白金の乙女、赤の神の夜祭りに行く。壱。
いつも通りな感じに戻っております。
赤の神の夜祭りは、その名前からもわかるように、祭礼のメインは日が暮れてから行われる。
とはいえ、祭り当日は、朝からクロイツの街全体が高揚した落ち着かない気配に満ちている。ラーバンド国第二の都市の、最大級の祭りだ。仕方もないことだろう。
「じゃあ、行って来ます!」
「気をつけてね、ラティナ」
「うん」
まだ日のあるうちに出掛けるラティナを見送るのはリタだ。
あれだけ必要以上に心配しまくっていたデイルは、留守であるのだった。ローゼは、この大勢の旅人などの人びとに紛れてクロイツを出発し、王都に向かうことになった。そのローゼの護衛として同行を求められてしまったのだ。
とはいえ、王都まで送って行く訳ではない。デイルの仕事は、クロイツから少し離れた場所にある、飛竜の到着予定地まで連れて行くことだ。
そこで飛竜が来るのを待ち、王都へ飛竜で向かうローゼとグレゴールを見送るまでが、今日のデイルの仕事となる。
グレゴールは単騎で、何度も馬を換えクロイツにたどり着いていた。その後、改めて王都とやり取りをし、公爵が飛竜を遣わせてくれることになったのだった。『空』を利用出来るものは限られている。他の手段よりもかなり安全な王都への旅になるだろう。
ローゼの事情や、グレゴールの素性等を、ラティナは詳しくは知らない。
ラティナにとっては、今日のデイルの『仕事』も、普段の魔獣退治とさほど変わらない『仕事』として受け止めている。ローゼが『二の魔王』と関わったことに不安のようなものは覚えたラティナであったが、それもローゼが、しばらく『虎猫亭』に滞在していた間に薄れている。
そんな彼女にしてみれば、必要以上に心配性のデイルがいない間に、ちょっとした『大人』の真似事--初めての『夜遊び』--が出来るという状況に、もう心はだいぶ逸っているのだった。
ヴィントは、リタの足元で寝そべっている。拗ねているのだ。
『彼』とラティナの間には、今日朝からひと悶着あった。ヴィントは、祭りに行くラティナに付いて行くつもりだったのだが、それをラティナが拒んだのだ。
ラティナにしてみれば、久しぶりの友人たちとの『お出かけ』で、初めての『自分たちだけの夜遊び 』だ。ほんの少し大人になったような高揚を覚えている。そして年頃の乙女としては、友だちと色々語り合いたい事もあるのだ。ヴィントには遠慮して欲しいところだった。
リタやケニスは、内心ではヴィントに付いて行ってもらいたいと思っていた。留守であるデイルに至っては、ヴィントが付いて行くから大丈夫だろうという前提を持っている。
だが、ラティナは最終手段をヴィントへ突き付けた。
「……そんなこと言うヴィントには……ブラッシングしないから……」
ぽつりと、小さな声だったが、目は笑っていなかった。そばに居たリタとケニスが同情してしまう程に、ヴィントはその言葉に物凄く動揺した。
「ラ……ラティナ?」
「しないもん」
「オコ? オコ?」
「しないもん」
「ゲキオコっ!?」
ぷいっ。と顔を背けたラティナの周囲をぐるぐる回るヴィントの声音には、必死さと悲壮さが漂っていた。
(……それは、脅迫だぞ、ラティナ……)
(ラティナ……昔から、たまに頑固だからねえ……)
内心で独白しながら見守る夫婦の前で、決着はついた。
「オコ……つらたん……るすばん……する……」
がっくりと獣にも関わらず器用に肩を落としたヴィントは、ラティナの脅しの前に屈したのだった。
そんな風に決着がついた後では、ヴィントは、リタやケニスがいくら頼んだとしても、ラティナに付いて行ってはくれない。
ラティナは彼女の要望通りに、保護者抜きの夜遊びを勝ち取ったのだった。
リタとケニスは、正直不安だ。
とはいえ、デイルほど極端ではないこの夫婦は、いつか大人になるこの少女を、いつまでも保護者同伴のままにしておくことが出来ないことも理解している。たくさんの警護が街中にいる今日のような日が、そのひとつの『段階』を経るにふさわしいことも知っているのだった。
「本当に、気を付けてねっ!」
