後日譚。白金の娘と、美味しいごはん。参
牛酪の欠片を口に入れて確かめる。
クロイツで普段使っていたものとは、比べものにならないくらい、塩気が強い。保存性を高める為に、缶入りのものの中にはそうなっているものもあると、師匠から聞いたことのあるラティナは、驚くことはなかった。
「やっぱり新鮮な牛酪よりも、風味は落ちるんだなぁ……」
それでも久しぶりの味に、心は踊った。
「これだけしかないから、お菓子は難しいかな……蜂蜜もこれだけだし」
呟きながら、厨房内を物色する。
フリソスの権限を悪用しないと心に決めていたラティナだが、今この時に限っては、権限だろうが虎の威だろうが、使えるものは全て使う心意気であった。
その結果行ったことは、厨房内の食材をちょろまかすという、糾弾するのも困惑する、ささやか過ぎる横領なのである。
「穀物だし……味はあんまりないから……焼いてみようかな」
主食を作る穀物の粉に、適当に水を加え、かき混ぜて様子を見る。せめてミルクの類いが欲しかったか、それらしいものは見つからなかった。
小麦粉よりも粘りの強い生地となった穀物の粉は、均一に挽かれていないのが見ただけでわかった。
「……ふるいにかけたら、もうちょっと何とかなるかな」
思いは、どんな調理をして、どんな料理にするかというものに馳せる。
熱した金属鍋に大切な牛酪を少し落とし、溶けて良い香りが立ち上ったところに生地を流した。ジュッと、高い音が鳴る。普段ならば一度鍋を火からおろして温度を下げるが、予想通り粘りの強い生地は分厚く流れている。この程度の火力があっても良いだろう。
粉を水で溶いて焼いた、クレープもどきであった。
結論としては、余計な味が元々ないこともあり、焼きたてはヴァスィリオ方針で食べるよりも、よほど食べ物らしいものに仕上がった。
焼きたてに牛酪を薄く塗り、蜂蜜を少しだけ垂らす。
塩気が強い方が、味のない生地には丁度良い。蜂蜜の甘みは、甘さに飢えていたラティナにじんわりと染み渡った。
「……うう」
ちょっと泣けた。
残った生地を焼き上げると、ラティナは冷めてしまう前にと、デイルの元へと走ったのであった。
「デイル……作ってみたの、食べる?」
「ラティナの手料理をいらないって言う筈ねぇけど……作ったってお前……」
皿を差し出して微笑んだラティナに、笑顔を返しながらも、デイルは状況を察してしまった。
「厨房に……入り込んだんだなぁ……」
「ちょっとだけだもん。ちょっとだけっ」
デイルの妙に生あたたかな視線に、ラティナは必死で、情状酌量の余地をアピールした。
「冷めちゃうと、たぶん美味しくないから、温かいうちに食べてみて」
「おう」
もちっとした生地は、小振りなサイズで半分に畳まれていた。
デイルが、勧められるままに口に運ぶと、ふわりと甘い香りが立ち上る。
牛酪の塩気と蜂蜜の優しい甘みが口中に広がった。
「ラティナの作ったものだから、なんでも旨いって言ってやりたいんだが……」
「うん」
デイルの前のラティナは、同じものを両手で持って、もちもちと頬張っていた。
「すっげぇ旨いもんではないよな」
「うん。ちょっといまいち」
有り合わせにも程がある適当な材料で作った自覚のあるラティナは、自分の作ったものに、的確な判定を下していた。
「でも……食いもん喰ってるって……久しぶりだなぁ……」
「うん……」
頷くラティナは、ちょっと眸を潤ませていた。
「ごはんって大切だね……」
しみじみと言うラティナの姿に、デイルは何かが壮絶に間違っているような気もしたが、指摘することはなかったのだった。
その直後、ラティナは何かを離宮の片隅に並べ始めた。
デイルがちらりと覗いて見れば、幾つもの容器の中に、果物らしきものが水の中に沈んでいる。
「なんだ……?」
「ちょっと実験してみるの。動かさないでね」
「お……おう」
ラティナがここまではっきりと、拒絶の単語を出すことは珍しい。デイルは、伸ばしかけていた手を引っ込めて、ひとつ頷いた。
「"***、********"」
「"**"」
ラティナはその後で、部屋の入り口のところにいた侍女を相手に、ややきつい声音で念を押していた。
おそらく自分と同じように、容器に触れるなと言っているのだろう。
「"**********"」
目が据わるラティナは、明らかに声に脅しを含ませていた。
穏やかな質のラティナが、ここまで強い口調で命じることは珍しい。
「……」
デイルは、無言のまま納得して頷いた。
