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「酒だ! 酒を持ってこい!」


 ダルバスはすでに乱酔しきった様子で足元をふらつかせ、手にしていた酒瓶を直に口をつけ豪快に飲み干した。勢いよく傾けた酒瓶の中の液体が唇の両端からこぼれ、あごをつたい衣服を濡らしていく。


 あいつが、次の王だと!

 俺よりもほんの少しばかり早く生まれただけの、学問のことしか頭にない、剣もまともに振るうことのできない軟弱なあいつが次期国王!


「この俺が奴の下で仕えろというのか! 奴に頭を下げてこの先生きていけというのか!」


 くそっ!


 荒々しく口許を手の甲で拭い、苛立ちをぶつけるように空となった酒瓶を壁に投げつけた。まだ、瓶の底に残っていた赤色の液体が辺りに飛散し、壁や高価な絨毯を朱色に染める。


「何をしてる酒だ! この役たたずめが、首を刎ねられたいか!」


「は、はいっ!」


 ダルバスの側に控えていた従者は、哀れにも怯え命じられるるまま新しい酒を用意するため逃げるように部屋から出ていってしまった。この調子では、冗談ではなく本当にダルバスの大剣で首を刎ねられかねないことを恐れて。

 ダルバスはふんと鼻をならし、筋肉質の身体を揺らしながらソファーにふんぞり返った。そして、手にした自慢の大剣を見つめる。


 俺こそが真の王に相応しいというもの。

 戦でも起きれば己の実力を他者に嫌というほど見せつけてやるものを。

 力こそすべて。

 そんな力も持たぬ者がこの国の王だと!


 その時、扉の向こうで何やら騒がしい雰囲気に気づき、ダルバスは首を巡らせた。


「困ります……私が殿下に叱責を受けてしまいます! ああ、どうか!」


 先ほどの従者が扉の向こうで悲鳴に近い叫び声を上げていた。そして、靴音を響かせ何者かがこちらにやってくる気配。哀れに泣き叫ぶ従者を、その者は無理矢理退けたのであろう、次の瞬間、扉が大きく開け放たれた。

 そこに立つのは匂うほどに美しいひとりの女。

 妖しげな笑みを艶やかかな唇に浮かべ、真っ向から恐れることもなく大胆にダルバスを見つめ返す。

 あまりにも堂々とした女の態度に一瞬、何事かと呆気にとられていたダルバスであったが、やがてその顔を怒気色に染め、憤然たる表情で女を睨み返す。が、現れた女が兄であるルカシスの妃候補であり、学問所を首席で卒業したというあちこちで噂のあがった女、そして、その女がどれほどのものか興味を持ち先日、ダルバス自らがわざわざ出向いて見に行ったイザーラ本人だと気づく。

 イザーラの背後で従者が情けない悲鳴を上げ、おろおろとしていた。


「無礼を承知で参りました。ダルバス殿下」


 イザーラは優雅に恭しく一礼をする。けれど、少しの乱れもない完璧で丁寧すぎる挨拶にはどこか嫌みなものさえ感じられた。


「殿下にぜひお話したいことがございまして、こうして人目もはばからず参りました」

「おまえは何か勘違いをしてはいないか? 確かにおまえとルカシスは親しい間柄ゆえ、王宮内の出入りも自由に許されてはいる。だが、思い上がりにもほどがあるというもの! 俺は間抜けでお人好しの兄とは違う、おまえと俺とでは天と地ほどにも身分が違うということを忘れたか? こうして話をすることでさえ、おまえにとっては恐れ多い……」


 ふと、ダルバスは目を細め、イザーラの肢体を食い入るように見つめにやりと唇を歪める。

 以前とは違う薄く化粧のほどこされた顔。朝露に濡れた真っ赤な薔薇のような唇。その唇をいっそう引き立てる透き通った白い肌。襟ぐりの大きく開いたドレス。柔らかな胸の膨らみに落ちる長く艶やかな黒髪。くびれた腰。


 美しい女だと思っていたが、今日のイザーラはことさら格別のように感じられた。


「なるほど……わざわざこの俺に話しなどと口実をつくって会いに来たというわけか」


 ソファーから立ち上がり、大股でイザーラの元へと歩み寄ったダルバスは、相手の細い手首をつかんで乱暴に引き寄せた。

 物事の良い悪いの区別もつかないほどに彼は酔っていた。だが、それ以上にイザーラの身体から放つ、官能的な香りがダルバスの理性を飛ばし欲情を煽りたてた。

 この女を抱きたいと思った。


「抱かれにきたのであろう?」


 酒臭い息を吐きながら、まじまじとイザーラの顔、そして、ドレスの胸元からのぞく丸みを帯びた白い膨らみへと舐めるように視線を這わせる。ダルバスの無骨な手がイザーラの胸元へと伸び荒々しくまさぐった。けれど、イザーラは表情ひとつ変えず、眉ひとつ動かさず、ダルバスの荒々しい手にされるがままであった。

