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前日譚。伍、黄金と白金の娘たち。

「ラグー」

「ラグー、おはなち、ちてー」

「おはなち、ちてー」


 てとてとと、歩き出した娘たちが、舌足らずにお喋りをしはじめるようになると、可愛さの威力は半端なかった。

「お話かい?」

「おはなちー」

「ちー」

 並んで声を揃えるプラティナとフリソスは、いつも手をつないでいる。そっくりの仕草で、父親であるスマラグディを見上げていた。

 幼いこの子たちは、まだ自分たちが別個の存在であるという、はっきりとした自覚すらないのだろうと思いつつ、スマラグディは娘たちの愛らしさに目を細める。

「じゃあ今日は、遠い国の英雄の物語をしようかな」

「ちゅるー」

「ラグー、だっこー」

 椅子に腰掛けたスマラグディの膝によじ登りつつ、プラティナは抱っこをねだる。灰色の眸の娘は、どうやら母親と同様、ずいぶんと甘えん坊のようだった。

「リッソも、リッソもー」

「慌てないでリッソ。そうだね、ラティナだけはずるいものね」

 ぱしぱしと、スマラグディが腰掛ける椅子を叩きながら自己主張する金色の眸の娘に、苦笑しながら彼は、娘を二人とも自らの膝の上にのせた。

「君たちがもう少し大きくなったら、二人一緒に抱っこをするのは難しくなるかもしれないね」

「やぁー」

「いっちょなのー」

「そうか。じゃあぼくは、頑張らなくちゃいけないかな」

 娘たちの抗議の声に、真面目な顔で頷きながら、スマラグディは過去に起こった歴史の一幕を、記憶の中から掘り起こし、幼子向けの寓話のように噛み砕いて語り出した。

 娘たちは、難しいことなど考えずに、にこにこと彼の語る物語に聞き入っている。柔らかで穏やかなスマラグディの声は、聞いているだけで心地好い響きを持っているのだった。


「導師」

「おや、久しぶりだねアスピダ」

 物語が丁度ひと区切りする頃を見計らったかのように、教え子が居室を訪れた。彼は数少ない、スマラグディ父娘の存在を知る者だった。

「……すっかり、子育てが板についてらっしゃるようで……」

 元々器用に何でもこなすひとだとは思っていたが、という顔でアスピダは苦笑した。魔人族の男性が子育てに関わることは、基本的にはほとんど無い。

「自分の子が、こんなに可愛いものだとは思っていなかったよ」

「よー?」

 スマラグディの語尾をフリソスが真似れば、それにプラティナは楽しそうに声をあげて笑う。じゃれあう二匹の仔猫のような娘たちの姿に、スマラグディはいかにも幸福そうな表情のまま、二人を床におろした。

「ラグ?」

「ん?」

「ぼくは少し難しいお話をするからね。二人はちょっと遊んでおいで」

 首を傾げたプラティナも、フリソスに手を引かれて歩き出せば、疑問はすぐに忘れてしまったようだった。

 神殿の奥の限られた世界。

 その中でも、数少ない外の光を感じることの出来る中庭へと、とてとてと幼い姉妹は歩いて行く。そこは二人のお気に入りの遊び場だった。


 そんな二人を見ていたアスピダが、ぽつりと呟いた。

「……やはり姫巫女に似てらっしゃいますかね」

 二人の母親であるモヴは、元々整った顔立ちではあったが、成長して大人になって以降は、そこに落ち着きを備えた立ち振舞いが加わり、美しさに磨きを掛けていた。神殿という俗世間と隔たれた浮世離れした雰囲気も、彼女の神秘的な印象を強めている。

 スマラグディに言わせれば、それも世間知らずの天然娘となってしまうのだが、モヴが美しいことは彼も認めることだった。


 二人の姉妹はそっくりの顔立ちで、母親の印象を受け継いでいる。父親であるスマラグディの顔立ちは、どちらかといえば平凡なものだが、その彼の遺伝も、良い方向で娘たちに受け継がれたらしい。近寄り難い雰囲気のあるモヴの美貌に対して、二人の娘たちには、人懐こい他者を惹き付ける愛らしさが加わっていた。