(食べ物関連なんだろうなぁ……)
推測できる理由は、あまりにもあんまりな性質のものだった。
きっちりと蓋をした後、ラティナはこまめに魔法も使い、温度管理をしながら、それを観察しているようだった。
デイルから見ても、雅やかな離宮の一角にずらりと容器が並ぶ様子は、異様である。
魔人族である侍女たちにとっては、デイル以上に理解の出来ない行動だろう。現に、対処に困ってチラチラとこちらを窺っている時がある。
ラティナは全くその視線を意に介さず、容器の様子を楽しそうに毎日観察しているのだった。
「"***、***********……"」
「"**……"」
こそこそと侍女たちが言葉を交わしている。
(人間族の習慣かって……変な誤解だけはするなって……)
途切れ途切れにしか魔人族の言語を解さないデイルでも、侍女たちがそういった疑念を持っていることはわかった。
だが、それを否定することができる程には、デイルは彼女たちと『会話』が出来ないのだった。
(俺も……魔人族言語、覚えておくべきだなぁ……)
そんな風に、デイルは今後の目標を立てたりするのである。
ラティナの『実験』は、ぶしゅぶしゅと時折音を立て、きっちりと紐で縛り密封された蓋が、パンパンに張っている。
(腐ってるんじゃねぇのかなぁ……)
デイルから見て、日に日に異様な雰囲気を漂わせているのだった。とても『食べ物』に関わるものとは思えない。
そんなデイルの前で、ラティナは、どきどきしている顔で容器を一つ手に取り、蓋を開けた。
「ふやぁっ」
「うわ」
腐っていた。
ラティナは慌てて蓋を閉め直し、服の裾をぱたぱたと振って、異臭を外に出そうと試みている。
(まぁ、そうだよな)
ある程度覚悟していることだったので、デイルも気にせずラティナの行動に手を貸した。
「温度が高かったのかな……」
ラティナはそう言って首を傾げている。
「他のは、もう少し低い温度で管理したから、まだ大丈夫」
そう呟き、気を取り直して二つ目を開けたラティナは、しばらくしてがっかりと肩を落とした。
「カビ……」
呟きから察すれば、カビが生えてしまったようだった。
それでも彼女は諦めることなく、更に隣の容器を手にした。
蓋を開けた後、じっと中身を観察し、クンクンと臭いを嗅いでいる。一度離して考えこみ、もう一度臭いを嗅いだ。
「出来た!」
やがてラティナから上がったのは、歓喜の声だった。
「やったよ、デイル! 出来たよ!」
「お……おう」
「やったぁ!」
デイルにしてみれば、ラティナの歓喜の理由が全くわからない。ラティナは残りの容器も確認し、万歳をしてくるりと回ると、ラティナの異常なテンションにドン引きしている侍女を一人捕まえた。
「"*******"」
フリソスに通じる、命令する者の顔だった。こういう時だけ、生まれながらの上に立つ人品の片鱗を見せるのも、如何なものかと思う。
コクコクと、侍女が首肯して命令に従う意を示す。ラティナの勢いに、逃げ腰になっていた。
ちょっとデイルは侍女に同情した。
自分で持ちきれない分の容器を侍女に持たせ、ラティナは最大限のスピードで厨房へとひた走ったのである。
「ありがとうマルセル……ありがとうっ」
クロイツにいる幼友達を思って、ラティナは涙を滲ませる。
目をつけていた穀物の粉は、あらかじめふるってキメを揃えている。ふるいもなかったので、代用できるものを探すことから始めなくてはならなかったが、時間は充分にあった。
「始めはこれと粉を混ぜて……種を作ることから……うまくいけば……」
短い期間であったが、本職からしっかりと基礎の指導を受けたことは、ラティナの確かな実となっていた。
「パンが食べれる……っ」
デイルの予想通り、やはり食欲に直結していたのであった。
彼女は以前、パン屋である幼友達の家で、短期ながらも働いたことがあった。
その際、成形や焼き方という目に付きやすい事柄だけでなく、パンを作る根幹である酵母と、それから作るパン種のことも教わっていた。比較的簡単である果物と水から作る酵母に至っては、実際に作らせてもらい、経験を積んだ。
それ以後パンを作る機会はなかったし、自信の程はあまりない。
それでも記憶を辿って、なんとかそれらしいものを作ることには成功した。
何をおいても、主食の再現。
現在のラティナの悲願はそこにあったのであった。
天然酵母の作り方は、実践したことがないので、聞き齧った知識です。悪しからず。




