青年、裏側で行われていた事を知る。肆
「公爵閣下は、ヴァスィリオの要求を簡単に受け入れたのか?」
「もちろん、それがラーバンド国にとって利が大きいからですわ」
にこやかにローゼは、デイルに答えた。
「私も詳しい事情は知らされず、こちらに来ましたの。シルビアさんと魔王陛下から事情をお聞きして、閣下からの命令書もこちらで受け取りました」
僅かな護衛のみを連れて、飛竜でヴァスィリオに入ったローゼを迎えたのは、両国の連絡役であるシルビアだった。
『二の魔王』が健在であり、『紫の巫女』たるモヴが命を賭けて成就に挑む『刻』を間近に控えたヴァスィリオは、情報の管理に過敏な程に慎重になっている最中だった。
エルディシュテット公爵が、ローゼにすら詳しい事情を語らなかったのは、それへの配慮だった。
「私の役割は、正式な外交ではありません。両国の違いを閣下にお伝えし、調整をはかること。まずはヴァスィリオに受け入れて頂くことが私の役割でしたので、魔王陛下の妹姫であるラティナさんと、面識のある私に申し付けたのです」
ローゼが、高位の加護を有する神官であることは、魔人族だとしても加護を有していればわかることだった。奉じる神は異なれど、神殿が重い役割を担うヴァスィリオでは、神官は尊ばれる存在だった。
優秀な魔術士であれば、ヴァスィリオでの最低限の会話を交わすことができる。
未だ水面下での調整であることもあり、公爵は官吏や軍属の者の派遣には慎重だった。それらもあって、ローゼにこの任を命じたのである。
「ラティナさんは、クロイツに来てすぐに、西方大陸語を覚えてしまわれたとか」
「あ……ああ。一週間位で、日常会話は出来るようになってたな」
「魔王陛下も、私やシルビアさんと会話を交わすうちに、どんどん上達されて……今では、神殿内の誰よりも西方大陸語に通じてらっしゃいますの」
ローゼが感嘆するように言えば、フリソスはラティナよりも薄い胸を張った。
「プラティナが通じておる言葉だ。故国を長く離れておったプラティナと言葉を交わせぬなどとなったら、いたたまれぬ」
薄々デイルも悟っていたが、どうやらフリソスは筋金入りのシスコンであるようだった。
今もデイルの隣に座ろうとしたラティナを、自分の隣に招き座らせている。デイルの苛立つような視線も鼻で笑い、それが当然とばかりにラティナに触れる。
他の誰にやられても、立腹する行動なのだが、それでもデイルは、瓜二つの姉妹の仲良しぶりに和んでもしまう。
無論、フリソスはデイルのようにひたすらにスキンシップをはかりたいのではなく、体調の優れぬ妹を案じてそうしているのだった。
ラティナは、そのことがわかっていたので、傍らのフリソスに感謝の籠った視線を向けていた。フリソスも、それに微かな笑みで応える。
とりあえず醸し出しているほんわか空気からも、この姉妹が非常に仲が良いことは、よくわかる事実だった。
「ラーバンド国がすんなり了承した利ってのは、何なんだ?」
「魔王陛下が提示した要件は、ヴァスィリオが有する資源ですわ」
デイルの疑問に、ローゼはそう答えた。
「私も専門外ですので、あまり詳しくはないのですが……ヴァスィリオは宝石類を初めとした鉱脈と、『魔金属』の鉱脈を有しているとか」
「……それが、婆が俺に話を聞けといった理由か」
ローゼの言葉に、デイルの表情が改まった。
『魔金属』と呼ばれる金属類は、魔力との親和性が高い金属の総称だった。『地』属性魔法は、鉱石などの召喚も可能にしているが、稀少な鉱石や、魔力との親和性が高い鉱石程、その召喚の難易度は増す。
貨幣に用いられる銀が、アンデッドに効果の高い武器の材料に用いられたり、金の何物にも侵されない性質から、護符の制作に用いられることからも、その断片が伺われる。
そういった金属類は、やはり鉱脈を有する土地で直接にそれらを掘り出す必要があった。
ラーバンド国にも鉱山はあるが、採れる鉱石の種類は限られている。今まで遠方の諸国から買い付けるしかなかったものが、隣国であるヴァスィリオで採取出来るとなれば、その益は無視することは出来ない。物が物であるだけに、移送のコストは距離に応じて大きなものとなっているのだ。
『魔金属』は、つまりは『魔道具』の原材料だ。
