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前日譚。玖、橙の神の豊穣祭にて。(前)

 それは、ある種の予感だったのかもしれなかった。


 すくすくと健やかに育つ、愛する娘たち。相変わらず二人の外見は、黄金と灰の眸の色以外はそっくりだった。だが、毎日二人を見ているスマラグディには、二人の性格の違いが日に日にはっきりと見分けられるようになっていた。

 娘たちに負けず劣らず甘えん坊のモヴと共に、箱庭のような狭い世界でひっそりと暮らすこの生活は、確かに不自由さは多くあった。神殿の奥しか知らない娘たちに、広い世界を見せてやりたいと願う思いもある。

 それでもこのままずっと、こうやって穏やかに過ごしていたいと、願ってしまう程度には、幸福な毎日だった。


「……『橙の神(コルモゼイ)』の豊穣祭の時期か。もうそんな季節になるんだね……」

 娘たちやモヴと異なり、スマラグディは時折街中に出ることができる状況にあった。

 久しぶりに歩く街並みは、『橙の神(コルモゼイ)』への感謝と得られた収穫を祝う祭りの準備が行われていた。

 厳しい環境下にあるヴァスィリオは、得られる収穫も限られている。民草は、『紫の神(バナフセギ)』への信仰をあつく持ちながらも、大地と豊穣を司る『橙の神(コルモゼイ)』の祭事を疎かにすることはなかった。


 そんな街中の光景を見て、ふと、思った。


(フリソスとプラティナにも……見せてあげたいな)

 それと同時に、その時にはモヴが隣にいるのも当然だと夢想する。

 普段の街の様子も知らない母子だが、一際賑やかに華やぐ祭りの光景に、同じように表情を輝かせるに違いない。

 スマラグディも、彼女たちの抱える事情が、そんな当たり前の母子のように羽を伸ばすことが許されていないとは理解している。


 だからスマラグディが、本当に何気なくこぼしたそんな願いを聞いたモヴは、きょとんとした顔をした。


「ただの雑談として流してくれれば良いよ。なんとなく聞いて欲しかっただけだからね」

 微笑むスマラグディをじっと見て、モヴは、娘たちの癖と同じような角度で首を傾けた。

「スマラグディが何の理由もなしに、思いつきだと、語る筈なんてない」

 言い切られて、スマラグディも苦笑する。だがモヴは真剣な顔つきだった。

「何かあったのか?」

「モヴにはわかってしまうんだね」

 考えてみれば、モヴと共に過ごした時間は、彼の長い生の間でも、決して短いとは言いきれないものになってきている。単純な時間の長さだけではなく、濃密で幸福に満ちた時間だった。

 だから自分は、こんなことを考えてしまったのだろう。

「ぼくは、いつかあの娘たちと離れることになる。……それがいつのことかはわからないけれど……それまでに、あの娘たちに思い出を残しておきたいと思ってね。決して辛く苦しい記憶だけではなかったのだと、思えるように」


 自分は、いつか娘たちの為にこの命を使う。

 それはずっと前から覚悟をしていることだった。

 そして愛らしい娘たちが、自分にとってかけがえのない存在となるにつれ、その事に疑問を抱く余地はなくなっていた。モヴの予言がなかったとしても、父親として自分はこの娘たちを守るに決まっているのだ。

 だが、もしもその時が来た際に、娘たちが自分の死に心を痛め傷ついたとしても--それを越える記憶を残しておきたい。幸せだったのだと、確かに言えるものを残しておきたい。そんなことを願ってしまった。


 こんな感傷は、自己満足に過ぎない。

 娘たちとモヴの安全や価値を考えたならば、実現する筈がない。

 スマラグディはそのこともわかっていた。

 それでも思いの内を誰かに聞いて欲しいと、モヴに思いつきとして打ち明けたのだ。


 スマラグディが失念していたとするならば、モヴが妙なところで強力な行動力を発揮する天然さんであるということだけだった。


 彼女はまず、何処からともなく、二人ぶんの子ども用の外套を手に入れた。フードつきのそれは、角の部分が被る時の邪魔にならないように、猫耳の如く膨らんでいる。

 そして自分の長い紫の髪を、染料で染めた。

 焦げ茶色の髪となったモヴの姿に、スマラグディはとりあえず絶句した。『紫の神(バナフセギ)』の色という貴色を台無しにした『姫巫女』のこんな姿を、神官の誰かが見たら卒倒しかねない。

