青年、モンスター < ペアレントと化す。( 後 )
後編です。
血の気を失った白い顔のラティナが、寝台に横になっていた。
意識を取り戻してはいたが、どこか虚ろな、生気の無い眸が、人の気配にゆっくりと動く。
息を乱して駆け付けた彼の姿に、灰色の眸が揺らめく。
「……デイル……」
そして、かすれた声が呼んだのは、彼の名だった。
『藍の神』の神殿は『生と死』を司る。その為、医療技術や病理学、薬学等を研究している機関となっていた。また、その研究結果を、治療院を設けるという形で市井の人々にも還元している。
ケニスによって、ラティナは治療院に担ぎ込まれていた。幸いにも命に別状はなかった。発見が早く、初期手当が良かった事が奏した。
そうでなければいかに頑強な『魔人族』といえど、これだけ小さな体から大量の出血をして、無事である筈もない。
「ラティナ……どうして、こんな……」
震え声で呟きながら、デイルがラティナの頬に手を滑らせると、彼女は表情を歪めた。
「うっ……うぁっ……あっ……」
意味にならない声を発して、ぼろぼろと涙をこぼす。
「ラティナ……痛むのか? 」
気遣わしげな声に答えることはなく。
デイルの手を、ぎゅっと力を込めて握り、泣きじゃくる。
嫌々をするように首を振った。
「いらないのっ……いらないの……」
泣き声の合間に聞こえたのは、そんな慟哭だった。
「ラティナ? 」
「『まじんぞく』のあかし、なんて、いらないっ……ラティナ、『角』なんて、なければよかったっ! 」
ラティナの言葉に戸惑うデイルは、この時まだ、彼女の身に何が起こったかは知らなかった。
だが、尋常ではないラティナの様子に、迂闊な叱責などはしてはならないと、心の内を戒める。
「ラティナ……ラティナ。どうしたんだ? 何があったんだ? 」
「やだよぉ……どうして、なのっ? 何でラティナ『まじんぞく』なのっ? ラティナ、『まじんぞく』のばしょでくらせないのに……『まじんぞく』はラティナのこと、いらないのにっ……ラティナのこと、大事にしてくれたの、いてもいいって言ってくれたの『人間族』なのにっ……」
これだけ錯乱したラティナの姿は、はじめてだった。
それまで自分の本心や弱音を、デイルの前では隠す傾向のあったラティナの、悲痛な叫びが病室内に響く。
「何で、ラティナのじかんだけ、ちがうのっ?
みんながしんじゃったあとも、ラティナだけ……ひとりだけのこされるのなんて、いやだよぉっ……」
その言葉に、デイルはラティナが何を知ったのかを察した。
彼女は、『魔人族』と『人間族』は、寿命という『生まれ持った時間の長さ』が異なることを知ったのだと、直感したのだ。
「やだよぉ……やだよ……ラティナ、何で、何で……? 『まじんぞく』じゃなければよかったっ……
みんなといっしょにいられないなんて、いやだよぉっ……
もう、ひとりになりたくないのに……ラティナだけ、のこされるなんて、もういやなのにっ……
デイルとも、ともだちとも、ラティナずっといっしょにいたいのにっ……
みんなのいないじかんで、ひとりぼっちになるのは、もういやだよぉっ……」
--ラティナが傷付き、絶望したのは、直接向けられた『悪意』ではなかった。
『事実』--覆ることの無い『種族の差』という『事実』だった。
デイルは以前、この『事実』をラティナに告げなかった。
--『人族』の中で『閉鎖的』な傾向のある『種族』の共通点は、『長寿種』であること。だ。
命の時間の長さが違うということは、大きな価値観の違いと、ズレを生じさせる。
『人間族の十年』と、『魔人族の十年』は、体感時間も価値も異なるのだ。
元より持つものの絶対値が異なる以上、歩み寄るのが難しいこともある。
「ラティナ……ごめんな……」
謝るべきか、デイルにも判断はつかなかったが、咄嗟に口をついて出たのはその言葉だった。
泣きじゃくるラティナを抱き上げて、しっかりと抱き締める。
柔らかなラティナの髪に頬を寄せて、まだかすかな血の跡を残す彼女の『傷口』を指先で撫でた。
「苦しめて、ごめんな、ラティナ……」
ぎこちなく、それでも優しく、背中を撫でる。
息をするのさえ苦しそうに、全力で嘆き、泣いている少女の苦しさが、ほんの少しでも癒えるように。
--そして、その後、デイルは、ラティナの身に何が起こったのかを知った。
自分が先送りにした為に、彼女が『最悪のタイミング』で、種族の差という『事実』を突き付けられたことを。
彼女が自らの体を傷付けたのは、彼が教えた攻撃魔法だったことを。--ラティナは、その類い稀なる卓越した制御技術で、本来ならばこけおどし程度にしかならない威力の攻撃魔法を、一点のみに集中し、見事に『角』を砕いてみせたのだ。
--その事実を。
--だから、これは半ば、八つ当たりだ。
デイルは『自分自身』にも、苛立ちと腹立たしさを抱いているのだから。
彼はそう思いながら、目の前で汗を拭いている、初老の女性司祭に目を向けた。
自分でも冷ややかであることを知っている『笑顔』を作る。
「噂では、『以前いらした街』でも似たような『事件』を起こされていたそうですね」
