師匠、幼き少女の話に困惑する。
昔からラティナの相談相手はケニスだった。
あれだけ「大好き」を公言しているデイルでも、同性のリタでもなく、ケニスなのだった。
理由も一応推測できる。
デイルはラティナにとって『特別』大好きな存在だ。同時に彼女はデイルに嫌われることを恐れていた。困らせることで嫌いになられることを不安に思っていた。
その為、ワガママや相談などでデイルの手を煩わせ、彼を『困らせてはいけない』という意識があったらしい。
最近は、年単位でたっぷりすぎる愛情を注がれて、以前ほどはデイル相手に気負ってはいない。『子どもらしくない』気のつかいかたをしなくなっていた。それだけこの少女が気を許してくれたのだと思えば、悪戯や失敗のひとつひとつがいとおしく思える。
リタはいつも『踊る虎猫亭』のカウンターで客の応対と書類仕事に追われている。
ラティナは基本的にとても真面目だ。仕事中のリタの邪魔はしてはいけないと思っているようだった。
ラティナは『虎猫亭』に来た当初から、ケニスの側で過ごす時間がとても長かった。彼女が料理に興味を持ち、ケニスの手伝いをしながら『修行』に励んでいることも大きな理由だろう。
そんな頼れる『師匠』であり、元々面倒見の良い性格で、包容力のあるケニスをラティナが頼るのは、自然なことであったのだとも言えた。
だが、今ケニスは非常に困惑していた。
このちいさな少女が、未だ多くの隠し事を胸のうちに秘めていることは気付いていたが、その秘密のひとつ。今まで一言も話そうとしなかった、彼女の『母親』の話が原因だった。
(……俺に、一体、どうしろと……)
しょんぼりと下を向いているラティナの前で、ケニスは半分だけ皮を剥いた芋を手の内で弄んでいた。
ヘルミネはまだクロイツに滞在している。
デイルも帰還の連絡をエルディシュッテット公爵の元へ送ったが、ヘルミネの言葉通り近々『魔族』討伐の作戦が行われるという。王都に来るのは『仕事』のその時で構わないとの返信を貰っていた。
周辺の小国がなにやらキナ臭いことになっているらしく、ラーバンド国摂政である公爵は、今、大変多忙であるらしい。
そのあたりは、『魔王・魔族』対応専門であるデイルにとっては管轄外だ。
友人であるグレゴールは、父や兄の護衛任務に就いたりし、忙しくしていると、公爵の書簡と共に送られて来た私信に書かれていた。
用事があるというのも本当らしく、ヘルミネはあちこちで旧知の者と会っているらしい。何かと派手な女であるし、『虎猫亭』の特性上噂が集まりやすい。
ヘルミネの動向は探るつもりなどなくとも、それなりに耳に入るのだった。
そして相変わらずラティナは不機嫌だった。
今回のことで皆認識したのだが、ラティナはあまり感情を隠すことが出来ないようだった。今まで基本的に他者に好意的な感情を向け、にこにこしている少女であったから、そんな意識をしたことがなかった。
笑顔が標準であったラティナが不機嫌そうな顔、もっと単純に言えば『ヘルミネが苦手』という顔をしている。
わかりやすすぎる為に、当人であるヘルミネだけではなく、店に出入りする客連中にもすぐさまその事実は拡がった。
--これは余談だが、ラティナとデイルの帰宅当日は、客足が今一つの『踊る虎猫亭』であったが、その翌日は尋常でない賑わいとなった。
『看板娘帰還』のニュースは、常連の一人であるクロイツ南門の門番より拡がり、どのような情報網であるのか、常連客たちに共有されていたのであった。
そして彼等は事前に申し合わせていたらしく、帰宅当日は旅の疲れもあるだろうと、店に行くのは控えていたらしい。だからこその翌日の大盛況であった。
『踊る虎猫亭』常連客及び、クロイツの冒険者たちの間に非営利組織が設立されているという噂も、あながちデマでは無さそうだと、保護者連中を呆れさせた。
そんなラティナの不機嫌さと、面白そうにしているヘルミネの間で、デイルが時折胃のあたりを押さえていることにも、誰も突っ込みを入れなくなった頃だった。
ラティナはヘルミネに『ちいさな子ども』扱いされることを、ことのほか嫌がる。
