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この女はいったい何なのだ。
その美しい顔で、何故その様なことを平気で口にする。
兄を……ルカシスを亡き者にするだと?
俺ですら、そんなことは少しも考えもしなかったぞ。
何より、この女はルカシスを好いていたのではなかったのか?
「おまえは俺に兄から玉座を奪えというのか?」
「いいえ、奪うのではない。正当に継ぐのです」
「……」
「先ほども仰いましたでしょう。兄であるルカシスの存在が消えれば、必然とダルバス殿下に王位が回ってくると。ご安心を、手筈は全てこのわたしが。殿下はただ、黙って国王の座を待つだけ。簡単でございましょう」
「おまえが兄を……ルカシスを……」
殺すというのか。
かすれた声をもらすダルバスに、イザーラは何か問題でも? といわんばかりに見つめ返す。
その漆黒の瞳にわずかな動揺も、欠片ほどの罪悪感も見あたらない。
「いったいどんな策があるというのだ?」
イザーラは隠し事を愉しむ子供のような笑みを口元に刻んだ。
「それは内緒ですわ。それに、万が一わたくしが計画に失敗したとき、殿下はなんの躊躇いもなく、知らなかったと言い切れるのではないでしょうか。もっとも、失敗するつもりなどありませんが」
ダルバスはふっと失笑をこぼす。
「おまえのような女は初めてだ。王族に媚びへつらう者どもでさえ、そんな自信たっぷりな言葉は吐かんぞ」
「ばかで無能な輩がおおいから」
この女からみれば、王宮にいるすべての者がばかで無能というわけか。
「ただ、ひとつだけ殿下にお願いがございます」
やはりそうきたか、と言わんばかりにダルバスの眼光が鋭く光りイザーラを見据えた。
それ相応の報酬を要求することは当然のことであろう。むしろ、そうでなければかえって疑わしいというもの。報酬によってはこの女の思惑も計ることができる。危険なことに手を染めようとするのだ、報酬が大きければ大きいほど裏切る可能性も低い。
由緒ある貴族の娘だ、金に不自由しているというわけでもあるまい。官職もあり得ないだろう。事実、なるつもりはないと以前言い切ったのだから。
では……なんだ?
何が望みだ?
「ダルバス殿下が王となったその時には、わたくしを殿下の妃として迎えてくださいませ」
一瞬の沈黙が二人の間に流れた。やがて、ダルバスは片方の唇をつり上げせせら笑う。
なるほど、そういうことか。
この女の欲しいものはただひとつこの国の妃の座。この女にとって誰が王になろうと関係ない、自分の地位を獲得できるのなら。
奪われた妃という地位をどんな手を使っても奪い返す。
同士か。
ダルバスは先ほどイザーラが言った意味をようやく理解した。
王の座を欲しがる者。
妃の座を欲しがる者。
しかし、この女の言う通りならば、俺は一切手を汚さず兄を蹴落としこの国の王となることができる。
だが、果たして本当にこの女を信じてよいものだろうか。
真偽をはかりかねるようにダルバスはイザーラをじっと見つめるが。いや……と、ダルバスは心にかかる黒い幕を振り払う。
たとえ失敗したとしても、すべてはこの女がひとりでやったことと言い切ればいい。いや、実際俺は何ひとつこの女に荷担するつもりはないのだから。
そう、俺は何も知らなかった。
この女が勝手にしたこと。
「いいだろう……」
ダルバスは押し殺すような低い声で呟いた。
気に食わぬ女だが、美しい女を妃として迎えたほうが俺としても大いに自慢になる。王となれるのなら、この女の望む褒美くらい微々たるものだ。嫌気がさしたら他の女をいくらでも囲えばよいこと。
ダルバスはそう何度も自分に言い聞かせるように心の中で繰り返す。
この女を利用する。そして、俺はこの国の王となる。
ふと、ダルバスの脳裏に幼い頃の記憶がよみがえった。
兄の影として扱われ、屈辱を受けてきた日々。
王位を継ぐ兄は誰からも大切にされてきた。母の愛も父の期待もすべて一心に、あたり前のように受けて。学問で兄に太刀打ちできないのなら、武芸に励もうと子供ながらに、一生懸命努力した。けれど、誉められるのはいつだって兄だった。
病で兄と一緒に寝込んでしまった時も、皆は必死になって兄ばかりを心配し気にかけていた。
ルカシス様はアルガリタの王位を継ぐから。アルガリタの光だから。だから、二番目である自分はたいして必要とされていない子だと思い続けてきた。
ダルバスは両手を強く握りしめた。
この恨みをまさに晴らすことができる。
この国の王となってすべての者を見返してやることができる。
イザーラは恭しく礼を述べ、艶やかに微笑んだ。だが、その微笑みに隠された彼女の真実の心にダルバスは気づくことはない。
「ひとつ聞くが」
「はい」
「俺がおまえの言葉に憤慨し、この場で斬り捨てられるとは思わなかったか?」
イザーラは不思議そうに首を傾げた。
「何故でしょう? そのようななこと少しも考えもしておりませんでしたわ。何より、殿下ご自身が玉座に相応しいのはご自分だとお思いになられているはず。殿下が兄思いの優しいお方でしたら、わたくしはここへは参りません」
そこでイザーラは、視線を半分落とし何やら意味ありげに肩を揺らしてくつりと笑った。
「ふん、まあよい」
「ご安心くださいませ。殿下はわたくしを信じてお待ちいただければと」
そして、イザーラは誘うような眼差しをダルバスへと向けた。
「ところで殿下、先ほどの続きはよろしいのですか?」
「続き?」
「わたくしを抱かないのですか?」
しかし、ダルバスは追い払うようにイザーラを退けた。
あれほどこの女に欲情し、己の情欲を吐き出してやろうと思っていたのに。
すっかり酔いも興奮も醒めてしまった今、もはやそんな気分になどなれなかった。いや、そもそも今、この瞬間まで、この国の王となる男を、あるいは、夫となるかもしれなかった男を平然と亡き者にしようと口にした女をどうして抱く気になれようか。
「そうでございますか。では、わたくしはこれで失礼いたしますわ。ああ……それともうひとつ」
あからさまな苛立ちをあらわにして、ダルバスは何だと、イザーラを睨みつける。
「わたくし、本日は妹イルミネの元を訪ねるという理由でこの王宮に足を運びましたの。ですが、ダルバス様のお部屋へと参ります途中、何人かの者に見られてしまいましたわ」
どうしましょう、とイザーラは、彼女には似合わない仕草で頬に手をあて困った素振りを見せる。しかし、実際その顔はさして困った様子でもなかったが。
「みなには、俺がおまえを部屋に呼びつけたとでも言っておこう」
「では、あの二人のご結婚の贈り物について、殿下よりご相談を受けたということにしてくださいませ。それと、くれぐれもこのことはご内密に……」
「わかっておる!」
では、と現れた時と同様、優雅に一礼すると、ダルバスに背を向けイザーラは扉へと歩き出す。
去り際、壁に取りつけられていた鏡にふと自分の姿が映ったのを見つめ、イザーラは艶やかな赤い唇に緩やかな笑みを刻んだ。