司祭の顔色がますます悪くなる。
この街の者が知らない筈の情報だ。無理もない。
だが、『専門家』のリタがラティナの為に、調べに調べあげた情報だ。
誰を敵に回したか。もう少し、肝に命じて貰わねば困る。
「『妖精族』相手に事を起こしたとか? あの街は確か、『妖精族』と交流が深く、『妖精族』の『唄』目当ての観光事業が街の主産業であった筈ですが? 『妖精族』が公演をボイコットする騒ぎになったそうですね」
だから慌てて、遠いクロイツの街へと、転属させたのだ。
その街にいられなくなったから。
そして予定外の人事異動に、クロイツの街の『黄の神の神殿』も、大混乱に陥った。
ラティナたちの担当が変わったのもその為だ。
『その街』の騒ぎを鎮める為に、クロイツの高位神官が、代わりにそちらの街に赴いた。その穴を埋める為にラティナたちの担当だった神官が、任を引き継いたのだ。
神殿の人々も、まさか大騒動を引き起こし、異動した直後に、また同じような真似はするまいと思っていたのであった。
だが、当の本人は『自分の主張は間違っていない』と信じきっている。反省する筈もない。何故なら『間違っているのは、自分を糾弾する周囲』なのだから。
「我が加護に於いて、『裁定』の行使を要求する」
「それは……」
彼の要求は、高位神官に認められた『権限』だった。どの神の神官が、どの神の神官相手に行うことも、可能とされている。
本日の彼が、『聖印』なんて物を携えて赴いた最大の理由だ。
デイルが厳かに告げた言葉に、司祭が息を呑む。
「『身内』を庇いたい気分もわからなくはないけどな。それでも、これだけの事を仕出かした輩を庇い続けるなら、それなりの覚悟はあるんだろうな」
デイルは鋭い一瞥と共に釘を刺すと、更に言葉を続けた。
「それが受け入れられないのであれば、『赤の神』の神殿経由で請求するまでですが。そうなれば、一連の事実を知りながら、黙認した他の神官の責任も問われると思いますがね」
『赤の神』は、戦の神であり、調停と裁きを司る神でもある。
かの神殿は、各土地の法や権力を越えて、『裁き』を下す機関だ。
そこには無慈悲な程に『適切な裁き』が下りる。
自分たちの非を自覚する相手にとっては死刑宣告も同義だった。
--連帯責任で多くの者を罰せられるのが嫌ならば、大人しく当の本人の首を切り、責任を取らせろ--
デイルのしたことを一言で言い表せば、そういうことであった。
--あの時、泣きじゃくるラティナを抱き締めて、デイルは言った。
「……でもな、ラティナ。同じ『人間族』だったとしても、俺はラティナより、きっと先に死ぬよ。……俺の方が歳上だし、俺は何時死んでもおかしくない『仕事』をしている」
求めていなかった言葉に、ラティナは激しくもがいた。
彼の言葉を否定するように、認めたくないように、激しく頭を振り、悲鳴に似た泣き声を上げる。
全身で「嫌だ」と叫ぶラティナを、デイルはしっかりと抱え込む。
逃がしたりはしないと、腕の中に掴まえる。
「でもな、ラティナ。聞いてくれ。……俺はお前と出会えて、本当に良かったって思ってる。限りのある時間の中を、お前と過ごせて良かったって思ってる」
彼女の声に負けじと声を張り上げながら、彼は思いを伝えようと言葉を尽くす。
彼女と出会った時から、自分の人生は大きく変革を迎えた。
心の底から感謝している。この優しく愛しい時間をくれたのは、紛れもなく、この腕の中のちいさなこの子なのだから。
「俺はラティナと逢えて良かった。そのことは、絶対に後悔しない。……だから、ラティナも、俺と『出会わなければ良かった』なんて、言わないでくれ……」
泣き顔のラティナがデイルを見上げる。声にならない声で何かを訴えようとする。しゃっくりあげながら、それまでとは違う様子で首を振る。
「……ちが……ちがうのっ……ラ、ラティナ……」
何度も何度も咳き込み、喘ぎながら、彼女は言葉を紡いだ。
「デイルと、あえて……よかったの……ほんとうに、そうなの……」
「ありがとう。ラティナ。……お前が、それだけ『別れ』が辛いと泣くのなら、それは俺たちが、お前にとって大切な存在なんだということだろう? 俺は嬉しくも思っちまう」
「……うん。デイルはね、ラティナのとくべつなの……そうなんだよ……」
泣き顔のラティナの頬に、キスを落としたら、彼女は驚いた顔をした。
泣き顔より、驚いた顔の方がずっと良い。
デイルは、悪戯が成功した子どものように、微笑んでみせた。しっかりとラティナと目を合わせる。
「俺はラティナと出会えて良かった。……いつか死ぬ時がきても、俺はきっとそう言えると思う……だから、『その時』まで、一緒にいような? 」
「うん。……ラティナ、デイルとあえて、よかったよ……」
「大好きだよ」
「ラティナも、デイルのこと、いちばんだいすき……」
ほんのかすかに、微笑みを浮かべた彼女に、途方もなく安堵を感じた。
この子の笑顔の為ならば、自分は今以上に、頑張ることができる。
そんな考えを胸の内に抱きながら。
デイルさんが、チート臭いのは『加護』持ちだったからだったのです。
とりあえず、色んな人がいますよね。世の中。