元々ラティナは小柄なことを気にしていることもあり、『ちいさい』という言葉に敏感だ。デイルやケニスに『ちいさい』と言われても、別に彼女は不快感を示さない。その言葉が愛情から出ていることも感じとっているからだ。だが、誰からの言葉も許容できるわけではないらしい。
ヘルミネは『駄目な相手』だ。
その時も「すぐに、大きくなるもん」とヘルミネの前で、頬を膨らませたラティナだったのだが、厨房に入り、自分の定位置に座ると、沈んだ顔で下を向いた。
その何処か思い詰めたような様子に、ケニスは野菜の入った桶をどん、と置きながら彼女の隣に座る。
静かに、問いかけもせずに作業を始め、ラティナが話そうとするまでただ隣で待つ。
「ケニス……」
「どうした?」
「ラティナ、おとなになったら、おっきくなれるかなぁ……」
「ラティナは確かに友だちよりもちいさいがな、ここに来た時から比べたら背だってかなり伸びただろう? ちゃんと大きくなっているぞ」
「うん……」
それでも表情は明るくならない。ラティナは自分の胸に手を当てると、深くため息をついた。
「ラティナ、おとなになっても、おっきくならないかもしれない……ラグ、ラティナはモヴに似てるってよく言ってたから……」
「『モヴ』?」
「うん。……モヴ、ちいさいから。……ラティナもちいさいまんまなのかもしれない……」
初めて聞く単語だった。ケニスは当たりを付けて聞き返す。
「モヴって誰だ、ラティナ?」
「……ラティナの、女の親……おかーさんだよ」
彼女の答えは、自分の母親だと言うものだった。ラティナが、何故か自分の母親の話をしないことには、ケニスも気付いていた。唐突なその話題に驚いたが、彼の手元は慣れたナイフ捌きのそのままで、動揺を悟られることはない。
「ラティナの母親は、どんなひとだったんだ?」
「モヴちいさいの。ラティナのね、髪と角の色はラグとおんなじだけど、角のかたちとか顔とかはね、モヴに似てるって言われてた」
ぽつぽつと答えた後で、ラティナは再びため息をついた。
「モヴ、おとななのに、ちいさかったの。お客さんが言ってたよ。大きい方が良いって。デイルもおっきい方が良いって言うのかな……」
「……ん?」
何か変だ、とケニスは気付いた。自分の認識には何か齟齬がある気がする。
芋を半分剥いたところで手を止めて、ラティナを観察する。
彼女は下を向いて、落ち込んだ顔をしている。--両手を胸に当てて。
「……ラティナ?」
「なあに?」
「お前の母親が小さかったって……何のことだ?」
「……お胸」
初めて聞かされた、ラティナの実母の情報が、貧乳。
あまりにあまりな情報に、流石のケニスも混乱する。
せめてこういう話は、同性相手にするのではないだろうか。
「……リタに、相談してみたら、どうだ?」
ケニスが思いついたまま、そう口にすれば、ラティナは何故だか青くなった。
「リタ、おっきくないよ」
まあ、確かに、自分の嫁はスレンダー美人だ。決して無いわけでは無い。無いわけでは無いのだ。
「おっきくないひとに、聞いたらダメなんだよ。昔、ラティナ、モヴに『なんで?』って聞いたら、ほっぺた取られちゃうところだったんだよっ」
どうやら幼き頃のラティナは、実母にストレートな問いをぶつけて、折檻されたらしい。よほどに恐ろしかったのか、彼女は両手で自分の頬を押さえてぷるぷる震えている。
「そうか……」
そういえばヘルミネは、そのあたりは非常に女性らしいラインの持ち主だ。きっとわかりあえない何かがあるのかもしれない。
「牛乳でも……飲むか?」
「おっきくなれる?」
「俗信だがな……」
気休め程度にはなるだろう。
そしてこの情報は、『保護者』と共有するべきなのだろうか。そして「でかい方が良い」などと、ラティナに吹き込んだ客はどいつだ。
ケニスは芋の皮の続きを剥きながら、答えのでない問いの回答を探すのだった。
しんみりなんて気のせいなコメディ回でした。
普段の「おっきくなるもん」は、体格の話。
今回の「おっきくならないかもしれない」の心配の矛先は、局所的な話。
ということで宜しくお願い致します。『未来』が確定した訳ではありませんので悪しからず。