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前日譚。参、導師の思い、紫の巫女の願い。

 発端は、ひとりの高位神官による予言であった。

紫の神(バナフセギ)』の加護持つ者の能力は『予知』であるが、それは各々によって、知ることの出来る内容に差がある。

 天候や災害を事前に知ることの出来る者。危険を事前に察知する者。それぞれ加護の高さによっても精度は変わる。

 その中でも、数多の事象が複雑に関わり合う、ひとの未来をよむ能力は、最も高位の加護を有する神官にしか発現しないものだった。


 その発現の仕方も、個人差がある。

『紫の姫巫女』の異名を以て呼ばれるモヴは、数多の可能性の筋道を見ることが出来た。

『二の魔王』の恐怖に晒された直後の彼女は、見える可能性の全てが、『死の運命』に塗り替えられてしまっている状態だった。生物に等しく死という運命が訪れる以上、誰であっても死の可能性というものはついて回る。自らの能力に振り回された彼女が、凄惨で陰鬱な未来の光景に囲まれて、心に深い傷を負ったのも無理のないことだった。


 いずれ『神殿』で、重い役割を担うことが定められているモヴではあるが、彼女はまだ若い。故に現在の『神殿』は、やはりひとの運命を知ることが出来る、高位の加護を有する大神官がまとめ役を担っていた。

 先王が存命中からずっと、大神官と呼ばれているエピロギという女性の能力は、モヴとは少々異なる。

 運命と成りうる未来を言葉で得る力。託宣と呼ぶべき能力だった。詩にも満たない断片の言葉ではあったが、誤ったことはなく、現に多くの者の指針となってきた力だった。


「エピロギ様が……予言を為された……」

 細い肩を震わせて泣き出したモヴは、スマラグディを見て安堵し、気が抜けたという様子であるようだった。

 スマラグディはそのことに少し安堵して、自らの住居の中に彼女を招いた。神殿の奥で日頃暮らすモヴは、街中に不案内であると思われる。その彼女をこんな夜半に追い返す訳にもいかない。


「水よ、我が名のもとに我が願いを示せ、現れよ《発現:水》」

 スマラグディは、唄のように滑らかに呪文を紡ぎ、水差しの中に魔術で呼んだ水を満たす。そこに棚から取った容器から、一掴み乾燥させ保存していた(ハーブ)を入れる。

 器に注ぎ、モヴの前に置くと、そこから仄かに甘い香りがした。

「この花の香りには、落ち着く効果があると言われている。少し飲むと良いよ」

「ありがとうございます……」

 一口飲み、彼女はほっとしたように、少し表情を緩ませる。

「一体何があったんだい? エピロギ様が何か?」

「予言を為されたのです……私のことに関して……」

「良くないこと、だったのかな?」

 言い難いように下を向いたモヴの姿に、スマラグディは推測の声を発した。変わらない優しい響きのスマラグディの声に、モヴは幼い頃のように少し甘える声を出した。

「悪いことでは……ないと思います。国にとっては吉事でしょう」

「……ぼくは、『神殿』に属する者ではないからね。神官としてのモヴの答えではなく、モヴ自身が思うことを告げれば良い」


 少しだけ、モヴの眉が下がる。

 高位神官としての立ち振舞いを求められ続けている彼女にとって、彼女自身の声を聞いてくれる彼は、とても貴重な存在だった。

 モヴも、優しいスマラグディに自分が依存してしまっていることはわかっていた。そしてそれを案じた彼が、自分から距離を取ったことも理解している。

 それでも、彼女は自分の心を抑えきれなかった。

 数多の人びとが、未来を導く姫巫女だと、自分の言葉を聞こうとする。

 だが、その中の誰ひとり、モヴ自身の言葉を聞いてくれようとはしない。

 わかっていることだった。それでも、スマラグディと共に過ごした時間を知ってしまったが故に、それがとてつもない孤独であることも理解してしまった。

 自分はずっと、普通の子どものように、甘やかして貰いたかったのだ。

 そんな自分が、唯一甘えることの出来る相手。泣き言を言っても良いのだと、甘やかしてくれることを知っていた相手。

 そんなスマラグディだからこそ、モヴは、彼の元に走ったのだった。


 神殿の奥から抜け出すことすら、数多の未来の可能性を読み解くモヴの力を使えば、可能となることであった。


「私は……『王』を産むと」

 モヴの言葉に、スマラグディの翠の眸が驚きに見開かれた。

「私の子は『王』となる……それが、エピロギ様が発せられた予言です」

 この国(ヴァスィリオ)に於いて、『王』とは、国主である『一の魔王』を意味している。

『二の魔王』により殺められて以降、空位となっているその存在を、多くの者が待ち望んでいることは、改めて説明する必要もないことだった。

 それは、確かに『吉事』の予言である。

 言い換えれば、新たな王の誕生を予言したとも言えるのだから。


 だが、

「それ以降……王の『父親』の候補者が、連日、私の前に現れるようになりました」

「そうか……」

 苦し気に表情を歪めたモヴは、掠れた声でスマラグディにそう訴えた。

 起こったことを悟り、スマラグディも表情を陰らせる。


 ヴァスィリオに暮らす魔人族は、母系社会で子どもは母親の元で暮らしている。とはいえ、父親が全く己が子に関わらない訳ではない。

 人びとが皆、身につけている銀の腕輪は、父親が自分の子に贈るものである。それは、父親からの己の子であるという認知も意味しており、魔人族にとっては一種の身元証明になるものだった。

