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青年、白金の娘と帰還する。(後)

 大量の野菜を刻むラティナの周囲は、親衛隊によって警護がされていた。なんだか『親衛隊』としては、正しい仕事だな、などと玉ねぎの皮を剥くデイルは思ったりするのである。

 包丁を振るうリズムは、リズミカルであるようで、時折妙なタイミングで変調する。そんなところも彼女らしい。

「なんだか楽しそうだな」

「うん。楽しいよっ」

 つい呟けば、満面の笑みで即答された。


 気心知れた冒険者連中に厳戒体制が敷かれていたが、本日炊事を担当していた者は、ラティナのそばで働いている。

 普段ほやん。としたラティナであるが、自分の仕事に関わることでは非常にシビアである。その為、彼女に気を取られて自分の仕事を疎かにでもすれば、ラティナからの評価は直滑降する。

『客』であれば、多少の粗相にも寛大だが、仕事に関してはかなり厳しい。師匠(ケニス)にそうやって仕込まれた彼女をよく知るデイルは、現在に限ればラティナに見とれてしまうのも善し、としていた。

 お触りは無論厳禁である。


「こういう役割も全部決まってるのに、我が儘言ってごめんなさい」

「まぁ、冒険者連中の場合、だいたい得意な奴が中心に持ち回るから、仕事が楽出来て御の字って思うんじゃねぇか」

「でも、今回は、軍の人たちの分も一緒なんでしょ? 大丈夫なの?」

「その辺りはグレゴールがうまくやるだろ」

 世界規模のアイドル相当と化した、ラティナの手料理を、冒険者連中が独占したとしたならば、今後のこの場の運営に支障が出る予測しか出来ない。


 特別なことは出来ないけれど、自分のことを案じてくれた人びとに、せめてお礼の気持ちを伝えたい。

 そう思ったラティナがとった手段は、包丁を握ることだった。

 握ったら、止まらなかった。


 ヴァスィリオの生活は、よほど抑圧されたものであったらしい。

 材料も限られ、設備も最低限の炊事場であるのに、嬉々として働いている。

 この様子を見ると、心配だからと安静にさせていたのが、回復に手間取った理由であるのかもしれない。忙しい位が彼女にとっては丁度良いようであるようだった。

「わんっ」

「ん?」

 天幕の外から聞こえた声に、デイルが外を見ると、ヴィントとハーゲルの父仔が獲物をくわえて佇んでいた。

 駆け出しはおろか、中堅の冒険者でも、チームと装備を調えて挑む大型の魔獣である。ちょっと暇だから狩ってきたという顔をするのは止めて貰いたい。


「凄いねぇ。貰って良いの?」

「わふっ」

「ありがとう。ヴィントたちのぶんも何か作るからね」

 ラティナはその辺りには頓着せずに、にこにこと笑っている。彼女が楽しそうなら致し方なしと思いつつ、デイルは袖を捲って立ち上がった。

「ラティナ、お前こういうの捌けねぇだろ?」

「うん。やっぱり出来るようになりたいなぁ」

 即答する彼女は、どこまで食のプロフェッショナルになるつもりなのか。


「俺の方で下処理しとく」

「ありがとう」

 デイルの郷里であるティスロウは、狩りが盛んな土地である。

 子どもの頃から当たり前のように、仕留めた獲物を処理する様子を見てきた。大人の男なら、誰もがある程度出来て当然であるという生まれなのであった。

 そんな一種の職業病なのか、自分でも納得のいく皮剥ぎが完了したとき、ちょっと楽しくなってしまった。

 ラティナのことをあまり言えなかった。


 この夜の夕食は、ラティナが張り切り過ぎたことがわかる豪勢なものとなった。ヴィントたちの狩りの成果を用いた肉料理も、彼女はうまく調理してみせた。

 魔獣の生息域内であるため、本来は見張りに幾らかの人員を割いているのだが、現在は全ての人びとが集って食事を楽しんでいる。


 現在は、ヴィントとハーゲルの父仔も、『食事』の最中なのであった。

 ひとを遥かに越えた探知能力を有する幻獣が二匹、周囲を遊撃して回っているのだ。そこに下手に交じれば、自分が『食事』になりかねない。

 多くの人びとが自分の作ったものを食べ、笑顔になる様子に、ラティナは表情を緩ませていた。

「デイル」

「なんだ?」

「私、本当に幸せものだね」

「……そうか」

 ラティナはそう言って、こてん。と、デイルの肩に頭を載せた。その為、デイルから彼女の表情は見えなくなったが、彼は肩に感じる幸福な温かい重みに、自分の表情を穏やかな微笑みにする。

「ありがとう、デイル」

「ん?」

「私のことを、諦めないでくれて。私を、温かい場所に戻らせてくれて」

「……ん」

「ありがとう」

 酒精が入ったのか、視界の中の人びとの様子は、宴会の様相を呈し始めていた。『虎猫亭』でいつも見ていた光景に重なるその様子に、胸の中が充たされていく。

 はぜる焚き火の音も聞こえない程の、賑やかな人びとの和やかな声に、ラティナは幸せそうな顔で眸を閉じた。そのまま、こくりこくりと船をこぐ。やはり頑張り過ぎていたらしい。

