クロイツの友人たち、幼き少女の留守の間。
「シルビアっ! ラティナから手紙が来たっ!」
「へえ……元気だって?」
「まあね。ラティナだしっ、元気みたいだよ」
クロイツの『黄の神』の学舎の自分たちの教室に入って早々、クロエは友人であるシルビアにそう声をかけた。
シルビア・ファルは学舎に入ってから出来た友人だ。父親が領主館の憲兵としてそれなりの役職で勤めており、西区の高級住宅街に暮らす彼女だが、性格はあっさりとしており、下町である東区や南区に暮らすクロエやラティナとも気安く接している。その気性がクロエと馬が合い、クロエの親友であるラティナとも親しい。
ラティナがクロイツを旅立ってから半月以上がたっている。
行き帰りの行程だけでなく、着いた後しばらく向こうに滞在するらしいラティナとは、季節が移る頃までは会うことはできない。
デイルの故郷に着いた後ならば、ラティナに手紙を送ることが出来る。あまり勉強が得意ではなく、文章を書くことも不得手なクロエだが、少しずつクロイツで起こったことなどを書き溜めていた。
(ラティナが帰って来た時、あの子だけ『知らない』なんて、そんなのイヤだしね)
クロエはそう思っている。
「海の次は、じゅうじん族の村だって」
「獣人族かあ……クロイツでは見たことないね。混血の冒険者はたまにいる?」
「ラティナのとこ遊びに行っても見たことはないよ」
「そっかあ……見てみたいな」
シルビアはそう言うと、遠くを見るような顔をした。
シルビアは、弱いものではあるものの『緑の神』の加護を生まれながら有している。そんな彼女は、旅と好奇心に惹かれるという性質を持っている。
知らない世界に行って、知らない情報を集めること。『知らない場所を廻りたい』というのは、『緑の神』の加護持ちの半ば本能的なものだった。
「シルビアは学舎出た後は、『神殿』に行くの?」
「どうしようかなあ……」
クロエの問いにシルビアは手を組んで顎をのせた。
「『神殿』に所属すれば、一番手っ取り早いんだよねえ……魔法の勉強もさせてもらえるし」
「シルビア魔法使えるの?」
「ラティナのおかげで、適性があるのはわかったからねーっ」
魔法というものに興味があった友人たちは、ラティナの元で呪文言語を習っていた。
やはりほとんどの者は扱えなかったが、シルビアは発音することが出来ていた。呪文ではなく、『魔人族』の挨拶などを教えてもらったのは、シルビアがいつかは魔人族の国であるヴァスィリオにも行ってみたいという夢を持っているということも関係していた。
「そういうクロエは?」
「うちの仕事を継ぐよ。最近結構楽しくなってきたし」
「じゃあ、大人になったら服はクロエに頼むかあー……」
「高いやつ頼んでね」
クロエとシルビアがそんな事を話していた時だった。
「クロエっ」
ぽん。とルディが脇を通りながら黒い欠片を投げてよこした。
瞬間的にそれが何かを悟ったクロエは、落とさないように慌てて手を伸ばす。
「この……ばかルディっ! なんてことすんのっ!」
「なんだよ。……うまく出来た方、ちゃんとわたしただろ」
クロエの文句にルディは首を傾げている。
「うまく出来た方って……あんた」
「な、なんだよっ……練習が必要だったから、二回に分けてけずったんだよ。悪いか」
クロエがルディの返答に引っ掛かりを覚えて聞き返せば、彼は気まずそうにそっぽを向いた。
「何それ? 飾りもののパーツ?」
シルビアがクロエの握るそれを指して問いかけると、クロエは握り締めていた手を開いた。
黒い艶やかな輝きを放つ欠片は、削り出されて形を整えられた後で丹念に磨かれた跡がある。
丁寧に、大切に加工された小さなそれをクロエは少し持ち上げてみせた。
光を反射してキラリと光る。
「キレイだよね。ラティナにもらったの」
「ラティナに?」
「うん。大事にするからちょうだいって言ったら、私にだったらいいよってくれたんだ」
「それを何でルディが持ってたのさ?」
「どうやって削ったりしようか考えてたら、あいつが自分の家にだったら、ヤスリとかの工具があるからって、持っていったんだよ」
それはありがたいことではあったが、ちゃっかりと半分ほどをせしめていったらしい。
クロエはやれやれと肩を竦めてみせた。
「素直じゃないって面倒くさい生きモノだね」
