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後日譚。白金の娘、花嫁になる。(後)

 普段は、冒険者たちが汚れた靴で行き来する『虎猫亭』の階段や床であるが、今日は鏡の如く磨きあげられている。

 デイルに、「迷惑料がわりに、働けよ?」と、笑顔で言われた一部の常連客の仕事であった。おっさんたち主導の馬鹿騒ぎを、それで流すと宣言することであり、おっさんたちが愛でているラティナの為の仕事である。双方に利点のある落とし所となっていた。

 そして、そんな時のケニスは容赦がなく、常連たちの掃除スキルはこの短期間で急上昇したのである。


 その磨きあげられた客室から一階の酒場に続く階段を、デイルに手を取られたラティナがゆっくりと下りてくる。


 ラティナを見た客たちの中から、ため息に似た感嘆の声が漏れる。

 純白を纏った花嫁が、そこにはいた。

 身体に沿った上半身から高めに取ったウエスト部分、そこから長いスカートが床まで届いている。ラティナの動きに、繊細なレースを重ねたしなやかな素材のスカートが、如何にも柔らかそうに揺れる。

 だが、それは単純な白一色ではない。

 上質なシルクに、縫い付けられた精緻なレース。白い絹糸で施された胸元の刺繍には、遠方から取り寄せた真珠があしらわれている。様々な素材を組み合わせたそのドレスは、光を複雑に含み、輝いていた。

 ラティナ自身の白金の髪も、その中で艶やかな煌めきを放っている。複雑に編み込まれた髪には、細かな紗で出来たベールが留められていた。

 そのベールにあしらわれた花飾りだけが、今のラティナが持つ鮮やかな色彩だった。結婚を司る神たる『橙の神(コルモゼイ)』の色たる橙を中心にした生花の飾りが、彼女らしい愛らしく朗らかな雰囲気を演出していた。


 階段の下までおりると、二人は簡易に設えていた祭壇の前で並んで足を止めた。デイルは、聖印を手にして祝詞をあげる。

「まるで本職の神官みてえだな」

 常連客の誰かが呟いたが、デイルは眉ひとつ動かすことなく、儀式を最後まで執り行った。


 長い睫毛を伏せて、デイルからの祝詞を聞き終えたラティナは、ふわりと優しい笑みでデイルを見上げた。デイルもそれに微笑みで応じる。

 デイルの担う神官としての役割はここで終わりで、残りの儀式はティスロウで行う。彼が担うのは、あくまでも準備に関わる儀式だけだった。

 だからここからは、デイルも『橙の神(コルモゼイ)の神官』ではなく、祝われるべき新郎としての立場に戻るのだった。


 披露宴の会場として整えられた『踊る虎猫亭』の店内で、二人並んで腰を据える。

 そんな二人の前に最初に立ったのは、ケニスだった。

 弟分と弟子の結婚式である。最初の一人は誰でもなく、ケニスが最も適任だった。


「仲良くやれ、なんて改めて言われるまでもないんだろうが……ほどほどにな」

 ケニスはそう言って、花を一輪差し出す。

「幸せにな」

「ありがとう、ケニス」

 祝いの言葉と共に渡されたそれをラティナは受けとり、ティスロウの風習の通りに、脚付きの台の上に載せる。台の上には大きな籠が用意されていて、ケニスの花は、その中の最初の一本となった。

「あんまりラティナを困らせるんじゃないわよ?……おめでとう」

 夫に続いたリタは、いつも通りの口調でデイルに花を渡した。微かな苦笑でデイルは応じたが、返す感謝の言葉は素直なものだった。

「ありがとう」


「ねぇね、おめでと!」

「おめでとー」

 テオとエマが両親を真似てそれに続く。

 それから先は、途切れることなく祝いの言葉を告げる客が二人の前に並んだ。

『虎猫亭』の店内では、到底おさまりきらない人数である。混乱を避ける為、ケニスやリタは、祝いの言葉を述べ終えた参列客に杯を配り、用意した軽食の並ぶ先に誘導していった。店の表や裏庭にテーブルを配し、店の中の人数を制限することは、事前に決めていたことだった。

 ちらちらとそちらを窺うラティナは、本日の主役だというのに裏方である給仕に赴きそうな気配が拭えなかった。


「嬢ちゃん。幸せになれよ」

 目を赤くしてそう言ったジルヴェスターは、見慣れない上等な服を着ていた。普段とは異なる、名士らしい装いである。

 ラティナが、にっこりと幸せそうに微笑んで差し出された花を両手で受け取ると、彼は感極まったように目頭を押さえた。


 常連客たちも口々に言祝ぎを告げ、後ろに並ぶ参列客の為に直ぐに場所を開ける。体力お化けであるデイルはどうでも良いのだが、長引けば長引くほど、本日の主役であるラティナの負担が大きくなる。そんな気配りが徹底されているところに、『親衛隊』の練度の高さが感じられた。


