後日譚。白金の娘と親友と。弐
結婚式とはいえ、一般庶民は、ウェディングドレスを纏うような豪勢な式をあげることはない。生涯に一度しか袖を通さないような非実用的な衣装を誂えることは、貴族や金持ちだけに許された特権なのである。
普段よりも良い服--つまりは、ハレの衣服--で、大地と豊穣を司ることから転じて結婚の神でもある『橙の神』の神殿で儀式を執り行うことになる。クロイツは市民登録にも比較的厳しい街であるため、同時に領主館に提出する書類もそこで作成するのが、慣例となっていた。
その後、結婚して夫婦となったことを周知する意味も込めて、近隣の人びとも招いて宴を開くことも多い。
クロエは、それでも仕立て職人としての矜持もあってか、結婚式用に新しい服を仕立てていた。
「憲兵隊には制服もあるから、私のぶんだけ用意すれば良いのは助かるかな」
そう言ったクロエは、忙しそうに針を動かしている。
ラティナはそれを聞きながら、クロエの仕立てる服を確認し、首を傾げた。
「ここに……ちょっと大きなアクセサリーとかあると、映えると思うんだけど……」
「さすがに、そこまでの予算は無いよ」
「うん。……クロエのお祝いに私が贈るっていうにも、高価過ぎちゃうから」
「まあ、さすがにそこまでしたら、怒ることになるかな……」
一般的な金銭感覚の持ち主として、予想通りの反応をした親友を見ながら、ラティナは人差し指を悩むように揺らした。
「でもね、借りる当てならあるの。そういうのはどうかな?」
「……興味はあるけど……もしものことがあったら、怖いんだけど……」
「必要な時以外は、私が管理するよ」
そんな提案をされたら、クロエの心も動く。
自分の懐具合では決して手を出せない高価な宝飾品というものには、やはり興味はあるのだった。
「何色の宝石が良いかな……ワンピースの色と似た感じかな……」
「でも、折角なら、反対色にして映えるようにしても……」
縫いかけの衣装を前にして、そんなやり取りをするのも、非常に楽しい時間だった。
ラティナの親友であるクロエとは、デイルも面識がある。
親友の式に参列する時は何を着ていこうかと、屋根裏部屋で自分の衣装箱をかき回しているラティナから、デイルは話を聞いたのだった。
「クロエの服とは、違う色が良いし……こっちは季節が合わないし……」
「ラティナなら、何を着ても可愛いからなぁ」
それでも、式そのものよりも、やはりデイルの興味自体は、ラティナの方に向いているのだった。
いつも通りである。
「髪はどうしようかな……新しい髪飾り買っちゃおうかな……」
「俺が何か買ってやろうか?」
「デイルが張り切り過ぎちゃうと……夜会のパーティーで使うようなの、選びそう……」
「安物買うより、品質が良い奴、買うべきだろ?」
「着けて行く場所がなくなっちゃうよ……」
首を傾げるデイルは、故郷が、ラーバンド国でも屈指の宝飾品の加工業を請け負う地区であることもあり、価値観が少し一般のものとはずれていた。彼が『通常』宝飾品 を見る機会が、社交界だというのも、常識がずれる一因である。
「それにしても、あの子が結婚か……」
同じ年齢のラティナを婚約者にしていることは置いておいて、やはり幼い頃から知る者のそういった話には、感慨深いものがある。
「俺が、式、執り行おうか?」
「ふぇ?」
デイルの発言に、ラティナは素で不思議そうな反応をした。
大変、複雑になる反応である。
「デイル? なんで?」
「何でって……結婚式やんのは、『橙の神』の神殿だろ」
「うん」
「とはいっても、一般庶民の儀式を請け負うのは、フツーの神官になるだろ」
「普通でも、充分ありがたいことだよね?」
「まぁ、それはそうだけどさ。……俺、上位の神官位持ってるからさ。折角なら権威のある神官の方が、目出度い気がしねぇか?」
「ふぇ?」
再び口癖が出ているということは、ラティナにとっては、意識外の反応だということだった。反射的に出ている疑問符なのである。
「……俺、『青の神』の加護もあるが……『橙の神』の方は、祭祀を執り行えるくらいには、神官としての修行を積んでるぞ」
「……デイルって、よくわかんないくらい、色々出来るよね……」
天才肌で覚えの良すぎるラティナに言われるのは、なかなか微妙な気分になるところであった。
「うーん……クロエに今度、聞いてみる」
「そうか」
因みに、デイルの申し出を、クロエは断った。
『白金の勇者』という大物に結婚式を執り行われ、必要以上の注視を集めることを辞退したのである。
その彼の前で儀式を執り行う担当神官が、緊張の極致に追いやられることは、別の話である。
少し雲が出ていたが、天気が悪いという程ではない。クロエの結婚式の日は、そんな日となった。
ラティナが以前参加したティスロウでの結婚式と、クロイツで行われるものは、少し儀式の方法が異なる。
「ラーバンド国全域では、こっちの方が一般的だな。他国も似たようなもんだけど、やっぱり地方によって違いもある。ウチは、それでもやっぱり独特なんだけどなぁ」
「そうなんだ」
ラティナと連れ立って歩くデイルは、社交界に出る時の礼装ではなく、あくまでも普段の余所行きの服を身に付けていた。
ラティナは悩みに悩んだ結果、お気に入りのワンピースを今日の服に選んだ。彼女の好みらしい甘めのデザインのそれに決めたのは、本日の主役であるクロエの服の系統とは、異なるものにするためだった。
アクセサリーは、髪を留める金細工とデイルとの婚約の腕輪だけである。それでも、大切な親友の幸せを願い心を浮き立たせている彼女は、常以上に愛らしく見えた。
ラティナの楽しそうな様子に、付き従う忠実なわんこの尾も大きく揺れている。
「花嫁よりも、ラティナの方が主役になっちまうなぁ」
「前もそれ言ってたけど……今日は、本当にダメ」
本日の主役が親友だからこそ、ラティナは珍しくデイル相手に、本気の駄目出しをした。
ラティナが持参した宝飾品の入った箱を開けたクロエは、とりあえず絶句した。
「うわ……やっぱり、これ、万が一盗難にあったりしたら怖いんだけど……」
「そこはね、ちょっと小細工したら、大丈夫だよ」
煌めく大粒の宝石は、庶民の稼ぎではまず手にすることの出来ない高価なものである。
だからこそクロエの反応も、もっともだと、ラティナは、自分の髪を一本抜いた。
「あんまり気分が良いものじゃないかもしれないけど……私の髪をこうして絡ませておくでしょ」
とはいえラティナの髪は色素の薄さもあって、一本位巻き付けても、それと知らなければ、気付かれることすらなさそうだった。
「うん。それで?」
「こうして置けば数日位の間なら、クロイツの中だったら、これが何処にあるか見付けられるって」
「……」
「……」
ラティナの発言に、クロエだけでなく、隣で話を聞いていたデイルも微妙な顔をした。
出来心で盗った者には、幻獣による追跡と襲撃を受けることが確定しているようであった。
友人の結婚式にも、いつも通りわんこを伴っているなとは思っていたが、高価な宝飾品の専門の護衛であったのだった。
「……まあ、お目出度い席で、そんな不届き者は出ないよね……」
「まぁ、そうだろ」
「そうだね。心配しなくても大丈夫だよ」
クロエとデイルの発言は、若干の現実逃避であったのだが、ラティナはそれに気付かぬようにおっとりと微笑んでいたのだった。




