青年、そして白金の乙女。大惨事の後で。
デイルは、何時か来る、何時か来てしまうと思っていた、恐怖の瞬間がとうとう来たのだと、思ったのだった。
一度そうではないかと思ってしまうと、最近のラティナが、自分とどこか距離を取るような仕草をしていたことも、前兆であったようにしか思えない。
「ラティナに……っ、俺の可愛いラティナに、とうとう反抗期が……っ」
『踊る虎猫亭』に飛び込んだかと思えば、デイルは、そんな血を吐くような声を発し、力なく崩れ落ちた。途端、すすす、と数人の常連客が彼を取り囲んだ。
顔には同情のようなものを浮かべているが、そう言い切れない程に、その背後には黒いものを漂わせている。
「……年頃の女の子は難しいからな」
「うちだって大変だぞ」
口々にかける声は、デイルを慰めるというより、不安を煽る為のものだった。
「っ!」
「俺の服は臭いから、一緒に洗濯しないでくれなんて言われるんだぞ」
「っ!!」
「洗ったばかりのだって言っても、俺の存在自体が臭いとかってどうしろとっ!」
「うちだって変わらんぞっ! それまで嫁と子どもたちでリビングで談笑してたって言うのに、俺が入った瞬間に、無言で、そそくさと部屋に引きあげて行くんだっ! 俺の相手はペットのインコだけだっ」
「俺だって言いたいことはあるぞっ! 長期の仕事を終えて、やっと帰れたと思ったら、子どもたちに、『いらっしゃい』って言われたんだぞっ!」
「飲めっ! 今日は全部俺が出すっ! 俺が全部出してやるっ! 思う存分飲んで良いぞっ!」
真の『勇者』たる者は、思春期の娘に邪険にされても耐えている、『父親』であるに違いないっ!
デイルのそんな独白を聞くことが出来た者がいたならば、「お前がそれ言ったら駄目だろう」と、誰かしら突っ込みを入れてくれるだろう、残念っぷりだった。
デイルが半ばもらい泣きをしながら叫び、世の『父親』たちを沸かせた頃。
「リタっ!」
店の厨房では、ラティナが泣きながらリタに抱き付いていた。
「どうしたの、ラティナ? 綺麗にお化粧出来たのね。崩れちゃうわよ?」
「リタ……っ、私、デイルに、告白しようと、したの……っ」
「告白?」
その割には、店の表側から聞こえてくる惨状は、色恋とは、ほど遠い状況だ。そんな艶めいた気配は欠片もない。
「ダメだったの! 伝わらなかったのっ! 告白だって、気付いてももらえなかったのっ!」
「……うわぉ」
リタの顔にはありありと、『あの馬鹿やりやがったな』と書いてあった。
「恥ずかしくて、デイルの顔、見れないのぉっ!」
よしよし、とラティナの頭を撫でるリタは、呆れた表情をしているが、それは勿論眼前の少女に向けたものではない。
この少女が幼い頃から、ずっと自分の『保護者』を『異性』として見ていることには、リタはとっくに気付いていた。
リタから言わせれば、気付かないデイルの方こそどうかしているのだ。夫であるケニスも、だいぶ鈍いことを言っていたが、何故男連中はそんな馬鹿ばかりなのか。
まあ、デリカシーなどとは無縁の、冒険者なんて生物に、期待すること自体がいけないのだろうなぁ--等と達観してしまう程度には、リタもこの商売が長かった。
「そうね。恥ずかしいわよ。女の子が告白しようとするってのは、それだけ大変なことなんだもの」
リタは苦笑して、ラティナを覗き込む。
リタは、妹分とも言うべき立場のこの少女に対しては、店に来る客たち相手へと向けるものとは、比べることも出来ない優しい顔を向けるのだった。
リタは一人っ子であり、兄弟はいない。幼い頃にふとした時に思った『可愛い妹が居れば良い』という願いを体現したかのような、思いがけない経緯で得たこの『妹』を、『デイル』とは異なる立ち位置で可愛いがってきたのも、当然と言えば当然なのであった。
普段見慣れたむさ苦しい野郎どもには無い癒しを、若き女性であるリタが求めて何が悪いのか。