「まだらとなってしまったが、この上から被り物をかぶり、暗がりならば気付かれることはない」

 スマラグディの心痛も知ったことではないと、なんだか当の本人は、自信満々で胸を張っていた。

「えーと……モヴ?」

「スマラグディが駄目だと言うのであれば、私があの二人を連れて外に出るぞ」

「どんな脅しの仕方なんだい?」

「私の加護(ちから)を使えば、スマラグディにすら気付ずに、ことをなすことも可能であるからな」


 いそいそとベールを頭に被り、モヴはスマラグディを見た。暑く乾いたこの土地では、女性が、ベールを日除けの為に被ることも多い。黄金色の眸と同じく輝く角も暗い色の紗の陰となり、一見しだけでは、彼女が貴色を有する『姫巫女』だとはわからないだろう。

 娘たちのことを深く思っていることは確かだろう。だが、彼女の表情にはそれだけではない感情の高ぶりが見えて、スマラグディは小言を言いかけた口を閉じた。

 神殿の奥に秘匿されて、外の世界を知らないのは、娘たちだけではない。

 彼女自身も、外の世界に興味を抱いていて不思議はないのだ。

「君と、リッソやラティナに危険はないのかな」

「……危険度の上がる『可能性』はある。だからこそ、その『可能性』を下げる選択をしている。私の髪の色もその一つ」

 モヴはそう答えて、子ども用の外套を掲げてみせる。

「角を出す形のフードではなく、隠す形を選んだのもそうだ」

 丸耳(くまみみ)ではなく、三角耳(ねこみみ)なのも、大いなる選択肢を取捨択一した結果なのであった。

 決して可愛いらしいからではないのである。


「なあに?」

「なにー?」

 だが、見慣れぬ外套を着せかけられ、フードを被せられたプラティナとフリソスの二人は、スマラグディが予想していた以上に愛らしい姿だったのも事実である。


 モヴは自信に満ちた様子ですたすたと先を歩く。スマラグディは両の腕で娘たちの手を引きその後に続いた。日頃の生活では、決して出ることの許されていない神殿の奥側を隔てる扉をくぐる。聡い娘たちは、二人で顔を見合せて、唇をきゅっと一本に引き結んだ。

 モヴは時に立ち止まり、時に遠回りをして、広い神殿の中を歩んで行く。その間大勢いるはずの神官と誰一人すれ違うことがない。

 神託に全てを委ねて、己で考えることを放棄しているかのような神殿のやり方を嫌悪する向きのあるスマラグディが、それでも神の予知(ことば)に畏れを抱くのはこういった時だった。

 モヴの黄金色の眸には、全てを見通すちからがある。それをどうしようもなく、意識させられるのだ。


 広大な神殿の敷地をするりと抜け出したモヴの後ろを、娘たちを連れたスマラグディが続く。

 神殿の外側を警護する門番は、貴色を隠した姫巫女(モヴ)をその人だと気付くことはない。存在すら上層部の一部にしか知られていない双子のことは尚のことである。神殿に参詣する大勢の人に紛れて街へと出る。

 そうして出た先は、華やかに彩られた街が広がっていた。

 夕焼けに空が、茜色から薄紫へと移るグラデーションを描いている。

 当たり前の景色であるのに、神殿の奥の壁に囲まれた空しか知らない娘たちは、同じように口を開けて見上げたまま動きを止めた。それだけで、外に連れ出した価値はあると思えた。

 モヴはくるりと、悪戯っぽい仕草でスマラグディの方を振り返って、微笑んだ。

 言葉にしなくても彼女の表情は、実行に移して良かっただろうという得意げなもので、スマラグディは微かに困ったものを含めながらも、共犯者の笑みを浮かべたのだった。

角っ娘のかぶるフードが、耳付きになるのは形状的に理に適っていると思うのであります。

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