「男ってのは、子どもだから」
そんなやり取りをするくらいには、この年頃の女の子というものはませた生きモノであった。
クロエがラティナからもらったのは、彼女が自分で折った『角』だった。
クロエは初めて見た時から、ラティナの角を、本当に綺麗だと思っていた。
そんな綺麗なラティナの一部を彼女が折ってしまったことが、悔しくて、哀しくて仕方がなかった。
そのまま埃をかぶって放って置かれることが、なんだか凄く許せなくって、ラティナに頼んだのだ。「角を自分にくれないか」と。
はじめは自分でなんとかしようと思っていたのだが、思っていたよりも硬いそれを加工することが出来なくて困っていた。そこに助力を申し出たのが、ルディだった。
その言葉にクロエはラティナの角をルディに預けて、加工してもらうことにしたのだった。
「そういえばルディは、学舎出た後はどうするの」
クロエがそう聞いたのには、特に深い意味はなかった。
たまたまシルビアとその話をしている最中にルディが来たから。それだけだ。
「なっ……べ、別にっ……クロエには、か、関係ないだろっ」
だが、挙動不審な態度で過剰に反応したルディの様子に、クロエとシルビアは顔を見合せて、にやりと笑う。
「ふうん。何か考えてるんだ……」
「べ、別にどうでもいいだろっ?」
「まぁね。どうでもいいけどさぁ……」
「そういえば、ラティナから手紙が届いたよ」
「な、な、何で、ラティナがここで出てくるんだよっ!?」
「え? 気にならないんだ?」
「っ! そういうわけじゃ……っ」
「気になるならそう言えばいいのに。ねえ?」
「ねえ」
「ーーーっ!!」
声にならない叫びを上げて地団駄を踏むルディの姿を、少し離れたところから眺めながら、マルセルとアントニーは微妙な笑顔を交わし合った。
「ルディも、クロエとシルビアにはやり込められちゃうんだから、あきらめたらいいのにね」
「それはそれで、悟っている行動だよマルセル……」
「ある程度は、人生あきらめが肝心だよ」
「それを笑顔で言い切る君は、大物なのかも知れないね……」
穏やかな表情で、そう言い切った友人に、アントニーは笑顔をひきつらせる。
「アントニーは高等学舎に進むんだったよね?」
クロエたちの会話を思い出してマルセルが声に出せば、アントニーは一つ頷いた。
「そうだよ」
「やっぱり、領主館で働くためかい?」
「父さんみたいにそうできれば、一番良いんだけどね。こればっかりはわからないし。商館ででも働ければ良いよ」
アントニーの父親は、領主の所で下級役人をしていた。世襲制の仕事ではないため、息子のアントニーが就けるとは限らない。だが多少の便宜を図ってくれる縁故程度のものなら存在していた。
「マルセルは、やっぱりパン屋を継ぐのかな?」
「ちがうことをする理由もないからね。うちのパン好きだし」
マルセルはおっとりとそう答える。
クロイツに住む子どもたちの多数は、親の仕事を継ぐのが一般的だ。
次男、三男ともなれば別の仕事を探す者も居なくはないが、特に職人の子どもであれば、わざわざ余所の職種の門下になることは少ない。
「ルディはお兄さんもいるしねえ……」
「……でも、この間までは鍛冶の仕事するつもりだったはずなのになぁ……急にどうしたんだろうね」
二人は一度言葉を切ったが、同時にうん。と頷き合った。
「ラティナ関連かな」
「ラティナ関連だろうね」
「わかりやすいからね」
「なんでラティナに気付かれてないんだろうねえ……」
「ラティナの前でだけ、必要以上に素っ気ない態度とるの……徹底してるからね。ある意味すごいと思うよ」
「端から見てるぼくたちには、わかりやすいけどね」
そこで二人は再び同時に頷いた。
「馬鹿だからね」
「バカだよねえ」
「お前らっ! 聞こえてるからなっ!」
半泣きのルディの叫び声が響いた瞬間に、教室の扉が開き、神官が笑顔でルディを見た。
「ルドルフさん。教室は騒ぐところではありませんよ」
「っ!」
我に返ったルディが見渡せば、友人たちはしれっとした顔で席に着いている。
基本的に彼は要領が悪いのであった。
クロエの台詞を、始め全部片仮名で打ってしばらく眺め……平仮名混じりに直しました。「ばかルディ」なんだか……なんとなく……
こんな感じの当作品ではありますが、いつもお付き合い頂きありがとうございます。