リタは、ラティナが初めて学舎通いをした時以上に念を押すと、嘆息しながら、内心で呟いた。
(……ラティナに何かあったら……血の雨が降るのかしらね……)
あまり胎教に良くなさそうな想像だった。
ラティナは、旅人らしい人びとの姿や、あちこちで祭礼の為に組まれた櫓などに足を止めては、浮き立つ気分でそれらを眺めていた。六年前にクロイツに来てから、毎年のように見ていても、普段とは異なる街の様子や、雰囲気に心が躍る。
(ヴァスィリオでは、赤の神のお祭り見たことなかったな……)
クロイツでの生活に慣れて、最近では故郷での事を思い出すのも難しくなってきていた。
そして、今が幸せだからこそ、故郷での日々も辛いことだけではなかったのだと、思えるようにもなってきていた。
『追放』された当初は、故郷の事を思い出すことすら、辛くて悲しいことだった。だからこそラティナは、出来るだけ考えないようにしていたのだ。それが最近はふとした時に、楽しかった思い出を思い返すことが出来るようになったのだった。
(そういえば……ラグと一緒に、お祭り行ったんだよね……あれは、何の神様のお祭りだったんだろう……)
向かい側から、幼い子どもが父親と手を繋いで歩いて来る。それに視線を止めながら、ラティナは首を傾げた。
「……『神殿』から出たのはあの時だけだったから……紫の神以外の神様だったのかなぁ……」
しんみりとしてしまいそうな自分に気が付いたラティナは、首を振って切り替えると、クロエの家へと再び歩きはじめた。
東区の表通りは、普段とは比べものにならない程の沢山の人出で、まっすぐ歩くのも難しいくらいだった。だが、一本裏道に入ると途端にひとの姿は疎らになる。他所から来た者が多いという証拠だろう。
呼吸が楽になった錯覚を覚えながら、ラティナは更に道を奥に入って行く。
辿り着いた職人街は相変わらず静か--作業音などの物音はあちこちの家屋から聞こえてきていたが--だった。
その中の一軒、通い慣れた親友の家の扉を叩く。
「いらっしゃい、ラティナ! 入ってっ」
「お邪魔しますっ」
クロエの先導で作業場を抜けて、クロエの私室へと向かう。
「もうシルビアは来てるよ」
「ごめん、遅れたかな?」
「ううん。シルビアは仕事が早く終わったって言って、入り浸ってたんだよ。家に帰る気分じゃなかったんだってさ」
クロエの言葉を裏付けるように、彼女の私室では、シルビアが行儀悪く足を伸ばしていた。ラティナに気付いて学舎時代から変わらない笑顔を向ける。
「シルビア、久しぶりっ」
「ラティナ! 本当久しぶりだね。あんまり……変わってないね」
「今、何処見たの?」
そこのコメントを掘り下げると、泣くよ。
という、やけに具体的なラティナのオーラ的なものを察したのか、シルビアは少し視線を逸らした。
「本当、久しぶり。元気そうだねっ」
再びラティナの方を向いたシルビアは、何事もなかったように仕切り直した。ラティナも友人に笑顔を向ける。
「シルビアはちょっと大人っぽくなった?」
「ふふふ……緑の神の神殿では、日々様々な最新情報が集まるからね」
にやりと悪そうに笑う友人のそんなところは、学舎時代からあまり変わらないようだった。
「ふっふふーっ、今日は色々持って来たからねーっ」
「ん?」
「さぁて、ラティナ。注文の服は完成してるよ!」
「うん。凄く楽しみにしてたのっ!」
クロエとシルビアがアイコンタクトを交わしたことには気付かず、ラティナはおっとりと微笑んでいた。
クロエが取り出した新しい服を、ラティナは受け取ると、いそいそと着替え始める。人前で着替えることが恥ずかしくないという訳ではないのだが、クロエはこういう時は、職人としての顔になり、ちゃんと採寸通りになっているかの確認もしてくれるのだ。
「……ごめん、ラティナ……本当にちゃんとおっきくなってるんだね……」
「……ちゃんと成長期来てるもん」
その最中、ある一部分を確認したクロエが、採寸時と、多少なりとも変化があることに気付いて謝罪を発すると、ラティナは、ぷくっ。と幼い頃から変わらない仕草で頬を膨らませたのだった。
測定してようやく何とかわかる程度……