 ダルバスの鋭い視線が側で控えていた従者すべてに下がれと命じると、彼らは無言で部屋から退出してしまった。


「ずいぶんと落ち着いているな。生娘ではないのか?」


「お確かめになりますか」


 イザーラは赤い唇に艶やかな笑いをこぼした。


「ですがダルバス殿下、その前にわたくしのお話をお聞きいただきたく……」


「黙れ! 女のくだらん話など俺にはどうでもいい」


 物怖じすることもなく俺の目を真っ直ぐに見つめてくる漆黒の瞳。

 今まで俺の回りにはいなかった部類の女だ。

 媚びをうって俺に近より、意味のわからない遠回しな会話を並べ立てる女どもとは違う。

 この女を抱いてみたい。この強気な女をねじ伏せてみたい。そのとり澄ました美しい顔を歪ませてみたい。快楽に昇りつめ、乱れ狂うさまはどんな姿だろう。何より、俺の強さをこの女に知らしめさせてやりたい。


 ダルバスの頭の中はすでにそのことしかなかった。

 イザーラの白く滑らかな首筋に、ダルバスの舌がねっとりと這う。鼻息を荒くさせ、ダルバスの手がイザーラの胸元へと滑りこみ、白く柔らかな胸を荒々しくなぶる。


「わたくしのお話は殿下にとってもとても興味深いものだと存じますわ」


「黙れと言っている!」


 これ以上口を開かせないよう、イザーラの唇を己の唇でふさいでしまいたいところであったが、紅をさしたその真紅の唇に口づけをするのは何故かためらいを覚えた。

 ダルバスの手が急くようにイザーラのドレスの裾をたくしあげ、節くれだった指で腿の内側をなぞる。


 くそ! この女泣き声ひとつあげないというか!


 そんなダルバスの焦りをよそに、イザーラの濡れた唇が耳元へと寄せられた。


「この国を手に入れ、ご自分の手でおさめたいと思うのであれば、わたしの話に耳を傾けるべきです。一生、兄の影となり国王の座、アルガリタの玉座をあきらめるというのでしたら別ですが」


「何、だと……」


 途端、ダルバスはイザーラを突き飛ばすと、自慢の大剣を抜き放ち剣先をイザーラの白い喉元へと突きつけた。


「何を言っているのか、わかっているのだろうな」


 変わらずイザーラは視線をそらすことなく、真っ直ぐにダルバスを見つめ、あまつさえ、その唇に微笑さえ浮かべた。

 毅然たる態度に強い光を放つ漆黒の瞳。

 あくまで、自分の話はあなたに損はさせない、聞きなさいと命じるかのように。

 剣を向けられてもいっさい怯むことのないイザーラに、むしろダルバスの方が気後れを抱いてしまった。

 ダルバスはごくりと喉を鳴らして唾を飲み、ゆっくりと抜き身の剣を下ろした。


「言ってみろ……しかし、内容如何によってはどうなるか、わかっておろうな……」


 何事もなかったかのように乱れた服を整え、イザーラはゆっくりと、まるで言い含めるように切り出した。


「わたしたちは同士」


 その言葉の意図を計りかね、ダルバスは訝しげに眉を険しくひそめた。


「話は簡単。わたしはダルバス殿下に次の国王となっていただきたいだけ」


 ダルバスはふん、と鼻をならした。


「戯言を! そんなことは夢に過ぎん。王位を継ぐものは長子と決まっている。よほどのことがないかぎりそれが覆されることはない。、そう……あの兄が死んでくれない限……り……」


 ダルバスの目がこれ以上はないというくらい大きく見開かれた。


「まさか……」


「ええ、そのまさか」


 ダルバスの脳裏に、忌々しい兄であるルカシスの柔和な顔が浮かび上がった。


「最も妨げとなる者さえ排除すれば、国王の座はダルバス殿下のもの。長子のみに王位を受け継がせるなどとは甚だ愚かな考え。実力のあるものが玉座につく、それが道理」


 ダルバスはぐっと喉をならした。

 イザーラの言葉に一気に酔いが引いていく。


「アルガリタの、この国の将来を嘱望されているのはどちらかを考えれば当然のこと。だから……」


 邪魔者を消してしまうのです。


 イザーラの淡々とした口調に、ダルバスの背筋が凍りつく。ひたいから汗が一筋流れ落ちた。

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