白金の乙女、他所のお店で働く。二日目。
「あれ? どうしたの、ルディ」
「それを言うなら、ラティナの方だろ? なんでマルセルのとこに居るんだよ」
そんな会話をラティナが幼なじみと交わしたのは、彼女が『裏通りのパン屋』で働く、二日目の昼を過ぎた頃だった。
ピークの忙しさを過ぎて、店がほっと一息つく時間帯だった。
ルドルフの質問に、ラティナは困ったように笑う。その彼女の表情にあの『大惨事』を思い出した彼は、気まずそうに視線を泳がした。
そして、とってつけたように、ここに来た理由を述べる。
「お、俺はだな。頼まれたんだよ、上の人たちにさ。軽食になるもん、買って来いって」
彼は、憲兵隊の上司から、この店を名指しで、買い物に行くように命じられたのであった。基本的に上下関係が叩き込まれた社会である為に、上の命令に口を挟むことも聞き返すこともしない。彼が働く職場はそういう場所なのであった。
「私、まだ不慣れだから、少し時間かかっちゃうよ。たくさんだしね」
「それはそうだろ」
ルドルフがそう答えるのを聞きながら、ラティナはパンの準備を始める。
注文の個数のパンを取り出し、ナイフを横に入れる。マスタードを混ぜたバターを塗る手つきが様になっているのは、幼い頃からずっと料理の腕を磨いてきた結果だろう。
「嫌いな具材とかってあるの?」
「いちいちそんなの気にしてられないから、いいよ」
「そっか」
たっぷりの野菜を彩り良く敷いた上に、スライスされた燻製肉を並べていく。瞬く間に、見るからに美味しそうなサンドイッチが完成していく。
注文が多いと見て、手伝いに出て来たマルセルの母親が、出来上がったそれを薄紙にくるみ始める。それを確認すると同時に、ラティナは再び具材を挟む作業に戻る。
「……これ……ルディひとりで持って行けるの?」
しばらくして完成したサンドイッチは、ラティナが首を傾げる程の、山と積まれた量になっている。
「う……」
「……手伝おうか?」
「だ、大丈夫だよ、この位。ラティナの方こそ、店番してる奴が、簡単にそこを離れるなんて言うなよ」
「そうだね、気を付けてね、ルディ」
大量のサンドイッチが入った袋によって、両手がふさがったルドルフを扉を開けてラティナは見送る。
しばらく心配そうに憲兵隊の詰所に向かう彼を見ていたが、それ以上自分に出来ることはないと、ラティナは店の中へと戻っていった。
--ラティナの方から、手助けを言い出したというのに、それを断ったルドルフの午後の訓練は、妙に過酷を極めた。
臨時の看板娘お手製のサンドイッチにより、エネルギーを補給した上層部のおっさんどもは、非常に元気であったのである。
--ラティナが運ぶのを手伝い、ルドルフと共に詰所を訪れたとしても、『普段』とは異なる自分たちの姿を、彼女に張り切って見せようと気張るおっさんどもによって、ルドルフの午後の訓練はやはり過酷なものになった筈なのであった。
どちらに転んでも、悲惨なのである。
『裏通りのパン屋』での仕事を終えた後、ラティナはクロエの家へと向かった。
夜祭りの日に、クロエの所で新しいワンピースに着替えたラティナは、それまで着ていた服をそのままクロエの家に預けている。揃えて貰った化粧道具等もそうだった。
引き取りに行かなければならないことはわかっていても、少々気は重い。
そんな予感を裏付けるように、ラティナを出迎えたクロエは、夜祭りの日に、あの後別れた後に起こったことを聞くと、大きなため息をついて肩を落とした。
てしっ。と、ラティナの頭頂部に手刀を落とす。
「痛っ」
「ラティナって本当、頭良い割りに、変なとこでおバカさんだよね」
「で、でもねっ……」
「『でも』じゃないの」
もう一度、てしっ。と、手刀が落ちた。
衝撃に潤んだ灰色の眸にも、彼女の親友は全く動じることはなかった。
「なんで、そんな言い方しちゃったの」
クロエが呆れるのは、『保護者』に『反抗期呼ばわり』された彼女の『告白内容』についてだった。色々、大切な言葉が足りていない。
「だって……」
呆れた親友の声に、ラティナはしょんぼりとした様子で下を向く。だが、口をつぐむことはしなかった。ポツポツと事の顛末を語る。
「『大好き』だよって、『言葉』は、いつもたくさん言ってたんだもん……だからね、『それ以外の言葉』を伝えようって思ったの……」
だからこそ、あの時ラティナは、『父親の代わりだとは思っていない』と、デイルに告げた。
自分にとっての彼は、大切な大好きな『男のひと』。
それは、決して『父親』に向ける親愛のものではないのだと、伝えようと思った。
