幼き少女、宿場町につく。
緩やかなアップダウンはあるものの、港へ向かう街道は歩き易い道のりとなっている。
諸外国からの物資を王都へと運ぶ重要な街道だけあって、定期的に整備されているのだ。今も視線を向ければ、人足達が、削れ、穴の空いた街道の一部を補修している姿を見る事が出来た。
「ねえデイル。クロエはね、盗賊とか心配してたよ。いるの?」
「まぁ、金目の物満載の馬車の通り道だから、そりゃあ居るけどな。此処等はまだクロイツの近くだから、あんまり居ねぇよ」
「そうなの?」
「手配が掛かれば、あっという間に冒険者連中が集まって来るぞ? 冒険者崩れの盗賊も居るけど……普通なら、追っ手の掛かり難いところでやるもんだろう」
ぽくぽくという蹄の音をBGMに、二人は話をしながら歩く。
「今日泊まる宿場町の先は、ちょっと危ないかなぁ……たまにそういう奴が出るって聞くし」
「だいじょうぶ?」
「ああ。ラティナのことはちゃんと守るからな。心配か? 」
「デイルがいるから、ラティナだいじょうぶ」
心の底からの信頼のこもった、満開の笑顔を見せたラティナにデイルも微笑んでみせながら、
(皆殺しにするのは、逆に楽だったりするんだけどなぁ。ラティナには、あんまり残酷な光景見せたくはないし)
などという物騒な独白をしていたりする。
(ああ。でも、ラティナに武器向けられたりしたら、俺、ブチキレるかもしんねぇ)
こんなことを考えながら、デイルはでれでれのにこやかな顔で、傍らのラティナの頭を撫でていたりするのだから、人間というものは、外側からは何を考えているのかなどわからないものである。
日頃、クロイツという限られた空間で暮らすラティナにとって、外の世界はとてつもなく広く感じられるらしい。
デイルにとってはなんてことのない景色も、彼女には違って見えているようだ。
街道の緩やかな坂を登りきり、視界が開けた瞬間もそうだった。ラティナは歓声を上げて、周囲を見渡した。
遠くには、空気に青く霞んだ山脈とその手前の森と草原。更に手前には麦などが植えられた穀倉地帯が広がっている。
「広いねえっ! すごいねえっ!」
「そうか? ……そうかもしれないな。ほら、ラティナ、遠くに見えてきただろ。あそこが今日泊まる町だ」
「うわあぁぁっ」
ラティナは興奮した様子で、少しでも遠くを眺めようとしているらしい。庇のように手を額に当てて、ぴょんぴょんと跳ねている。
二つに分けて結い上げられた白金の髪も、光を反射しながら激しく揺れた。
「あんまりはしゃぐなよ? 町に着く前に疲れちまうぞ」
「うんっ!」
元気よく返事をすると、彼女はデイルの隣に並んだ。
時折休憩を挟んで、予定通り日が沈む前に町へと到着する。
宿場町『ハーゼ』は、クロイツとは比べものにならないくらいの小さな町だ。
周囲が穀倉地帯であることを見てもわかるように、主な産業は、農業であり、こういった町がクロイツの豊かさも支えている。
同時に街道沿いであることから、宿場としても栄えている。
宿の形態も豪商相手の高級宿から、一部屋に複数人が押し込まれる安宿まで様々だ。
デイルは町を囲む壁を守る門番に小銭を握らせると、話を聞いた。
普段の彼ならば、眠れればどこの宿でも問題としない。だが、今回はラティナを連れているのだ。安全性とそれなりの設備を求めたいと思っている。
「クロイツとは違うねっ。おうちの雰囲気も違う」
「でもまだこの辺りは、賑わっている方だぞ。俺の故郷なんか田舎すぎて、ラティナ驚くだろうな……」
ハーゼの建物は、全体的に地味だ。
クロイツのように漆喰や塗料で塗られた壁はほとんど見られない。屋根の色も、ラーバンド国風の赤色ではあるのだが、塗料の種類が違うのかどこか沈んだ鈍い赤だ。
だが、それはそれで、ひなびた趣がある風景とも言えた。
デイルが選んだのは、厩を持つ中ランクの宿だった。
引いていた馬から荷物を下ろし、中に入る。ラティナはキョロキョロと落ち着かなさげだ。
かなり恰幅の良い女将が店番をする所に、近づいて行った。
「部屋は空いてるか?」
「ああ。一部屋で良いかい?」
「構わない。後、厩を使わせてもらう。水と飼い葉を頼む」
「別料金になるよ」
「わかってる」
女将が渡した鍵を見て、ラティナを招く。彼女はデイルがそんなやり取りをしていた間も、しきりに周囲を観察するのに余念がなかったようだった。
この宿も『踊る虎猫亭』同様、一階は食堂となっており、二階が客室となっている造りとなっていた。
デイルとラティナの部屋は二階の隅の角部屋。
窓を開ければ、町を囲む壁の向こうまで見渡せる、眺望を望むなら悪くはない部屋だった。安全性ならば奥の部屋の方が高い。けれどラティナの喜ぶ顔を見たらそんな些末なことは気にならなかった。
女将の愛想は今一つだが、部屋は清潔感もあり、悪くはなかった。
ベッドが二つ並んでいる中、それなりにスペースは確保されており、広さも充分だ。
デイルは荷物を隅に下ろし、籠手を外してコートを脱いだ。
ラティナも彼のそんな様子を見て、背中の荷物を下ろしてナイフも外す。軽くなったとぴょこんと、跳ねた。
「あのね、デイル……」
「散歩したいってのは、止めておけ。明日もたっぷり歩くんだからな」
言い出しかけた言葉の先手を打たれて、ラティナは驚いた顔になる。
