幼き少女、春うらら。
当方、花見大好き人間です。
クヴァレを出立したのは早朝だった。
昨日からの雲が残り、薄曇りの為時間よりも暗く感じる。
「残念だったなぁ。ここの街道は海が良く見える場所だったのに」
「帰りの楽しみにするの」
街道から見通せる景色は、灰色の空と鈍く沈む海の色が水平線で別れていた。晴れていたならば美しいに違いないと思わせる風景だった。
だがラティナは、ぷるぷると首を振る。
建設的な意見を述べてにっこりと笑った。
「海からはまた南の方に向かうぞ。クロイツから大きく迂回して東の方に向かう感じだな」
「どうして『うかい』したの?」
「直に向かうと、急な勾配の山越えが続くんだよ。街道もねぇから獣道があれば御の字だし。俺一人でもやりたくねぇ」
「そうなの」
「俺の田舎は山の中だから、ずっと登って行く感じになるなぁ……王都からもどんどん離れて行くから、寂れていくし……」
デイルの説明を聞きながら歩く街道は、それなりに旅人の往来が見られる。だが、二人が昼近くに山側に向かう別れ道に逸れた途端、人の姿が見られなくなった。道もはっきりと荒くなっている。
寂れた方向に向かっていることが、わかりやすい程のわかりやすさだった。
「ラティナ、馬に乗るか?」
「まだ、だいじょうぶだよ」
ラティナはそれでも楽しそうに歩いている。
季節が春を迎えていることを示すように、道端には小さな花が咲いている。それらを見つけては、ラティナは嬉しそうに微笑んでいた。
そんな時だった。
薄紅色の花びらが視界を横切って、ラティナは視線を上げた。
「うわあぁっ」
思わす歓声を上げるのも無理はない。そこは満開に咲き誇った薄紅色の花の並木道となっていた。灰色の空を背景に、淡く紅色を帯びた小さな花が華やかに映え、頭上を覆っている。
「春だなぁ……近くに村がある。誰かが植えたのかな……」
デイルの呟きも今のラティナには届かない。
視線も意識も、今は盛りと咲く華やかな光景に奪われていた。
デイルは少し苦笑して足を止めた。
「ラティナ、休憩にするか」
「うんっ」
声をかけると、予想通りに嬉しそうにラティナが応じる。デイルは手綱を近場に結びつけてから、並木道の下に腰を下ろした。ラティナも隣に腰を下ろす。
彼女はそのまま頭上を見上げている。きらきらした眸がひらひらと舞い散る花びらを追っていた。
デイルが宿に頼んで用意してもらっておいた包みを取り出す。
包み紙を開ける音で、ようやくラティナは彼のその行動に気付いたようだった。
そこにはサンドイッチが並んでいた。
クヴァレ特産の魚を具材にしたものばかりで、次に魚料理を食べる機会が何時になるかわからない事を惜しんで、作ってもらった弁当だった。
「ラティナどれ食いたい?」
「えーと……デイルは?」
「俺はどれでもいいぞ」
しばらく迷って、ラティナは魚を燻製にしたものと野菜を挟んだサンドイッチを手に取った。ぱくんと隅にかじりつく。
デイルも魚のオイル漬けを具にしたものを食べはじめた。
二人が食事をする静かなこの場に、ひらひらと花びらが落ちて来る。
マイペースに草を食む馬の姿を目で追って、水筒の水で喉を潤した。
デイルが二つ目を食べ終わる頃、ラティナはようやく半分程を食べ進めた所だった。ベロンと中身を引き出してしまって、慌てた顔をしている。もっもっもっ。と、くわえた魚のスライスを少しずつ引っ張り上げて口の中に収めていた。
本当にいちいち行動が愛らしい。
「おいしかった」
「そうか」
「お花、きれいだね」
食事を終えた後、しばし休憩して春の景色を楽しむ。
再び立ち上がって移動を再開するまで、ラティナはずっと満開の花に見入っていた。
隣を歩くラティナの白金色の髪に、薄紅色の花びらが名残を惜しむように一枚乗っているのを見付けてデイルは微笑んだ。
時間が経った後で教えてやるのも、悪くは無いような気がした。
数日後、街道の脇の草原が花畑となっていた時も、ラティナは足を止めた。
確かにクロイツでは花壇や公園に花が咲いている所を見ることは出来るが、こんな風に周囲一面を様々な花が覆い尽くしている光景を見ることは出来ない。
「いいぞ。少し寄り道していくか?」
「いいの?」
「蛇とかには気をつけろよ?」
「だいじょうぶっ」
返事と共に花畑にラティナが駆け込んで行くと、彼女の腰までも色鮮やかな花たちに隠れた。
嬉しそうに笑いながら、周囲全てを花に囲まれるという体験を満喫しているラティナは、その容姿の愛らしさもあって
(うん。間違いない)
そんな親バカコメントを独白してしまう位には、可愛いらしく幻想的な光景だった。
ラティナの目の前を大きな蝶が飛んで行く。