それを生業とするティスロウにとっても大きく関わる話であり、専門外であるローゼよりも、当主教育を受けていたデイルの方が詳しい話でもある。
「ヴァスィリオでは、石に価値は見出だしていても、それほど金属に興味は抱かれておらなんだ」
「『魔力付与』は、人間族の種族特性だからな……魔人族にとっては、価値はそれほど高いものではないんだな」
「そうだな……魔法の発動体として使うことはあるが……人間族ほど価値は見出だしておらぬな」
フリソスはそう答え、シルビアを見た。
ラーバンド国との交渉を優位とは言わずとも円滑に進める為に、鉱脈資源の有効性を助言したのは、人間族であるシルビアだった。
価値観が異なる故に、魔人族だけでは、出てくることのない発想だった。
魔人族は全ての者が魔法を使うことが出来る。日常の様々な事柄に於いても、道具よりも魔法に頼る面も大きい。生活様式も異なるこの国では、他国の『常識』は理解の範疇外なのである。
だからといってラーバンド国が一方的な搾取に走れば、個の能力が高い『魔人族』の反抗にあった際の危険性が増す。
ラーバンド国宰相たるエルディシュテット公爵の、危惧と慎重さは、そこに起因していた。
永き時間を生きる魔人族との最初の交渉には、適切な妥協点を見付ける必要があった。これからの永き時間を善き隣人として在る為には、重要な案件なのだった。
「公爵閣下……ラーバンド国が、ヴァスィリオと交流することを受け入れた理由はそれでわかったが……」
そんな風に、デイルたちが互いの立場から会話を交わす間、ラティナは黙って話を聞いていた。
ラティナはフリソスの実妹だが、ヴァスィリオの中での権力は皆無と言っても良い。発言を許される立場にないと、彼女は判断していた。
ヴァスィリオは、神によって選出される『一の魔王』と神殿によって統治されている国家。他の国々よりも、『神』への信仰の篤い国だ。
高位の神官であるローゼやデイルは、この国ではそれだけで下に置かれぬ扱いを受けることになる。
ラティナ自身には『加護』はなく、『八の魔王』という特殊な立場であることを明かすつもりもなかった為、本来ならばなんの後ろ楯も権限もない。だが、『一の魔王の寵愛』という状況は、それらをも簡単に覆す立場を保証していた。
この国に於いて、『魔王』とは『神』の代弁者なのである。
(でも、それはフリソスの力であって、私が凄い訳じゃない……それをちゃんとわかっておかないと)
そんな独白をしながらラティナは、会話に集中していた。
端々の単語を繋ぎ合わせて、自分の知らない情報を導き出す。
空白の時間を埋める為の作業をする。
一国の主として、国益と人民の為に交渉の席につくフリソスの姿は、幼い頃に憧れた、堂々とした母の姿にも似ていて、ラティナはそっと息を吐いた。
(頑張ったんだ……フリソス……)
自分には到底真似出来ない姿だった。
(……それでもきっと……だからこそ、フリソスは私に帰って来て貰いたかったんだろうな……)
それでも、年若いフリソスが、独りで負うには重すぎる責任だった。
周囲に有能な者がいないということや、部下に恵まれていないということではない。
フリソスが、ただの一人の個人として、素のままで在れる場所を欲しても、無理はなかった。
神ではなく、一人の『自分』として受け入れてくれる相手を。
ラティナにはデイルがいた。
ただのちいさな女の子として、そして誰よりも大切な女性として扱ってくれる相手がいた。
だからラティナは、『魔王』と成っても、自分の根幹は揺るぐことはなかったのだ。『ひと』としての自分を失わずにいられたのだ。
フリソスにとっての『その相手』は、生き別れた妹だった。
魔王としての重圧も、周囲よりの視線も、全てを乗り越えるよすがとして、妹を心の支えにした。
(私は……フリソスも、苦しめちゃったんだ……)
フリソスは、ラティナが多くの守りたいものの狭間で、自分を犠牲にすることを理解する存在ではあった。
けれどもその決断は、酷く苦しいものであったのだと、改めて振り返り、ラティナは胸を痛めるのだった。
皆さまのお蔭をもちまして、コミカライズ版の配信も始まったようでございます。詳しくは活動報告をご覧くださいませ。
いつもお読みくださり、誠にありがとうございます。
 