 スマラグディの親バカぶりを差し引いても、二人の姉妹はとても可愛いらしい子どもたちだった。

「いくらあの子たちが愛らしいからとはいえ、契ることは許さないよ」

「いくら何でも、まだ幼すぎるでしょう」

 と、答えたアスピダであったが、スマラグディが笑顔の奥に、なんだか底冷えをするような威圧感を隠しているかのような、錯覚を感じた。

 ぶるり、と背中に走った寒気に震える。

 成長した後でも、うちの娘は誰にもやらんという父親の放つ殺気を、子を持たないアスピダは理解していなかった。


「何かあったのかい?」

「実は……」

 それでも穏やかに促したスマラグディの様子に気を取り直して、アスピダは最近の神殿の様子を語る。

 モヴが、最高位の神官の役に就いたとはいえ、彼女は未だ年若い。

 それを理由に彼女を軽んじるような、言わば老害と言っても良い、歳を経ただけ思考も凝り固まった輩への対処というのは、それを補佐するアスピダたちを含めた若い人員たちには、荷が重いのだった。

 口が固く、モヴにとっても『他人』ではないスマラグディは、そんな若者たちの相談役を担うようになっていた。


 かつてモヴに手を出そうとした男性たちを排除したように、彼は着々と、モヴの確固たる地位の足固めをしていたのである。


 スマラグディ当人に言わせれば、伊達に歳をとってはいないということになるのだが、そんな彼の容赦のないやり口に、教え子たちは、師への尊敬の念を新たにしていくのだった。


「ラグー」

「ん? どうしたんだい?」

 ぽてぽてと、手をつないだまま走り寄って来たフリソスとプラティナは、空いた方の手にそれぞれ小さな花を握っていた。

 満面の笑みでプラティナがそれをスマラグディに差し出す。

「おはなー」

「あげゆ」

「くれるのかい? ありがとう、きれいだね」

 膝を折って受け取ったスマラグディの様子に、二人はにっこりと笑顔を交わし合う。

「フリソスのお花はどうするのかな?」

「モヴのー」

「あげゆの」

「そうかい。それはモヴも喜ぶよ。枯れないようにお水にいれておこうか?」

「うん」

「おみずー」

 大好きな父親に褒められて、更に嬉しそうになった娘たちを見ていると、スマラグディの笑顔も更に幸福そうなものとなる。


「命を育む源にして万物の母たる水よ」

 すらすらと長い詠唱を紡ぐスマラグディの姿を、娘たちはじっと見上げていた。

 本来、詠唱が長くなるごとに、魔法は威力を強めていく。それと同時に、制御の難易度と消費する魔力も大きな負担になっていくものだった。

 スマラグディが元々持つ魔力は、それほど大きなものではない。強力な魔法を使えば、魔力切れを起こして昏倒しても、おかしくは無かった。

 だが彼は、指先の一点に魔力を集め、効果範囲を最小に限ることで、それを可能にしていた。それは、魔法制御をより難しいものにしているということでもあるのだが、彼はいともたやすく行ってみせるのだった。

『《癒水》』

 浅い小皿の中に、魔法で喚んだ水が満たされる。

 スマラグディは、娘から受け取った小さな花を、そっとそこに入れた。

 幼子に握り締められて萎びれかけていた花が、生彩を取り戻す。

 父親の様子を真似て、フリソスが自分の握る花もそこに入れると、スマラグディは良くできましたとばかりに、フリソスの頭を撫でた。


 アスピダだけが、師の卓越した技量の魔法に、嘆息する。

 本来ならば、顕現した後、魔術現象として消える筈の癒しの効果が籠められた『水』を、呪文の一部を書き換えたことで定着させていることも、並の術者には出来ることではない。

  幼い娘たちは、父親が容易く行う『魔法』を、きらきらした好奇心に満ちた目で見ているが、それが世間一般では『あり得ないこと』だとは微塵も思ってはいないようだった。


 母親である姫巫女も、強大な魔力を生まれ持ち、スマラグディの薫陶を受けた才女である。

 世の基準にはならない。


 そういえば、師が娘たちに語っていたのは、実際に起こった過去の『寓話』であった。幼子向けの喩え話に似せていても、それは名君の治世についてであったり、暗愚だった王の混迷した世情であったりするのである。アスピダたち神殿で政治に関わる者が、勉強会の際、検討する題材と、内容だけならば大差がない。

(導師と姫巫女のお子とは……『王』となるという以前に、どのように育つのであろうか……)


 娘たちに再び抱っこをねだられて、相好を崩している師の姿を見ながら、アスピダは再びため息をついたのであった。


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