青年、ちいさな娘と街に出る。
デイルが目覚めたのは、だいぶ早い時間だった。
昨夜、早く寝たのが理由だろう。デイルは他人の気配に視線を向けて、自分の隣の彼女に気付いた。
「……ああ、そうだった。……拾ったんだった」
欠伸をしながら、同居人の存在を思い出す。くぴゅるくぴゅると、どこか調子外れな寝息をたてるラティナは、デイルの服の一部をしっかりと掴んでいる。
どうやって起こさないようにベッドを出るか。思案する。
だが、デイルが体を起こしたところで、ラティナはぱちりと目を開けた。
慌てたように飛び起きて、デイルに追い縋る。
彼女の不安の一端を感じて、デイルは微笑みかけた。少しでも安心してもらえるように。
「おはよう、ラティナ」
そう言って、彼女の頭を撫でた。
今日のデイルの服装は、仕事の時と違ったシンプルなシャツとゆったりしたつくりのズボンだ。腰に財布と小さなナイフだけをさげて、寝癖を手ぐしで整える。ブーツを履いてラティナを抱き上げた。
彼女は着替えのひとつも無いので、昨日そのままの姿で寝ている。少しスカートがシワになっていた。
一階に降りて、店ではなく厨房にあるテーブルにラティナをつかせる。
「あら。おはよう、ラティナちゃん」
デイルとラティナに気付いたリタが笑いかける。もちろんラティナにだけだ。
ケニスとリタは朝食の仕込みの真っ最中だ。冒険者連中は、朝からやたら量を食べる。宿泊人数に比べると異常な程の食材が必要なのだ。
デイルはそのまま裏に回り、風呂場の横にある洗い場で顔を洗う。顔を拭いた手拭いを洗うと、濡れたそれをラティナの所に戻って渡す。
彼女は正しくその意味を悟ったらしい。こしこしと自分の顔を渡されたそれで拭いた。
下着類を洗濯するまでが、彼の朝の一連の動きだ。洗い場に設けられている干場に吊るす。
戻ると、リタがラティナの髪をすいているところだった。リタは呆れたように、感心したように、と忙しない顔をしている。
「ラティナちゃんの髪、綺麗な色。見事ねー。馬鹿デイル。女の子の髪、あんたと同じようにボサボサのままにしておいちゃ、駄目よ! 」
確かに、櫛を通したラティナの髪は、今までとは比べものにならない程に艶やかになっている。そういうものかと、新米保護者は心のメモ帳に書き込んだ。
リタは器用にラティナの髪を結い上げて、飾り紐を結んだ。髪と紐でラティナの角がほとんど隠れる。
リタはデイルをちらりと見て、囁くように言う。
「魔人族だっていうのはともかく、片角が折れているのは、目立たない方が良いわよ」
「わかってる。すまない」
デイルはリタにそう言ってから、ラティナに視線を向けた。
体型に変化は無いが、清潔にし、髪と服を整えたラティナは、何処から見ても女の子にしか見えない。森の中の薄汚れた性別不詳の幼子とは別人だ。
「おう、おはよう。ほら、朝飯だ」
リタと入れ違いに、両手に皿を持ったケニスがやって来る。ラティナはケニスに向かい、少し考えるようにしてから
「おはぁよぉ」
あまり自信の無さそうに、そう言って、ぺこりと頭をさげる。
ケニスが固まり。デイルが表情を歪めた。
朝から同じ言葉をかけられて、挨拶だと検討を付けたのだろう。
やはりこの子は、観察力に優れているらしい。かなり賢い部類に入るのではないかというのも、薄々察していたところだ。
「 " ***? *****? " 」
「いや、合ってる。 " 正しい " 」
デイルの表情に、自分が間違えたのかと、不安そうになったラティナに、デイルは慌てて笑いかける。
「くそっ、ケニス覚えてろよ」
「大人げねーな」
だが、『はじめてのご挨拶』を奪われたデイルは、笑顔のままケニスに文句を付けた。ケニスもどことなく締まらない顔をしている。
「やっぱり、早くリタに産んでもらおう」
子どもって良いなぁと、呟きながらケニスは自分の仕事場に戻って行った。
デイルの朝食は、普段通りのパンにチーズと燻製肉のグリルといった献立だが、ラティナの分は特別製だった。パンはミルクと玉子に浸されて、中がとろとろになるように焼き上げられ、昨日のコンポートがのせられている。薄く切られた燻製肉がカリカリに焼かれて添えられていた。
魔道具は一般に流通している。