 ラティナの幼友達たちも、参列客の列の中にいた。

 マルセルは、自宅の売り物のパンを祝いの品として、参列客が集うテーブルへと差し入れた。新規顧客獲得への営業活動も行うあたりに、彼の性格が垣間見える。

 久しぶりに会ったアントニーは、領主館で働き始めたという近況と共に、大輪の花を持参した。

 ルドルフは憲兵隊の制服で姿をみせた。

「せっかくの祝いの席だけど、仕事を抜けて来たから」

 そう言って、酒杯は断る。そしてルドルフは、ラティナではなくデイルに、携えていた花を差し出した。

「……お幸せに」

 短い言葉の中に含まれた感情を茶化すような野暮もせず、デイルは、青年の祝いの言葉を静かに微笑んで受け取った。


 列の終わりの方に並んでいたクロエは、ラティナとデイルの後ろの籠の中に既に入りきらなくなっている花の量に、苦笑した。

「本当に凄いね」

「私もちょっとびっくり」

 そう答えて笑う親友を、クロエはまっすぐに見る。

「『これで夢が叶った』なんて、言わないようにね」

 幼い頃からずっと自分のことを心配してくれた親友の言葉に、ラティナの涙腺が緩みそうになる。

 それを察したのか、クロエはラティナの額を、ピンと弾いた。

「痛っ」

「泣いてないで、しゃんとする」

「……うん」

 顔をあげたラティナに、クロエは明るい笑顔を向けた。

「幸せにね、ラティナ」

「うん」

 それに答えるラティナの笑顔も、晴れやかなものだった。


 籠から溢れた花を、花束として抱えるラティナを、デイルは抱き上げて『虎猫亭』の外に出た。ティスロウの結婚式のしきたりで、花嫁は花婿の家に輿入れするまで、大地に足をつけてはならないのである。

 デイルの腕に抱かれたラティナは、少し照れくさいように微笑んでいた。

 店の外では、参列客たちが、各々酒杯を掲げて宴を開始していた。

 本日の主役の登場に、歓声と祝辞が飛び交う中、色とりどりの花びらが舞い上がった。

 客たちによって景気良くまかれていく花びらで飾られた道を、デイルはゆっくりと歩く。

 幼い頃に見て憧れた、花嫁が通る数多の色彩で飾られた道に、ラティナは、必死で涙腺が決壊するのを堪えて笑顔を作る。


 そのまま『虎猫亭』の裏庭に到着すると、そこには二匹の幻獣がいた。

 白金色の鞍を着けたハーゲルには、既に参列客たちからの祝福の証である花籠が載せられていた。

 価値観の異なる(ハーゲル)にとっても、美しく着飾ったラティナの姿には思うところがあるらしく、低く伏せて目を細めていた。

 ラティナをハーゲルの鞍に座らせたデイルは、そのまま自分もと続こうとする。だがそこで飛んできた常連客のおっさんたちからの野次に、少し据わった目を周囲に向けた。

 既にいつも通りの酔っぱらいと化しているおっさんたちは、そんなデイルの反応すら、ゲラゲラと大笑で応じる。


 デイルは、野次の内容を聞き取れず首を傾げているラティナの後ろに軽々と腰を据え、彼女を引き寄せた。

 そして、顔を伏せた。

 おっさんたちを中心とした周囲の客たちから、歓声が上がる。

 ぱちくりとまばたきしたラティナは、暫し遅れて、自分が衆人環視の中、デイルに口付けされたことを理解した。耳まで真っ赤に染め上げる。

 デイルはハーゲルの鞍の上から、どうだとばかりに、周囲を悪びれない様子の顔で見回した。


「デイル……っ」

「ん? もう一回、しとくか?」

 横座りの姿勢でデイルを見上げたラティナは、恥ずかしそうに抗議の声をあげた。だが、デイルのその返答を否定しようとはしなかった。

 少々予想外のラティナの反応に、デイルは少し驚いた顔をしてから、再びラティナに唇を寄せる。

 眸を伏せて、それに応じたラティナは、幼い頃の仕草のように彼の服の裾を握っていた。

 再び大きな歓声が周囲から上がる。


「はーぜろーぉ」

 マイペースな調子でそう言ったヴィントは、翼を広げて宙に舞った。首に提げられた鈴が涼やかな音を奏でる。花嫁の先触れの役目を負ったヴィントが飛び立つのを追って、ハーゲルも翼を広げた。

 憲兵隊の制服を着た者たちが、片手で顔を覆う。街中から幻獣が飛び立つということを、今日は不問にするという意思表示を受けて、ハーゲルも翼を羽ばたかせた。


 周囲の参列客たちが、一斉に花びらを空にまいた。

 それは、ハーゲルとヴィントの風の魔法に乗って、高くあがっていく。まるで空に架かる橋の如く舞い上がった花びらの後を追うように、二匹の幻獣は宙に飛びたった。

「じゃあ……」

「行って来ます!」

 デイルとラティナは、見送る人びとに笑顔で手を振った。皆もそれに各々応じる。

 ハーゲルは、その人びとの上空を一度ぐるりと回り、ティスロウの方向へと進路を向けた。

「行ってらっしゃい、ねぇね」

 一際大きな声を張り上げて、テオが大きく手を振る。参列客たちも、ある者は酒杯を掲げ、ある者は大きく手を振った。


 これからの道行きに幸あれと祈りを籠め、新たな道を行く二人を見送る。


 まるで、虹のような鮮やかな色彩の橋の向こうに、その姿が見えなくなるまで。

 ずっと、ずっと。

次回、エピローグとなります。

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