「ラティナがあちこち見たいのもわかるけどな。これからもたくさんの町を通るんだ。休める時はちゃんと休んでくれよ」
「……うん」
しょんぼりとした顔をしながらも、頷いたラティナに、デイルはため息を一つつく。
デイルもラティナにこんな顔をさせたくはないが、この子のはしゃぎっぷりからすると、放っておいたら倒れるまであちこちを見たがるに違いない。
この辺りで一度釘を刺しておかなければならない。
「その代わり、港町『クヴァレ』に着いたら、ちょっと観光しような。それまでの我慢だ」
ラティナがその言葉に表情を明るくする。
彼女を落ち込ませたまま放置できないのが、彼が彼である所以だろう。
中ランクの宿なだけあって、入浴設備も備えていた。
湯上がりのぽかぽかした様子で、ラティナはテーブルについていた。うきうきとメニューを眺めている。
「ラティナ何食べたいんだ?」
「食べたことの無いのが、食べたいのっ。ケニスもね、いろんなところで、いろんなもの食べるのもべんきょうだって言ってたの」
「ああー……ケニスは確かにそうだったなぁ……」
それにしてもこの子は、一人前の料理人を目指すのだろうか。
なんだか、だんだんと、料理と食事に対する取り組み方が、本格的になっているような気がするのだが。
(まぁ……ケニスも、冒険者だか、料理人だか、わかんねぇような感じだったもんなぁ……師匠に似たのか……)
自分の兄貴分であり、彼女の師匠である男の顔を思い出しながら、デイルは珍しく頼んだエールを飲み干した。
「んー……ううん?」
とはいえ、メニューにあまり目新しいものはなかった。その為、農園に近い地域であるからと、ラティナは様々な野菜のグリルとフリッターの盛り合わせを注文した。デイルはごく普通のチキングリルだ。添えられたパンは小麦の産地なだけあって、山盛りに盛られ、好きなだけ食べて良いシステムだった。
「んー……」
「どうした? ラティナ」
「このお野菜……もう少し、じっくりゆっくり焼けば良いのにね」
食べながら首を傾げていたラティナに問いかければ、彼女からの返答は、デイルの想像を越えていた。
「そうした方が、もっとあまい感じになるのに」
「そーか……わかるのか」
「ケニスおしえてくれたから。こっちのはおいしい」
ほのかな苦味のある春先に出る新芽のフリッターには、ラティナはうんうんと納得している。
(俺が思っているより……ラティナの料理のスキルは、高いのかもしんねぇなぁ……)
パンもしっかり噛み締めて、味を確認しているラティナの姿に、デイルは彼女のスペックの高さを再確認していた。
お湯を使った後でデイルが部屋に戻ると、先に部屋に戻らせておいたラティナは、小さな帳面になにやら書き付けていた。
デイルが覗き込もうとすると、ぱっと慌てて隠そうとする。
その仕草で気付いた。
「日記か?」
「旅の間のこと、書いておくの。はずかしいから、見るのダメ」
「そーか。ごめんな。俺に見られちゃ困るような事、書いてあるのか?」
「はずかしいから、ダメなの」
ぷるぷると首を振るラティナは珍しい。デイル相手だと、よほどのことでなければこの子は嫌だとは言わない。
(駄目って言われると、気になるなぁ……)
とはいえ、無理強いして嫌われでもしたら、自分はきっと立ち直れないだろうとも思っている。
昨夜は仮眠しかしていないので、デイルは自分に疲労が蓄積している自覚がある。
ラティナにも言ったが、休める時にしっかり休むことは重要だ。
彼は部屋の戸締まりを確認してから、ベッドに入った。その姿にラティナが少し慌てた顔をする。
追いかけて来て、デイルを掛け布団越しに、ぱしぱしと叩いた。
「デイル、デイル。あのね……」
「ん?」
「ラティナ、デイルのとなりでねるのダメ?」
「……いつも、一緒に寝てるからか?」
ラティナの発言にデイルが聞き返せば、彼女は少し考えてから、
「知らないところで起きるの、ちょっとびっくりになるの。デイルのそばだと、安心なの」
「そうか……慣れない旅だもんな。不安にもなるよな」
デイルは納得すると、むくりと起き出して周囲を見る。
ベッドは一人用で、二人で並んで眠るには少々狭い。クロイツの自室のベッドはかなり広いものを置いているのだ。
「じゃあ、ついでにラティナ。《重力軽減》の呪文も教えてやるからな。聞いておけよ。結構便利だからさ」
そう言ってデイルは、普段よりゆっくりと呪文を唱える。
「" 冥なる闇よ、我が名の元命じる、星の縛りを断ち切れ 《重力軽減》 "」
呪文を使い、隣にあったもう一つのベッドに手を掛ける。重さを操作する呪文の効果で軽々と持ち上げることが出来た。
ぴたりと付けて並べ直す。大きな音を立てないように慎重に動かした。
「ちょっと段差はあるけど、これで良いか?」
「うん。ありがとうデイル」
ラティナは嬉しそうに微笑んで、隣のベッドに潜り込んだ。
そんな幸せそうな彼女の表情につられたように、デイルも微笑む。
(ラティナだけでなく、俺もこの方が、心地良いのかもしれないなぁ……)
ラティナの体温を感じる距離で、デイルが眠りに落ちる前に考えたのは、そんな事だった。
デイルさん……あんたブレないな……と思いつつ執筆しております。
ラティナは将来後世に料理で名を残す……のかも知れませぬ。……等々、彼女の今後も生温かく見守って下さいませ。
お読み頂き誠にありがとうございます。