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後日譚。わんことわんことわんこ。参

 もふもふわんこの突然の訪れに喜びの表情を向けたのは、ラティナだけではなかった。

「きゃーっ」

『虎猫亭』の看板娘(小)であるエマもまた、生きたぬいぐるみの如きもふもふ毛玉に満面の笑みを浮かべた。

 仔犬たちも、エマが自分たちに好意的な感情を抱いていることを理解し、尾を振りながら甘え声を出す。


 ヴィントは、テオと遊ぶことが多い。

 幼い頃から幻獣を遊び相手にしたテオの基本的な運動能力は高く、追いかけっこをしても、到底、幼いエマが交ざることが出来ない次元になっている。

 しかも、ラティナが行方不明になっていた期間は、エマが物心つく前の赤ん坊の頃からで、ヴィントはヴァスィリオとクロイツを頻繁に行き来していた。ヴィントが『虎猫亭』にいる時間は限られていた。エマがヴィントと過ごす時間はどうしても限られてしまっていたのである。

 エマは、生まれた時から天翔狼(わんこ)と接して暮らしているという『常識』を持っているが、ヴィントは兄に独占されている『飼い犬』でもあったのだ。


 最近『虎猫亭』に戻って来たラティナに対して、エマはまだ少し人見知りをしている。

 赤ん坊の頃は一緒にいたと言われても、記憶にない以上は、つい先日会ったばかりの他人である。兄であるテオにとって、ラティナは『大好きなお姉ちゃん』であるために、彼女が戻って以降、当たり前のように弟然として甘えた様子を見せている。それもエマにとっては驚きなのであった。

 美人で優しい『お姉ちゃん』が、気になっているのもエマの本心なのである。だが、なかなか距離の縮め方がわからないのであった。


 そこに、もふもふ毛玉ズが現れた。

 エマにも人懐っこい様子で尾を振っている仔犬たちだが、やはり一番懐いているのは、ラティナである。仔犬たちと遊びたいのであれば、ラティナの元に行く必要が出てくるのである。

 そして子ども好きで面倒見の良いラティナは、近くに来てくれさえすれば、エマを構ってくれることを理解することになる。

 そうすると、ラティナにべったりのデイルにも近づくことになる。

 デイルも元々子ども好きであり、面倒を見るのを苦にしていない質をしている。エマが近くにいれば、ラティナの次に意識を向ける程度の気の張り方をする。


 エマを溺愛している父親(ケニス)も、デイルが愛娘に悪さをすることは決してないことを理解している。愛娘が成長した後だとしても、ラティナ(うちの嫁)最上のデイルは、決して手を出すことはない。安心安全の相手なのである。

 現在の段階でそんな心配を始めるあたり、ケニスもデイルの『親バカ』ぶりをどうこう言えない状況になっていた。


 ラティナが古い布切れを丸めて作った即興のボールを、『虎猫亭』の裏庭でぽいと投げる。転がるように毛玉たちは駆けていき、灰色の牡の仔犬が一足先にボールへと到達する。くわえる前にじゃれついてしまったところに灰色の牝と黒い牡が追い付いてきて、取っ組み合いのボールの取り合いになった。