 デイルは苦笑--穏やか過ぎて決して『苦』と言えるものではなかったが--して、彼女を腕の中にすっぽりと収めた。仔猫めいた仕草で、無意識に自分にとって心地良い体勢を探したラティナは、子どもの頃から変わらない調子外れの寝息をたて始める。


「……デイル」

「なんだ?」

 それを見計らった後で、グレゴールはデイルに声を掛けた。

 両の手に持っていた杯の一つをデイルに渡す。仄かな酒精の薫りがするが、デイルと同様戦場で泥酔することを良しとしないグレゴールの持つ酒が、強いものだとは思わない。それ故、デイルは素直に受け取った。

「クロイツに戻るのか?」

「そのつもりだ」

「これから大変だな」

「……お前こそ」

 面倒くさい名声がつきまとうだけのデイルと異なり、グレゴールには、公爵家直系の仕事も増える。『大変』の規模が異なる。

「父上は、しっかり俺の前にも、『御褒美』をぶら下げている。相当こきつかうおつもりらしい」

 だがグレゴールは微笑んでいた。苦になどしていないという表情だ。

「御褒美?」

「たった一言だが、言質を下さった。『現状、我が家に今以上の権力が集中するのは宜しくない』……俺は、父上の跡を継いでも、政略の為に名家の子女をめとる必要がないようだ」

 それは、グレゴールを発奮させるには、充分な発言だった。デイルもそれがわかっていたので、抑え切れないように小さく笑った。

 本来ならば公爵家とは家格が釣り合わない女性を、グレゴールが想っていることは、父親たる公爵閣下もよく知ることである。


「ヴァスィリオに向かわせたのも、父上の思惑の一端だろう。国内の権力は弱いが、これから重要な意味を持つ隣国の後ろ楯だ。価値は重い」

「ラティナは、ローゼになついてるからなぁ」

 そしてそんな妹姫に甘いフリソスも、ローゼとそれなりに打ち解けていた。国益に反することにまで手を貸すことはないだろうが、利権を得ようと、今後蠢くだろうラーバンド国の諸侯よりは、圧倒的に信頼を得ていると言える。

「まぁ、頑張れ」

「ああ。そのつもりだ」

 杯を軽く合わせて飲み干す。

 それだけのやり取りで立ち去った友人の背中を見送って、デイルは、腕の中のラティナを、抱いたまま立ち上がった。

 静かな、とは程遠い環境だが、このくらい賑やかな方が彼女は幸せそうに眠ることが出来るようだった。



「お騒がせしました、グレゴールさま」

「落ち着いたら、王都に来ると良い。その頃にはローゼもいる筈だ」

「はい」

 和やかに別れの挨拶をするラティナとグレゴールを見守っていたデイルは、ハーゲルの鞍に既に腰を据えていた。

 昨夜早く寝たからと、朝早く起きたラティナによって、ハーゲルは念願のブラッシングを受け、艶々のふかふかとなっている。

 ラティナの隣で尾を振っているヴィントも、ふかふかであり、二匹の幻獣のコンディションは最高潮だった。

 見送る人びとに手を振るラティナを引き寄せ、鞍に乗せる。そのまま手を振り続けているラティナが落ちたりしないように、デイルは彼女をしっかりと抱き締めた。

「ハーゲル、頼む」

「わん」

「それは止めろ……」

 急にヴィントを真似るという小ネタを交えながらハーゲルは翼を広げた。ばさりと重い音をたてて、空へと高く舞う。少し遅れてヴィントがその後を追うように飛び上がった。



 その後は、特に夜営をすることもなく。--ラティナは、ハーゲルの上で時折居眠りをしており、ヴィントも、ハーゲルの頭の上で休憩していたりしたのだが--彼等はクロイツにたどり着いた。


 空高い位置にある獣の影が、何であるのかかが見分けられるようになったのと同時に、クロイツを守る憲兵隊は警戒体制を別のものに変化させる。

 ある意味では、臨戦体制は続行である。


 そして懐かしいクロイツの街並み。『踊る虎猫亭』のある風景。

 胸いっぱいに迫るものを感じて、声を詰まらせるラティナとデイルは--


「ただいま」を言う前に、並んで正座でお説教を受けることになった。

 成体の幻獣(ハーゲル)を街中に連れ込むのは、流石にアウトであった。


 因みに、クロイツ南門の門番の職務放棄の点については、「幻獣二匹と最凶の勇者(元親バカ)という過剰戦力を前に、どうしろと」という当人の主張が認められ、咎められることはなかったのだった。


コミカライズ三話配信されております。本当に『娘』は可愛いですねぇ(駄目っぽい)

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