彼女は青空の向こうに向かうそれを、しばらくじっと見送っていた。
ラティナは旅を楽しんでいるようだった。
春というこの時期も良かったのかもしれない。気候も穏やかだし、風景も何処か浮かれ気分となる華やかな季節だ。
これ程ラティナが喜ぶのなら、クロイツに帰ってからも何処かに連れ出してやるのも悪くはないだろう。
そんな事を考えてしまう。
少しずつ山が近づき、道に傾斜が感じられてくると、又景色は趣を変える。
深い森に入ったのだ。
だが、クロイツの南の森のような陰鬱さは感じられない。
魔獣や獣の姿や気配はあるが、人を脅かす程の脅威とはなっていないのだ。森の中に頻繁に手を入れているということだろう。
「この近くには『獣人族』の村があるからな。それで結構この辺りは安全なんだよ」
「じゅーじんぞく?」
「ああ。ラーバンド国じゃ珍しいよな。もっと西の国なら結構いるらしいけど。人間族と友好的な種族だから、結構混血も多いし、冒険者やってる奴も多いぞ」
「へえ……ラティナ気付かなかった」
「クロイツにはあんまりいないからなぁ……クヴァレではたまにすれ違ってたぞ?」
そう言えば、ラティナは少し気まずそうな顔をした。
彼女は町中のあちこちに夢中になりすぎて、そういった大きな点を見落としがちなのだ。迷子になりやすい質だとも言える。
木々は若葉らしい明るい色調の緑の葉を付けている。
デイルはそんな森の中で、街道から、獣道を少しましにした程度の細い道に逸れた。
茂みがちょうどラティナの顔に当たる位置に葉を繁らせているため、馬上に乗せる。ラティナは周囲をゆっくり見渡せるようになると、あちこちに視線を向けはじめていた。
「デイル、どこ行くの?」
「今日は獣人族の村に泊まるぞ。宿はねぇけど、知り合いが居るからそこに泊めて貰う」
「デイルのしりあい? 友だち?」
「友だちじゃなくって、一応親戚だなぁ……そいつの母親が俺の親父の又従姉妹なんだよ」
「ふぅん?」
ラティナにはあまりよくわからない関係であったらしい。こてん。と首を傾げている。
「家族の家族みたいな感じだよ」
「ふぅん」
返事をしてはいるが、多分よくはわかっていないだろう。そんな顔をしている。
森が急に拓けたのは、夕刻を迎える前のことだった。
小さな村がそこにはあった。今まで立ち寄って来た町とは比べものにならない。ぐるりと見回せば村の全貌が視界に入りそうだ。
石積の壁と木の色をそのまま残す屋根の小さな家々が、身を寄せ合うように建ち並んでいた。
「ふぁあっ」
「暗くなる前に着けたな」
デイルはほっとしたように村の入り口へと向かう。今までの町のように壁を築くこともしていない。木々を組んだ柵で一応村の周囲を囲んでいるといった様子だった。
入り口付近を歩いていた村人の姿に、ラティナはもう一度驚いたように嘆息した。
「ふぁっ! 『じゅーじん』のひとっ?」
「そうだぞ。特徴的だから、初めて見たら驚くか」
デイルはそんなラティナに笑みを向ける。
彼らの会話に気付いたのだろう。獣人族のその人は毛に覆われた顔を彼らに向けた。
「珍しいな。客人か?」
「ああ。ビュンテの所に来たんだが。入っても構わないか?」
「ビュンテのところか」
デイルの上げた名に彼--着ている服から年配の男性だと思われる--は、何度か頷いた。納得して貰えたらしい。
「この時間なら家にいるだろう。案内が必要か?」
「いや、大丈夫だ。ありがとう」
デイルがそんな会話をしている間もラティナはまじまじと相手を観察している。本来ならば失礼に当たるだろうそんな視線も、彼女の場合、後ろ暗い感情の無い素直な好奇心だけのものだ。相手に悪感情を抱かせ難いという得な性質である。
『獣人族』の外見は特徴的だ。
体格自体は他の人族と大差は無い。だが、その顔や身体のあちこちは獣毛に覆われている。毛色には個人差があり、茶や黒など様々だ。
顔立ちも獣を彷彿とさせる容貌だ。一番近い獣をあげるとすれば犬だろうか。それと人とを合わせた見た目をしている。
天を向く三角耳と尾を持ち、獣毛に覆われた『人族』 それが『獣人族』なのだった。
「……デイル、『じゅーじんぞく』と家族なの?」
不思議そうなラティナにデイルは村の一軒を指さして答えた。
「ほら、あそこがビュンテの家……あいつは、人間族と獣人族の『混血』だからな」
「『混血』?」
「ああ。人間族と獣人族は『性質』が近いから、血が混ざるんだ。外見も、人間族の見た目に獣人族の特徴である獣耳や尾を受け継ぐ姿で産まれるんだよ」
お花畑とちっさい娘。というシチュエーションはやらなければならない。という使命感を感じたのですが……当方の完全な趣味であります。
今後もこんな感じに脇道にそれることでしょう。