 ちょっとした隙をうまくついて、黒い仔犬がボールを捕らえることに成功し、一目散にラティナの元に運んでくる。

 ぼとっ。と、素直に彼女の前にボールを置いて、如何にも誉めてという顔でラティナを見る。

 ラティナは、仔犬たちをうにうにと撫で回しながら、きらきらした目で見てくるエマにボールを渡した。


 エマの全力投球は、ほんの数歩先の距離でぼとんと落ちる結果となったが、仔犬たちは、爛々とした目で再び飛びかかっていった。

 仔犬たちの様子に、きゃっきゃっと笑うエマに、ラティナも優しい笑顔を向ける。

 やがてボールを投げる前に、仔犬たちがエマからボールを奪おうと追いかけ始める。エマもボールを持ったまま走り出し、幼児と仔犬たちは、一塊になってじゃれあうのだった。


 そして、ある種のお約束通り、幼児は見事にスッ転んだのである。


 転んだエマは、まず、何が起こったのかわからないという顔をした。

 痛いというよりも、驚いたという顔になっていたエマが、みるみる泣き出しそうになったのは、土に汚れて擦りむいた自分の膝を見た時だった。

 エマにとっては、痛みに気付いて泣くことが遅くなっただけだったのだが、ラティナは早足でエマの傍に来ると、彼女をぎゅっと抱き締めて誉め言葉を贈った。

「泣かなかったんだね、エマ。偉いねえ」

 ラティナの優しい声に、エマは泣きそうだった自分を、我慢することが出来た。ラティナはエマのその頑張りにも気付いて、さらに偉いと頭を撫でる。

 ラティナは、エマのスカートの汚れを慣れた手つきで払うと、彼女の膝を厨房の裏手の水場で清めた。傷の具合を確認して、常備してある傷薬を薄く塗る。


 回復魔法の使い手であるラティナが、エマの怪我を魔法で癒さないことにも理由がある。

 酷いものや、急を要するものなど、命に関わるものであれば使用を躊躇うことはないが、幼いエマが、『怪我』というものは『簡単に治る』という意識を持つことが、大変危険であるからだった。

 毎日跳ね回り、傷だらけになるテオにハラハラしていたラティナも、それでも逞しくテオが育つのを見て以降、過保護にすることが、大切な『弟妹』分の為にはならないことを理解していた。

 その経験があるからこそ、ラティナもエマに対して、落ち着いて対処出来ているのだった。


 その間も毛玉たちは、ラティナやエマの回りを忙しなく走り回り、やがて自分たちにも構って欲しいと、尾を振りながらラティナの足元にまとわりつく。

 愛らしいそんな仔犬の姿を見ても、今のラティナは現在進行形で『頑張っている』エマの方を優先する。

 そのこともわかったエマは、今までうまく甘えることのできなかった『お姉ちゃん』に、甘えてみることにした。

「おねちゃ」

 だが、言い慣れない言葉に恥ずかしくなって、エマは、ラティナにぎゅっと抱き着いてみたのだった。


 そんな一連の様子も、デイルは厨房から続く扉の前にどっかりと座り、見ていたりするのであった。

 ラティナが構ってくれないなら仕方ないと、灰色の牡の仔犬は、デイルに撫でるが良かろうという顔で、ふわふわ毛皮のアピールをしている。

 それを抱き上げて、腹のあたりを触る。嫌がって牙をたてられても、デイルは全く意に解さなかった。

(ラティナは本当に、良い母親になりそうだなぁ)

 その間に思い浮かべる彼の独白は、緩みきった表情も合わせて、他人様にお見せ出来るものではない残念具合を醸し出していた。


 その後、毛玉たちの帰宅は、一月にもならない間に果たされることになった。


 ティスロウに隣接している天翔狼の里から、数体の天翔狼たちが飛来したのである。

『虎猫亭』の常連客以外の冒険者や、領主館にも幻獣が襲来したニュースは広がってしまい、憲兵隊の上層部は公になった大問題に、連日の残業が確定したことを悟り、目眩を覚えた。

「マミィのニオイきちゃった」

 という、てへぺろ顔のヴィントの台詞により、天翔狼が予想通り、ヴィントの身内であることが確定する。

 結局『虎猫亭』常連客による緊急対策本部は、討伐隊が編成されることや、欲にかられた冒険者が突撃を果たす前に、ヴィントと共にデイルを、クロイツの外に秘密裏に放り出したのであった。

 真相を闇に葬ったまま、事態を即急におさめる為である。

 ラティナが同行しないのは、彼女に魅了された天翔狼が、これ以上クロイツに居着くことを恐れた為に他ならなかった。


 ヴィントの母狼と、デイルは面識がある。

 以前ハーゲルの助力を願って、天翔狼の里を訪れた時に会話も交わしたのだが、ハーゲルやヴィントほどには、流暢に人語を操ることはできない漆黒の毛並みの個体であった。

 向こうもデイルのことを覚えていたらしい。街から離れた場所に誘導するデイルに従い地上に降りる。ハーゲルよりも細身の身体は、音ひとつたてずにしなやかな動きで地上に降りた。

「マミィ」

 ぱたぱたと尾を振るヴィントとデイルのことを、茶褐色の眸で見た彼女は、高い女性らしさを感じる声を発した。


「ほんとうにいつもうちのこ、ごめいわくおかけしています」


 デイルにとっては相変わらずなのだが、『彼女』は、その一言に限り、かなり言い慣れているのである。

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