「逃げたくなるのだって、仕方ないことよ。顔を見たくないってのも、無理ないわ。ね?」
--別にラティナは、顔が見たくないとは言っていないのだが、リタにしてみれば、『馬鹿』に対しての風当たりは強くて当然なのである。
「無理しなくても良いのよ。あなたがいつも頑張っているのも、私はちゃんと知ってる」
「リタ……っ」
ぼろぼろと本格的に泣き出したラティナを抱き締めるリタは、彼女を裏手の方へと誘った。
「お化粧は、しっかり落とさないと駄目よ? お肌に悪いからね」
「うん……」
ラティナが、店の裏手にある流し場で顔を洗うのを見守ったリタが、厨房内へと戻って来た。
夫であるケニスは、そのリタの表情に、自分は決して余計な口は挟むまいと心に決めた。
店内は狂乱の宴会の様相を呈してきている。混乱しているあのデイルの様子だけからでは、何事が発生したのか理解しかねた。状況を把握する為に、ラティナが帰って来たらしい厨房に戻ってみたものの、妻の様子を見る限り、『馬鹿なことをした』のは『弟分』の方らしい。
「リタ……」
「ケニス、明日から、ラティナにお休みあげようと思うの。あの子、ずっと真面目に働きっぱなしなんだし、たまには良いわよね?」
そんな彼女の『休日』は、他でもない本日ではなかっただろうか。
思ったことを表情に出す愚策を取らない程度には、ケニスの『危機感』は現役時代並みの仕事をしていた。
「ラティナ、もう、部屋に戻りなさい? ね?」
くるりと、肩を落として泣き顔になっている少女に向き直った妻は、別人のように、優しい表情だ。
ラティナと連れだって階段をのぼって行くリタの背中を見送ったケニスは、酒が入って収拾がつかなくなりかけている店の中を見て、ため息をついた。『夜祭り』の終了に合わせて来店した新たな客も加わって、ますます混沌としてきている。
それは、妻の少女に向けるものとは大きく異なる『別人のような表情』を向けられるであろう、自分の『弟分』への、憐憫のこもったため息なのであった。
本格的に飲んで騒いだ後、いつものように、屋根裏部屋に戻ったデイルは、しんと静まりかえった室内の様子に、ごくりと唾を飲んだ。
ラティナの姿が見えなかった。
恐る恐る寝台を覗き込む。てっきりラティナがふて寝しているものだと思っていたデイルは、そこも冷えきったまま、誰もいないことを確認すると、無言のまま、おろおろと周囲を探る。
屋根裏にのぼった瞬間に感じて然るべき、違和感を見落としたのは、やはり酔いのせいだったのだろう。
倉庫となっている場所の、荷物の一部が、動かされていた。
積み直された荷物が壁となって、そこの一部を区切っているらしい。
「!?」
それでも声を出せぬまま、そっとその奥を覗いてみようと試みるも、デイルのそんな行動を遮るように、衝立が扉の代わりに佇んでいる。
普段、ラティナが着替えをする時に使っている衝立だ。
「っ! っ!」
そのことがもう十分答えであるような気もするが、デイルは息を整えて、ゆっくりと気配を探る。本来ならば、そんなことをする必要も無く、間違えることもない彼女の『気配』なのだが、それら全てが、デイルの狼狽を表していた。
(ーーーっ!! 反抗期とは、ここまで、俺から全ての癒しを奪うのかぁっ!)
結果、熱いものを双眸から垂れ流しながら、声にならぬ絶叫を迸らせたデイルは、力無く、がっくりと膝をついたのだった。
--声を心中に留めたのは、ラティナが既に眠りについている時間であるが故の配慮なのである。それこそ、彼はどうしようもない程に根っからの『親バカ』であると、言っても良い証拠なのかもしれなかった。
『うちの娘』本日で投稿一周年を迎えました。
これも、いつもお読み下さる皆さまのお蔭と存じます。いつもありがとうございます。
ささやかな記念と称しまして、明日より3日間に渡り、閑話を連続投稿致します。お付き合い頂ければ幸いと存じます。