青年、恩師と語る。
「そういえば、街でひと騒動起こしたそうだな」
「は?」
「その子関連か。魔人族の子どもが関わっていると聞いたが」
コルネリオの言葉に、それが何を指しているのか理解した後で、デイルは少し苦笑した。
「本当に師父は耳聡い。どこからそんな話を仕入れているんですか」
「『神殿』なんてものは狭い世界だ。そんな中で隠そうとするほど不祥事なんてものは知れ渡るものだよ」
コルネリオは穏やかな表情のまま、お茶の香りをゆっくりと楽しむ。
「しかも、それに関わった者が特徴的だったからな。お前のことだとすぐにわかったさ」
「……お騒がせしました」
「いや。お前がしたことを責めるつもりはない。たまには『引き籠り』たちも外に目を向けた方が良いのだよ」
何でもなさそうに言うコルネリオに、デイルの方が恐縮する。彼も自分のしたことに微塵も後悔は無いが、恩師にこのように知られているというのは面映ゆい。
「師父のように、『外』に出ていく『黄の神の神官』の方が少数派でしょう」
「そうでもないさ。『黄の神』に属するものは二極化しておるのさ。『神殿』に籠り学術を修めることに固執するものと、新たな知識を得る為に『外』に自ら赴くものとな」
コルネリオはそう言って、お茶を一口飲んだ。
「まあ。『神殿』の中しか知らぬくせに学術を修めた気になっておる狭量な者は、『神殿』を追い出されては生きる術すら知らないだろうがな。直接手を下さないだけで、だいぶ『残酷』な裁きを下したものだ」
言葉の割には、コルネリオは面白がっているような気配がする。
「……デイル?」
「……っ、ラティナ……コルネリオ師父。今日伺ったのは、ご挨拶だけではなく、この子のことをお願いしたく思いまして……」
「ほう」
露骨に話を変えたデイルの様子に、恩師も調子を合わせてくれたようだった。
『あの事件』をラティナに思い出させたくない。--ということだけではない。彼は自分が『自分の権限』を利用して、相手に報復したことをラティナには告げていない。
彼女は心優しい子だ。
自分が原因で誰かを傷つける結果となったなら、深く悲しむだろう。彼女に非が無くとも。それが自分を傷つけた相手だとしても。
それならば、知られたくは無い。
あんな輩の為に、ラティナが悲しむなど、割りが合わない。
デイルにとっては何よりラティナの安寧が第一なのだった。
コルネリオの言うように、『黄の神』の加護を持つ者は『知識を得る為に自ら赴く者』と、『神殿の中で一生学問に耽る者』に二極化される傾向がある。
後者は『神殿』という狭い世界しか知らない。幼少時より神殿で学問一筋で生きている者も多い為、『世間』そのものを知らないのだ。
それでも『神殿』の中だけならば生きていくことは出来るだろう。
だが、『加護』という今まで当たり前に使えていた『力』を失った上で、『神殿』を追い出された『神官』が、『外の世界』で生きていけるかということは困難が伴う。労働というものをしたことも無い生き方をしていたのだ。
教育といった職を求めても、不祥事を起こして『神殿』を追放された者を好き好んで雇う者などいない。
これが例えば『緑の神』に属する者であったならば、神殿の外に出たとしても、どうとでも生きていくだろう。
デイルが行った報復は、『あの時の神官』のような限られた条件の者に対しては、肉体的な罰則などよりずっと、酷いものなのだった。
デイルは不安そうに自分を見上げたラティナへ、にこやかな笑顔を向ける。
「クラリッサ姉は、料理は今一つだけど、茶菓子は村で有数の腕だからな。旨いか?」
「……うん」
賢い彼女は、これ以上はデイルが話す気はないことを悟ったのだろう。まだ納得した様子ではなさそうだったが、おとなしく頷いて見せた。
「料理は今一つって酷いわねぇ」
「上達してたのなら、謝るけどな」
「むう……」
「クラリッサ姉より、ラティナの方が料理上手だぞ?」
「ふぇっ?」
突然、自慢気に言い切ったデイルに、ラティナが驚いて顔を上げた。
「おや、そうなのか?」
「師父も今度ラティナに作らせてみれば良いと思いますよ」
「デイル、デイルっ。ラティナ、まだまだだよっ?」
「ほら、この歳で謙虚さも身に付けているんですよっ! 可愛いし、凄ぇ良い子でしょう! 師父のところで見聞を広めるのは、ラティナの為になると思うんですよね。だから、師父、お願いします」