 我が子が王となるとわかっているのならば、野心を抱くものが、名乗りを上げることは、起こりうる事態であった。

 これを機にと、神殿の中でより強い発言力を求める者、国政に関わることを望む者。野心のかたちはひとつではないが、王となる子の父親に名乗りを上げることが出来る程には、己に自信のある者たちであると窺われた。


「誰かと契り、王となる子を宿すことが私の役割ならば……受け入れるまで……」

「モヴ、それは……」

 神殿の奥で静かに暮らしていた彼女が、急に、野心溢れる男たちの欲望の前に晒されたのだ。それは恐怖に近い感情を持っても、仕方のないことだろう。スマラグディはそう考えて、表情をより曇らせた。

「でも、私は……それでも、私は……」

 ぽろぽろと涙を溢しながら、モヴは黄金色の眸で、スマラグディを見た。

 紫の髪の上で、透明な貴石が涙とよく似た輝きを放つ。本来、高位神官が飾りに用いる貴石は紫のものだが、彼女は自ら宝石よりも美しい色彩を有しているが故に、余計な色を必要としないのだった。

「私の名すら、呼ぼうとしない者と、契ることが……どうしても……どうしても……っ」

「良いんだよ、モヴ。そう思うことは、当たり前のことだ」

 優しい手のひらが、紫の髪を撫でた。

「君がそう思うことは、当然のことだよ」

 欲しかった優しい言葉が彼女に向けられる。

 そうやってスマラグディは、我が儘を言うことが許されない筈の自分の弱音を、否定することなく受け入れてくれる。

 嬉しさと少しだけの罪悪感に、モヴは、幼い頃にも出来なかった程に、声を上げて泣きじゃくったのだった。



(……モヴが逃げ出したくなるのも、無理はない)

 泣き疲れたような顔で眠るモヴを、スマラグディはそっと撫でる。幼子にするような行動であるが、今の彼女にはそうすることが正しいようにも思えた。

(だがそれも……『神殿(あの場)』では、当然のことだと言うのだから……)

 ため息をつきながら手を伸ばし、灯りの光量を調節する。眩しさに微かに眉が寄っていたモヴの寝顔が、穏やかなものになる。

(『神殿』では、誰もモヴのことを名で呼ぶ者はいなかった。仕方ないとも言えるが……彼女を望む者すら、そうであるとは……)


 稀代の加護持つ尊い存在だからと、敬われている一方で、彼女はあの場で、あくまでも『姫巫女』として扱われていた。

 彼女個人の人格を二の次にしていることを、『神殿』の者たちは、悪意がなく敬意を持っているからこそ、自覚していない。


 そんな輩を相手に、そんな相手の子を宿す。


(……役目と言ってしまえば、それまでだが……感情では認めたくなくても、仕方のないことだろう)

 政略上必要ならば、そうやって子を為すことは、珍しいことではない。

 それでもスマラグディは、この、幼い頃から自らの務めの為に、多くを耐えてきた彼女の数少ない我が儘を、叶えてあげたいと思った。だからスマラグディにあったのは、好意ではあるが、燃え上がるような恋愛感情ではなかった。


 それでもそう思ったからこそ、翌朝目を覚ましたモヴに、スマラグディは問いかけた。

「ぼくのところに逃げてきたのは……モヴは、ぼくとなら、子を為しても良いと思ったと……考えても良いのかな?」

 スマラグディの言葉に、モヴは頬を染め、嬉しそうな顔をした後で、ぎゅっと、己の服の裾を握り締めた。


 そして、首を横に振った。


 表情と動作が、全く一致していない様子で、自分の感情を振り切るように否定の意志を示す。

 そんなモヴの様子をじっと見ていたスマラグディは、微かに苦笑して、首を振るモヴの頭をそっと撫でた。


「それは、ぼくに、良くない未来を導くのだね」

 スマラグディの言葉に、愕然とした表情でモヴは顔を上げる。

 肯定も否定も彼女の口からは出なかったが、スマラグディには、彼女の表情だけで充分な答えになっていた。

「かつて君は、ぼくに言ったね。自分に関われば、ぼくは死ぬことになると……君との間に子を為すことは、ぼくに死の運命を引き寄せるのかな」

「…………っ」

 初めて会った日に、穏やかな微笑みでその宣告を受け入れたように、スマラグディの表情には絶望も悲観もなかった。


 だからこそ、モヴは自分の『見た可能性』を素直に彼に告げる。

 黙っていれば、スマラグディは自分の願いを叶えてくれる。この『未来』を告げなければ、自分の願いが叶う可能性は高くなる。

 わかっていたが、わかっていたからこそ、モヴは彼を欺くような真似だけはしたくなかった。

 震える声は、そんなモヴの心情を示していた。

「スマラグディは……私との間に子を為せば……その子の為に、命を失うことになる。その子を護る為に、命を費やすことになる……けれども、子を為さなければ……一生を穏やかに全うすることが出来る」

「それが、モヴが『見た』未来なんだね」


 初めて会った日には、モヴにも、そこまではっきりとした可能性(みらい)は見えなかった。

 今回のエピロギの託宣を受けて、自らの選択の先にある可能性を見据えて、ようやく理解した。

 自分の願いこそが、スマラグディの死の未来を引き寄せる。この優しいひとを失う可能性を引き寄せる。

 だから彼女は、願いが叶わない可能性を理解した上で、彼に決断を委ねた。

「……大丈夫だよ、モヴ。それはぼくにとって、不幸な予言ではないよ」

 優しい微笑みと共に、望む言葉を呉れる可能性に賭けた。

「望んでも得られるとは限らない我が子を、君はぼくに見せて呉れる。そういう幸福な予言だよ」

 そうして、涙を溢すモヴを、スマラグディはそっと抱き締めた。

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