青年、白金の娘と帰還する。(前)
デイルとラティナ二人を乗せても、ハーゲルは問題なく空を駆けた。勿論それは、魔術に長けたラティナの存在も大きい。
重量を軽減する魔術を継続し続けるラティナに、デイルは不安気な声を掛けた。
「まだ本調子じゃねぇだろ? 無理するなよ?」
「そんなに心配ばかりしなくても平気だよ。寝てばっかりで、寝惚け癖、ついちゃったかもしれないくらい」
そう言って微笑むラティナは、デイルの腕の中にいた。
ハーゲルが纏う鎧は、見目を重視した白金色のつくりであったが、同時にデイルを背に乗せる際、鞍の役割を担う機能性も有したものだった。
デイル一人で乗るには充分なそれも、ラティナと二人となれば少々手狭である。
だが、手狭であるならば、彼女とぎゅっとくっ付けば良いという発想に至るデイルにとっては、問題は全くなかった。
「わふ」
ぱさぱさと、マイペースな調子で先行していたヴィントが速度を落とし並走した。一言発して高度を落として行く。
「ヴィント?」
「なんだ?」
「何かあっちにあるの?」
首を傾げるラティナには申し訳ないが、デイルに心当たりはない。
ヴァスィリオに向かう往路のデイルは、頭に血の気がのぼりまくった上で、彼女に知られる訳にはいかない程のどす黒い感情に充たされていた。悠長に周囲を見渡す余裕なんてものはなかったのである。
「行ってみるか?」
「お願い出来る?」
「承知した」
デイルが口を挟む必要もなく、ハーゲルは即座にラティナの『お願い』に応じた。
うん、そうなることはわかっていた。と、デイルは微妙な顔になる。そして、降下の為に体勢が不安定になるハーゲルの上で、ラティナがバランスを崩したりしないようにと、意識を向けた。
高度が落ちるにつれ、地上には複数のひとの姿があることを見分けることが出来るようになった。町ではない。天幕が複数張られ、見張りが周囲を警戒している。デイルはそれを見て取ると、シルビアの話にあった、クロイツとの間にある拠点であることに気がついた。
「あれが……」
ならば、クロイツまでの帰路の最中、長旅となる途中安全に休息が取れる場所となるはずだ。自分は問題ないが、ラティナを休ませる必要はある。などと、デイルは変わらずラティナ中心の思考回路で考えていた。
地上の見張りたちも、空から下降して来たのが二匹の幻獣--そのうちの一匹が見慣れたヴィントであることに気が付くと、警戒体勢を解いて彼等を迎えた。
デイルは自分たちを迎える人物の姿に、多少驚いた顔となった。
「グレゴール」
「どうやらすっかり、元の通りであるようだな」
「どういう意味だよ」
「どういう意味も何も、そのままの意味だが」
グレゴールはデイルと目が合った瞬間にそう言い、デイルは憮然とそれに応じた。
「ご無沙汰してます、グレゴールさま」
「ヴァスィリオの王妹殿下に、敬称を付けられる立場ではないが……」
「グレゴールさままで、そういうの止めてください……」
どこまで冗談なのか、グレゴールの動かない表情からはわからなかった。ラティナは頬を赤くして、困ったような顔をした。
「……ラーバンド国の軍が到着したのか?」
「ああ。魔獣の生息域なだけあって、安全性の問題は山積みだ。だが、思っていた以上に進んでいるようだ」
「クロイツの冒険者たちが、拠点を整備し、防衛してるって聞いていたんだが……」
グレゴールから視線を反らし、デイルが周囲を見れば、見覚えのある冒険者連中が、遠巻きにこちらを窺っている姿を確認出来た。
思わず、反射的にラティナを抱き締める。デイルのその様子に、ラティナは不思議そうに、こてん。と首を傾げた。
--が、デイルのその動きで、相手はそこに目的の者が存在することを確信した。
大地がどよめいた。
グレゴールに同行していたラーバンド国兵士は、後日、そう形容した。
「妖精姫だーっ!!」
「うおおおおおおっ!!」
「やっほおぉぉぉっ!」
彼等にとっては、デイルなんてどうでもよいことが清々しい程にはっきりとしている反応であった。正規の軍隊よりも迅速かつ的確に、「『妖精姫』発見」の報が拠点中に駆け巡る。
「ふぇっ!?」
驚いてびくり。としたラティナの反応すら、即座に伝達されていった。
「ふえっ、確認しました!」
「ふえっ、いつも通りです!」
「あいつら……」
半目で唸るデイルに対して、ラティナはおろおろと、デイルを見上げた。
「そんなにいつも、言ってる?」
