後日譚。白金の勇者vs妖精姫親衛隊。参
邸宅の扉には、鍵が掛けられていなかった。
罠の類いを疑いつつも、鍵を掛けたところで力づくでこじ開けられるだけだという結論に至ったのだろうと思う。
これだけの邸宅である。
扉を破壊されたら修理代は嵩むし、直すまで入り口が開けっ放しという状態になるのは避けたいところである。
そんな妙に現実的なことを考えながら、デイルは扉を開けた。
外見からも窺えたが、内部もやはり、かなり豪勢な館だった。
成り上がり者の屋敷にありがちな、派手な置物がごちゃごちゃと置かれたような印象はない。
ラーバンド国でも有数の公爵家に出入りが許され、審美眼が鍛えられているデイルにとっても、上等だと判断できる調度品が設えられている。
あんな安酒場で、安酒をあおっているおっさんどもの、関係者の邸宅だとは思えない。
それを言うならデイル自身が、その安酒場の倉庫である屋根裏部屋に居候する身なのだが、彼が自分のことを棚にあげて置くのもいつも通りのことであった。
そんな吹き抜けの玄関ホールには、上の階に行く階段と扉がある。
どちらに進むかと、デイルが立ち止まった時を見計らったように、眼前の扉が開いた。
「ふっふっふっ……」
わざとらしい含み笑いと共に姿を現した相手に、デイルは少々呆気にとられた。
正確な言い方をするならば、呆れた顔をした。
「……お前、こんなところで何してるんだよ」
「ふっふっふっ……」
「わふわふわふ……」
ヴィントに乗り、棒を一本片手に握るのは、デイルの居候先である『虎猫亭』の嫡男息子たるテオドールである。
「そんなもん、振り回しても、お前が俺を止めれる筈が……」
そのデイルの言葉の途中で、テオはぴしっと、手にした棒で頭上を指し示した。
「エマ、危ないーっ」
「わふぅ」
「……は?」
ぽかんとしたデイルを放置して、その一言だけを残してテオはヴィントの背中に乗ったまま、この場を後にした。
ヴィントの機動力は流石のもので、一瞬拍子抜けしたデイルが我に返るよりも先に、テオは姿を消したのである。
「一体、何考えて……」
呟きながらデイルは、テオが指した先に視線を向けて、ぴしりと固まった。ぶらぶらと細い脚が吹き抜けの頭上で揺れている。
そしてテオの出した名を思い出した。
「……っ」
思い出してしまえば、見なかったことには出来なかった。階段をダッシュで登り、ぐるりと回った先、細い脚が揺れるその場へと走る。
「あああああっ……あいつ……っ」
デイルが毒づいたのは、そこには予想通り、テオの妹であるエマの姿があったからであった。ご丁寧に手摺りの向こう側に座らされたエマは、よくわかっていない顔でデイルを見上げた。
ただ、妹に万が一がないようにというのか、エマの身体は何本もの紐で、手摺りにぐるぐると結びつけられている。
放置する訳にもいかず、紐を切ってエマを解放しようと、腰のナイフに手を伸ばしかけたデイルは、『紐』に見覚えがあることに気がついた。
「あいつ……」
再びデイルから毒づいた声が漏れたのは、エマを縛り付けている『紐』が、ラティナの愛用している『飾り紐』であることに気付いたからであった。
切ってしまったとしても、事情を話せば恐らくラティナは、怒ることはない。だが、この中の何れかに『お気に入り』がまじっていたならば、ラティナは酷く落胆することだろう。
そしてデイルは、ラティナにそんな顔をさせることが、基本的に出来ない男なのである。
「あああああっ……」
結果デイルは、テオ作成のめちゃくちゃな結び目と格闘することになったのだった。
そして更にテオの『作戦』が、離脱したことそのものにもあったことをデイルが悟ったのは、エマを束縛から解放して抱き上げた瞬間だった。
テオがいたならば、妹を押し付けることが出来る。
だがこの場には今、デイルしかいない。
幼いエマを知らない場所に放置することは、危険すぎる。そして先ほどのような襲撃を受ける可能性がある以上、エマを連れて進むことは避けたい。
「テオ……後で、泣くまで説教してやる……っ」
「やるぅ?」
そこでデイルが選んだ選択肢は、きょとんとするエマを抱きかかえ、『踊る虎猫亭』へと、全力疾走で戻ることであった。
テオは自らに出来る手段を用いて、『最凶の勇者』相手に、時間稼ぎをするという役割を見事に果たしたのである。
デイルが結び目と格闘している間に、表で倒れ伏していた面々の撤収作業は終了していたようであった。
エマをケニスに預け、再び戻って来たデイルの前に、襲撃者がもう一度襲ってくるということはなかった。
少々気のたっているデイルにより、先ほどのような手加減のない、情け容赦のない八つ当たりじみた反撃を食らうところであるからして、撤収という判断は正しいものであった。
扉をいささか乱暴に開け放つ。
ずかずかと足音荒く邸宅の内部に入ったデイルを出迎えるように、先ほどテオが姿を見せた扉が開いた。
