋を辞したイザーラは、学長室の扉に寄りかかり重いため息をついた。

 頭を締めつける痛みに、こめかみのあたりを指先で押さえ苦しげに顔をゆがめる。


 頭が、割れるように痛い……。

 静かにして。

 お願いだから、誰もわたしにかまわないで。

 そっとしておいて。


 床に映し出された己の黒い影に視線を落とす。

 輝きを欠いたイザーラのその漆黒の瞳に、暗く澱んだものがわだかまっていった。

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