気にするところは、そこであるらしい。子どもの頃からの幼い印象の口癖だが、当人の心境をよそに、全く改善の目処はたっていない。
「……可愛いから良いんじゃねぇか?」
「デイルのその言い方……いつも言ってるってことだね……っ」
ショックを受けた顔をしているラティナには悪いが、デイルもそこを否定してやれる度量はない。嘘だとわかりきっている言葉は、彼女に対して使いたくないのだった。
「わふっ」
デイルが逸らした視線の先では、ヴィントが、大きな骨をがしがしかじっていた。
デイルが、ヴィントがこの拠点を立ち寄る度に、おやつとして魔獣の骨をもらっていたことを知るのは、もう暫く後のことである。
「心配かけて、ごめんなさ……」
「構わない、構わないっ」
「気にするなっ」
「あの、でもね……っ」
「無事な姿見れて、安心だからな」
「これも俺たちにゃ仕事だ。気にするな」
そんなデイルから離れて、見覚えのある常連客の元に向かい、謝罪をしようとしたラティナの声は、厳つい野郎どもの歓喜の声に呑み込まれていった。
それに負けじと張り上げた声も、おっさんどもの大笑する声に掻き消されていった。
そんな様子を見るデイルの表情も、知らないうちに緩んでいった。
彼女が、それだけ周囲から愛されていたのだと確認できることは、彼にとっても感慨深い。
だが、どさくさに紛れてラティナの肩に触ったお前と、馴れ馴れしく手を握ったお前。それと、必要以上に近付くお前とお前。一度天国を味わったんだから、ついでに地獄を見るのも乙なものだよな。覚悟しておけ。
なんて、考えるデイルは、完全に通常仕様に戻っていた。
冒険者たちが騒ぐ姿を見て、呆気にとられていた兵士たちが、何かに気付いたようにざわめきだした。
デイルが、疑問に思ったのとほぼ同時に、眼前のグレゴールが手を打った。
「そういえば、デイル」
「なんだよ」
「無事に再会出来たことは喜ばしいが」
「が?」
「彼女には、あれのことは伝えたのか?」
「あれ?」
何のことだと問い掛けようとしたデイルの耳に、近場にいた若い兵士の呟きが届いた。
「……妖精姫? 本物?」
(『本物』って、どういう……あ? あぁっ!)
ラティナは幼い頃から、『妖精姫』の二つ名を戴いている。愛くるしいという言葉程度では到底足りない彼女は、『虎猫亭』の客たちにとって『看板娘』だけでは、とても言い表せなかった。
デイルもそれには同感だった。
だからラティナを指して『妖精姫』の呼称を出されても、『それは普段通りのこと』として、受け入れてしまった。
現在に於けるその呼称に別の意味が含まれることに気付くのが、遅れた。
「あ……」
だらだらと冷や汗をかきながら、視線を逸らしたデイルに、グレゴールは溜め息をついた。
「言ってなかったのか」
「……ああ」
肯定したデイルの後ろで、冒険者たちの歓声に、兵士たちの歓声が加算された。
「な、何?」
目を白黒させるラティナは、何が起こっているのかは把握していない。
冒険者の中の常連客--『ちっさな娘親衛隊』の面々--は、即座に事態を把握していた。臨戦体制をとってラティナを守るような布陣をはる。
「お前が、彼女をモデルにした意匠を使った為に、彼女の顔は諸国の軍隊に知れ渡ってしまったからな」
「……そうだな」
「幻獣を連れたお前の隣に彼女がいて、『妖精姫』の異名で呼ばれていたならば、このような反応にもなるな」
「うえ……」
苦虫を噛み締めたような顔をするデイルの隣で、グレゴールは普段よりも饒舌に現状の指摘をしていった。
追い詰められ、危うげだったデイルから、すっかり陰は払われている。安堵すると同時に、まだ自分はもう一仕事終えた後でなければ、ローゼを迎えに行くことができない。その八つ当たりもある。
噂の『妖精姫』を前にして、たちまち混沌としていった現場を鎮めようともせず、グレゴールはくつくつと、小さな笑いをこぼした。
デイルがどうやって誤魔化そうかと考えている間に、ラティナは近くにいた常連客に大まかな話を聞いてしまったらしい。
遠目でもはっきりと、あわあわと、パニックになっていることが見て取れる。
自分のことが、尾びれ背鰭が、リバィアタンの如くついた状態で、世界各国の間に広まっていることを知った結果--今のラティナに出来ることと言えば、
(フリソスのところ……帰ろうかな……)
引き籠ってしまうことも正解かもしれないと、遠い目で独白することだけなのであった。