「ずいぶん苛立ってるようだな」
「よし。もうこの悪ふざけも、打ち止めってことだな」
ニヤニヤと笑いながらデイルに声を掛けたのは、ジルヴェスターだった。デイルは、この馬鹿騒ぎの元締めである彼の姿を認めると、吹っ切れたような笑顔で指を鳴らす。
「礼に、一、二発はぶん殴らせて貰うぞ?」
「年寄りは敬うもんだろう」
「それは、敬いたくなる年寄りが言うべき台詞だぞ?」
物騒なことを言うデイルを前にしても、ジルヴェスターのニヤニヤ笑いはおさまらなかった。
一歩デイルが踏み込もうとする前に、ジルヴェスターは宣言する。
「それに、『俺たち』の勝利条件は満たしたからな」
「何を言っ……」
問いかけようとしたデイルは、ジルヴェスターの声を合図に、更に奥の扉が開いたのを見て--
--その場に崩れ落ちた。
ジルヴェスターはますますニヤニヤと笑っていた。
「え……ええと……、デイル? お帰りなさいって言うのも変だけど、お帰りなさい」
「………………っ」
「大丈夫?」
「………………っ」
「デイル?」
崩れ落ちたデイルの姿に、ラティナは慌てたような声を出した。ティスロウへとデイルが向かったことを人伝に聞いていたラティナは、それ故「お帰りなさい」を告げたのである。この状況でのその彼女の発言も、相変わらずの天然さを秘めていた。
ただ、今のデイルは彼女に返事をする余裕がなかった。
予想もしていなかったところへの、完全な不意討ち。
その攻撃力は計り知れないものがある。
「これでまだ、仮縫いも仮縫いなんだぞ……完成した奴着た嬢ちゃんの姿……見てえよなあ?」
ニヤニヤ笑いもまた凶相であるが故に、甘言を囁く悪魔の如き様相を呈しているジルヴェスターが、動けないデイルの背中に声を掛ける。
「見てえよなあ? 仕上げは、ちゃあんと、お前の好みに合わせられるように、打ち合わせ済みなんだぞ?」
全てが、決定済みではないことを匂わせる。
「ほおら、ちゃあんと、見てやれよ」
「……ちょ……っ、無理、今、ちょっと、無理だって!」
ジルヴェスターはそう言いながら、耳まで真っ赤に染めたデイルの肩を引く。
抵抗する力を失い、されるがままとなったデイルの前に、心配そうな顔をしたラティナの顔があった。
「……っ!」
思わず、彼女の姿に反射的に息を呑む。
ラティナは、純白のドレスを纏っていた。
貴族の間で最近の流行りだという、その純白の衣装が何であるのか、デイルも知らない訳ではない。
故郷の風習の通りに、伝統的なティスロウの花嫁衣装を纏うラティナの姿を楽しみにしていたのとは、全く別の衝撃があった。
きらきらと輝く白金色の髪と共に、上質の艶のあるドレスの布地も、柔らかな光を含んでいる。仮縫いという言葉の通りに、装飾らしい装飾がまるで無い、シンプルなドレスである。
だが、全身に光を纏ったかの如きラティナの姿は、それだけでも充分に美しく、神々しさすら感じるものだった。
見慣れている筈の彼女が、全く別の印象で目にうつる。
そして何よりも、この彼女の姿は、自分の花嫁としての姿なのだ。
美しいだとか、綺麗だとか--そんなありふれた賛辞すら、全く心構えのなかった今のデイルは、発することが出来なかった。
純白の特別な衣装を纏うラティナの姿には、普段あれだけ可愛いを連呼しているデイルすら、そうさせてしまう物凄い威力があるのであった。
そしてこれこそ、ジルヴェスターたち『妖精姫を見守る会』の目的である。
デイル相手に『説得』をするのに、万の言葉を尽くすよりも、純白の衣装のラティナを見せれば一発であることを彼らは重々承知していた。10年近くそんなデイルを見ていれば、推論の必要もない。
他にやりようはいくらでもあったが、大掛かりな『馬鹿騒ぎ』ほど、大真面目にやればやるほどお祭り騒ぎとなるものである。結婚祝いに丁度良い。
故郷に戻って以降、何か思うことがあるのか、時折思い詰めた顔をする様子になるラティナ。ラティナが突然行方不明になって以降、戻って来た今でも、彼女と引き離されることを酷く恐れるデイル。
二人が不安定になる理由もわからなくはない。
だが結婚という新郎新婦の二人が主役であるこの時くらいは、誰が何と言おうと、そんな不安も忘れて楽しんで貰わねばならない。
おっさんというのは、基本的にお節介なものなのである。
二人の日頃のいちゃつき具合に思うこともない訳でもなかった面々に、発散の機会を与える為にデイルを襲撃してみたのは、もののついでである。
仮縫いとはいえ、ドレスを誂える時間。
そして、デイルがこの場に来るまでに、仕立てたドレスにラティナを着替えさせる時間。
『妖精姫を見守る会』の勝利条件とは、この二種の時間を稼ぐことにあったのだった。
そして羞恥よりも、人生最大級の照れくささで全てがうやむやになりかけたデイルの姿が、おっさんどもの予想が、当たっていたことを証明していたのである。