真面目な顔となり、頭を下げたデイルは、『保護者』らしい顔つきとなっている。
ラティナと共に暮らしているこの数年で、彼もすっかり『保護者』が板に付いてきているのだ。
そのことにコルネリオは満足そうに表情を緩めた。
師と呼ばれる立場として、教え子の成長は嬉しいものなのだ。
「お菓子もらっちゃった……」
余った茶菓子を紙にくるんでラティナは持たされていた。
コルネリオ家の前の下り坂をぽてぽて歩くラティナは、困惑と喜びの入り交じった表情で一歩前を行くデイルに声をかけた。
「もらって良かったのかな?」
「ラティナは旨そうに食べるからなぁ。だからだろ」
ラティナはあの後、クラリッサ謹製の焼き菓子を口にすると、見ている方が幸せになるほどの満面の笑顔を見せた。
作り手冥利に尽きる反応だ。
「美味しい?」
と聞いたクラリッサに
「おいしい……すごい、おいしいの……っ」
にっこぉぉっと、満足そうな様子でお菓子を食べる姿は、強力であった。クラリッサも、自分の胸を押さえて頬を染める。
「村の子どもたちも……っ、本当にこの子みたいにお行儀良くしてくれれば……っ」
「ん?」
「残りも、持っていって良いからね? ゆっくり食べて」
「いいのっ? ありがとうございますっ」
といった様子で、彼女はお土産を手に入れたのであったのだ。
「ラティナが可愛いからだよ」
「んん?」
こてん。と首を傾けたラティナは、自分の『魅力』に気付いていないのかもしれない。
クロイツという大都市でも、ラティナは群を抜いて愛らしい容姿の少女だ。こんな田舎の村では『見たことのない』ほどの美少女なのである。
性格も素直で、礼儀正しい。
そして、幸せそうに食べる子どもだ。
つい、構いたおし、餌付けたくなるのも仕方がないのかもしれない。
結果、デイルの挨拶回りが終了する頃には、彼女は山ほどの菓子や果実を持たされていたのであった。
「しばらく、ラティナはおやつには困らねぇなぁ……」
「なんでみんなくれるのかなぁ? こんなに良いのかな?」
「良いんだよ」
話しながら歩く二人は、村を一周した後で、デイルの実家の裏手にやって来ていた。
山の中に伸びる道は、小さいながらもしっかりと手入れが行き届いている。木漏れ日が道の上に複雑な紋様を描く上を、ゆっくりと歩を進めた。
そのうちに耳に届くようになったのは水の音だ。
何故離れた場所まで響いていたのかは、道の終わりに到達し視界が開けた時に理解する。
滝だ。
ぽかりと開けた空間は、半円状に広がっており、その周囲を成している岩盤から無数の清水が細く流れ落ちている。落差はそれほどでは無いが、数多の滝が、澄んだ豊かな水量を湛える滝壺へと落ちている風景は、神秘的な印象すら受ける。
「うわぁぁ……っ」
ラティナが感嘆の声をあげると、デイルは満足そうに微笑んだ。
デイルは滝壺のそばまで行く。濡れた岩場であるそこは滑りやすいので、ラティナへ手を伸ばし支える。
「すごいねっ、きれいだね」
滝壺のそばに来た彼女は嬉しそうに水の中に手を入れて、冷たさにびくっと驚いた。この水は全て湧き水である為に、季節によって温むことは無い。
「冷たいっ」
それでもラティナは嬉しそうで、もう一度清水に両手を差し入れていた。
「きれいだねっ! ここ、『神殿』みたいだね」
彼女のその感想に、デイルは少々驚いた。
滝のそばには『橙の神』のほこらが設けてあるが、外見上は質素で素朴なものだ。
それなのにラティナは『神の力が濃い場所』であることを、すんなりと見抜いてみせたらしい。
「……わかるのか? ラティナには『加護』は無いんだよな?」
「うん。無いよ。ラティナ『神殿』に、にてるなぁって思ったの。なんとなく、クロイツの『神殿』よりも『神殿』みたいだなぁって思った」
「街の中の『神殿』は、神を崇める『ひとの為』の施設だからなぁ……ここみたいに、『力』が強い訳じゃねぇ」
「へぇぇ……」
「『なんとなく』でわかるなんて、ラティナは不思議だなぁ……」
デイルはそう言いながら微笑んだ。
「ラティナは『神』にも愛されているのかもしれねぇな……」
その台詞の後に「こんなに可愛いんだもんな! 仕方ねぇなっ!」と続いてしまい、『なんとなく良い雰囲気』は台無しとなった。
彼はいつも通りの残念仕様であったのだった。
感想で『あの事件の報復』についてあったりもしたので、ちょこっと補足も含めた話でした。
師父は移住してきた方なので、一族の人間ではありません。