どこの家にもまずあるのが、『水』『火』そして『水 / 冥』の魔道具だ。どれも台所に関わる魔道具である。つまり、『飲料水の供給』と『点火』、『氷による冷蔵』を魔道具で担っているのだ。
それなりに値段もするので、無論共用井戸を使い、火おこしで火を点けているものもいない訳ではない。だが、圧倒的に少数派だ。利便性には敵わない。
その為に冷やされた食べ物も珍しくはない。
ラティナの前のコップに絞った果汁が注がれたが、それなどもそうだった。
こくりと飲んだラティナが、嬉しそうな顔をデイルに向ける。
「ああ。良かったな。……ケニスの奴、本気で餌付けにかかっているな」
後半はラティナに聞こえないように、小さな声で呟く。
ラティナはパンも夢中で食べていた。やはり甘味のあるものが好みらしい。
「なぁ、リタ。女の子用の服とかって、どこらへんで売ってるんだ? 」
食事を終えて皿を運びながらデイルは尋ねる。まだ食事が半ばのラティナが慌てたようにこっちを見たので、彼女の見える位置に腰をすえて、山盛りの芋の皮を剥く。相手の手を止めさせる以上、手伝うのは当たり前だというのが彼の義理堅い部分だ。
「後、当面必要になるもの、教えてくれ。男の目線だと、忘れがちなもんとかさ」
「そぉねぇ……仕立てて貰うなら、東区のアマンダの店とか評判良いわよ。まぁ、天気も良いし、広場に市も出てるでしょ。そこで古着探しても良いんじゃないかしら。靴はバルトの所にしときなさい。角の店よ。そうね後は……」
リタは手を止めて、ペンを滑らせてリストを作る。
聞いているだけでデイルは、女性の買い物に対する執念の一端を感じ取って、戦慄した。
ラティナを抱いたままデイルは『踊る虎猫亭』から外に出た。
「まずは靴だなぁ……裸足で歩かせる訳にはいかねぇからな」
彼女の重さ自体は苦にはならないが、荷物も運ばなくてはならない。
「デイル? 」
「『買い物』は、何て言えばいいんだろうな……」
絵本でも買って帰るかと、独白する。安価な買い物では無いが、それほど彼にとっては困らない。
街の中心部に近づくにつれ、冒険者の姿は見えなくなり、街住まいの人々が多くなる。中心部の広場で行われる市は、近隣の村人や旅の商人も品を並べているから、それを目的にしている者も多いだろう。
デイルは途中で道を曲がり、東区の方へと向かう。
リタに聞いた通りにバルトという職人が構えている店の扉をくぐった。
「つ、疲れた……」
ぐったりとするデイルの隣には、大きな袋が積まれている。
正直言って、魔獣を斬り倒す方が楽だ。女性しかいない店の中を、慣れない買い物をし続けるのが、これ程の苦行だとは思わなかった。
女児用の下着を片手に持つ自分に向けられた視線とか、本当に止めて欲しかった。隣にラティナがいなければ、本気で憲兵を呼ばれていたかもしれない。
などと、悲観的に考えてしまう程度には、デイルは疲弊しきっていた。
「デイル、" ******? " 」
「ああ。心配しなくて良い。" 否定、問題 " ……大丈夫だ」
「だい、じょーぶ? 」
「ああ。そうだ」
隣に座ったラティナは、市で買った果物を食べている。出かける前に、リタに口が酸っぱくなるほどに、水分補給と栄養を与えるよう言われてきたのだ。
デイルに切り分けてもらった瑞々しいそれを食べた後、ラティナはべたべたになった手を見て思案にくれている。
しばらく見ていると、途方にくれたように見上げるラティナと目が合った。
「……ラティナって、結構育ちが良かったのかもな……」
この辺の悪ガキなら、とっくに服の裾で拭っているところだろう。昨日から彼女を見ていると、だいぶ『お行儀が良い』印象を受ける。
勿論、デイル相手に緊張しているという面もあるのだろう。
この賢い幼子は、それくらいの気は使っていそうだ。
「 " 水よ、我命じる、現れよ《発現 : 水》"」
デイルの短い詠唱で呼ばれた水の珠が、ラティナの手の上で弾ける。
「拭ける物……ついでに、ラティナ用の手巾も何枚か買っておくか……」
そう呟いて、再び市を覗きに立ち上がったデイルは、その繰り返しで、当初の予定をはるかに越えた買い物を、自分がしていることには、まだ気付いていない。
そうして、大量の荷物を抱えて帰り、リタとケニスに呆れられて、ようやくその事実を自覚したのだった。
書いている当方が言うのもなんですが、デイルさんデレるの早くないでしょうか。