「なのに、『大好き』を、疑われるだなんて、思ってなかったんだもん……っ」
自分の言葉を聞いたデイルの反応は、『彼の全てを拒絶するうちのこ』へのもの。
今まで何度も伝えてきた『大好き』という言葉は、自分の中では揺るがぬものだと思っていたというのに、デイルはそこにも疑問を抱いてしまった。
あまりにあまりな衝撃に、二の句を告げることも出来なくて、彼女もまた、盛大な混乱の中に巻き込まれていったのだった。
「『違う』ってのも、『だから私は、大好きなんだよ』って続けるべきなんだってことも、……頭、真っ白になって……なんて言ったら良いか……わかんなくなっちゃったんだもん……」
しょぼん。と、下を向く姿は、幼い頃から良く見る姿だった。
「だからって……何でその後も、ずっと拗ねてるの」
「ふぇ……」
緩まぬクロエの追及に、ラティナは下を向いていた視線をそろそろと上げて、泣きそうな顔になった。
「その後……自分でも、自分が、わかんなくなっちゃったの……」
「え?」
「告白するって、決めて……デイルと、今までと違う『関係』になりたくて、それは『本当』だった筈なのに……なのに……っ」
抑えた、決して大きくは無い声で、それでも思いの丈を叫んでいるかのようにして、ラティナは本心を親友に告げた。
「デイルが『告白』に気付かなかったことに、私、凄く安心しちゃったの……っ」
「ラティナ……?」
「『このまま』で……『今まで通り』で、いられることに、安心しちゃったの……シルビアに言われた通りに、でも、本当は、それ以上に……私はデイルと『今のまま』でいたいんだって、気付いちゃったの……」
ラティナにとって、デイルの『腕の中』は、『世界で一番安心出来る場所』だった。
全てをなくして、自分自身のいのちさえ諦めかけていた自分を、救いあげて、抱き上げてくれたあの時から、ずっと、そうだった。
寂しい時も、苦しい時も、いつも自分を支えてくれた暖かな『場所』。辛い時も、涙が止まらない時も、大丈夫だよと優しい声をかけて、抱き締めて貰った『場所』だった。
これからもデイルは、自分のことを、大切に護ってくれるだろう。
その両の腕で抱き締めて、暖かな手のひらで優しく撫でてくれるだろう。
自分が、『可愛いうちのこ』でいるのならば。
もしも、デイルに、恋人が出来て、結婚して家庭が出来たとしても--彼は自分を見棄てたりはしないだろう。彼がとても優しく、愛情深いひとであることは、誰よりも自分は知っているのだから。
--でも、もしも、自分が『可愛いうちのこ』ではなくなってしまったならば--
デイルは、元々自分のことを『異性』として考えていない。彼の中の自分は、未だ『ちいさなちいさな女の子』のままなのだから。
でも、それだけではなくて、デイルにとって、自分は『恋愛感情』を抱ける対象ではないかもしれない。
以前見た『仕事仲間』のような、大人っぽさも、落ち着きも、男性を魅了する容姿も--自分には無いのだから。
せめて同じ『人間族』であったなら、良かったのに。
彼と同じ『人間族』であるというだけで、周囲全ての女性たちが、自分よりも『素晴らしく』思えてしまう。
自分には無いものばかり、数えてしまう。
そんな自分に愛を告白されても、デイルを困らせるだけかもしれない。そして--その結果、『関係』が、今までとは異なるぎこちないものになってしまったならば--
デイルに『拒まれた』ならば。
自分は、唯一の『安心出来る場所』を、帰ることの出来る『場所』を失うのだ。
それは、ラティナにとって、恐怖以外の、何物でもない想像だった。
『告白』に気付いて貰えないことに、消沈したのも、顔を見ることが出来なくなるほど、羞恥を覚えたのも『本心』だ。
それでも同時に、安堵してしまったのも、紛れもない『本心』なのだった。
「だから……時間が少し欲しかったの。デイルとちょっと距離を置いて、ごめんね、もう、いつも通りだからって、笑えるようになるまで……」
思いを伝えたい、関係を変えたいという気持ちも、このまま伝わらないならば、そっと今の関係のままでいたいという気持ちも、両方心の奥底からのものだった。
シルビアに指摘されて自覚した、自分の『本心』は、同時に矛盾する様々な感情も自覚させてしまった。
乱れに乱れたラティナの心は、自分でもどうすることも出来なかったのだった。
「もう少し……時間が欲しいの……」
自分がどうしたいのか、答えを出すことが出来るようになるまで。
『大惨事』の理由、『娘』バージョンであります。彼女は自己評価が低いです。故郷で『罪人』認定されておりますし。